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2008年08月15日
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カテゴリ:スポ-ツ
8月8日の夜、いきなり凄~い開会式で圧倒された「北京オリンピック」。
本日であれから丁度1週間が経過した。

水泳の北島選手が男子平泳ぎ100メートル&200メートルの2種目で2連覇を達成するなど日本選手も結構活躍しているようだ。

しかし、「お家芸」のはずの柔道で大苦戦気味だし、2連覇の金メダルが期待された女子マラソンの野口選手肉離れにより急遽出場を辞退することが発表されるなどちょっと暗いムードが立ち込め出していた。


そんな時、フェンシング男子フルーレで日本代表の太田雄貴選手が見事に銀メダルを獲得し、明るい話題を提供してくれた。

太田選手は同志社大学を卒業したばかりの弱冠22歳だが、今回の北京オリンピック前から多くの取材を受けていたマスコミ注目選手の一人だった。

小学生の頃から父親からフェンシングの英才教育を受け中学、高校、大学と学生時代は常に国内のトップにいた。

高校生の時に、日本選手権を制覇した快挙は未だに国内フェンシング界の語り草となっている。

ユニバーシアードや世界選手権でも好成績を収め、過去の日本選手には夢でしかなかった「オリンピックでメダル獲得」という目標も彼には可能なことのように思われた。

そうは言っても4年に1度のこの大会で世界中の強豪と戦ってベスト3に入るというのは並大抵のことではない。

「剣さばきのスピードでは世界一!」と言われる彼は、更に基礎体力を上げるためにここ最近は熱心にジムに通ってパワー・アップにも成功していた。

因みに、決勝で太田選手を破って金メダルを獲得したドイツの選手は、2回戦では太田選手の宿命のライバル・千田選手とも対戦して破っていた。

万一、この対戦がであったら、もしかすると千田選手が銀メダルを獲得していたかも知れない…。

たぶん、オリンピックでメダルを獲得するのには、ある種のみたいなものも必要なのだろう。


ところで、フェンシングは日本国内ではず~っとマイナー・スポーツだった。
「だった」という表現をしたが、おそらく今もまだまだマイナーなのだろうと思う。

余りにも速くて見えない剣のやり取りが一般の方には馴染めないせいか…、或いはマスクやピッタリしたユニフォームを装着しないといけないのが(特に真夏は)蒸し暑い日本の気候に向かないせいなのか…、とにかく競技人口が国内ではなかなか増えないスポーツだった。

そういう僕は(こちらのブログのプロフィールにも書いているが)大学時代はフェンシング部に所属していた。

(因みに、竹下景子さん、内田有紀ちゃん、優香ちゃんも学生時代はフェンシング部員だった!)

僕の場合、たまたまNHKテレビで中継していた大学の日本選手権大会の試合を観て興味をそそられたのと、加山雄三さん主演映画(「京南大学」のフェンシング部選手として大活躍した)「リオの若大将」の影響が少なからずあったことは間違い無い。

当時の我が福岡大学フェンシング部は、九州の大学リーグでライバルの西南学院大学と競いつつ各種目で優勝を続けていた。

それでも全国大会に出場すると、関東・関西の強豪校と対戦するに度に惨敗するという厚い壁に度々跳ね返されていた。(大学3年の時、男子フルーレ団体でようやく念願のベスト8進出を果たした!)

因みに、その関東・関西の強豪校のトップにいた選手が、まぎれもなく千田選手お父さんだった。

あの当時、大学生最強だった彼はオリンピックの代表選手にも選ばれ、(メダルはともかく)「入賞」を期待された日本フェンシング界期待の星だったのだ。

ところが、ソ連アフガニスタン侵攻に抗議するという名目で(アメリカに同調した日本政府は)モスクワオリンピック出場をボイコットしてしまった。

柔道の山下選手はじめ多くのメダル候補選手が悲しみに涙した瞬間だった。


早いものであれから30年近い年月が経過した。

今回の太田選手のメダル獲得は(何よりもご本人の日々の努力が大きいことは認めるが)「世界平和」があってこその栄冠だということを改めて言っておきたい。

ノーモア戦争!






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最終更新日  2008年08月16日 00時47分54秒
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