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当会(NPO知的生産の技術研究会)特別顧問の梅棹忠夫先生が
2010年7月3日にご逝去されました。享年90歳でした。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。梅棹先生ながい間のご指導・ ご研究、本当にお疲れ様でした。どうか安らかにお眠りくださいませ! さて、梅棹忠夫先生の訃報については、7/6の新聞各紙夕刊に出ていた と思いますが、私自身は、知り合いの新聞記者から、当日の1:40PMに は電話が入り、今フラッシュ(ニュース)で、流れていましたよ、と 教えていただきました。本当に残念でたまりません。 梅棹先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 NPO知的生産の技術研究会は、梅棹忠夫先生に、先生の名著『知的生産の技術』 (1969年)の名称を冠することを許された唯一無二の団体として、その翌年の 1970年に発足いたしました。 創立者で現会長の八木哲郎氏が梅棹先生に先生のご著書の名称『知的生産の技術』 をいただくお許しを得るためお願いしたところ、梅棹先生は、故大宅壮一氏(当時 大宅壮一塾を主宰、八木哲郎氏の指導にあたっていた)に確認し、故大宅壮一氏が 「(八木哲郎は)真面目な男だから大丈夫だ」などという趣旨の話を梅棹先生にし てくださったため、無事に『知的生産の技術』の名称を冠するお許しをいただけた という経緯があると伺っております。 2年前の梅棹先生の米寿(88歳)のお祝いに、私を含めNPO知研のメンバーが、東京 や関西、岡山から駆けつけた際には、闘病中で、車椅子ながらも、矍鑠(かくしゃく) とされ、パネルディスカッションの質疑応答の際にも、梅棹先生はユーモアを交えて お答えになっていらしたのが、とても印象的でした。 次は梅棹先生は大還暦(120歳)のお祝いですね!いや、次はまずは卒寿(90歳)で しょう!などと皆で話しながら盛り上がっておりました。卒寿のお祝いにはまた呼ん でいただき、皆で盛大に、梅棹先生を囲んでお祝いをしたいと考えておりましたのに、 悔しい気持ちでいっぱいです。 梅棹先生の訃報に接したときは、八木会長海外渡航中のため、久恒理事長とご相談の うえ、八木会長、久恒理事長の連名、知研会員一同で、長文のお悔やみ電報を打ちま した。 あまり実感がなく、信じたくもないのですが、現実として受け入れざるを得ない悲しみは、 いかんともしがたいですね。 ですが、何かにつき動かされるように、NPO知研では、2009年~2010年にかけて、知的 生産の技術に関する本の出版2冊『知の現場』(海外在住者を含む小中陽太郎先生ほか 21名の「知的生産の達人がまさに知を生み出す現場」を取材インタビューしたもの、 東洋経済新報社)『達人に学ぶ「知的生産の技術」』(勝間和代さん、茂木健一郎先生 ほか9名の「知的生産の達人」の取っておきの秘訣を取材インタビューしたもの、 NTT出版)、知研40周年記念を兼ねた「アグネスホテル東京」での『知の現場』出版記 念パーティの開催、丸の内丸善での『知の現場』出版記念セミナー(樋口裕一先生、山 田真哉さん、久恒啓一理事長の鼎談)、『知の現場』出版記念タブロイド紙の発行 (5000部)、『知の現場』出版記念特別インタビューDVD(久米信行さん、山田真哉さん、 久恒啓一理事長の各インタビュー)の制作(200部)とユーチューブでの配信、iPhone アプリ(宣伝用)を作り、4日間で世界中から1683ダウンロードがあったこと、この結果 を踏まえて、出版社で正式に『知の現場』の電子書籍化が決定!iPhoneアプリ(正規版 いわゆる電子書籍)の制作が開始されたこと、等を考えると、 知らず知らずのうちに、梅棹先生がお元気なうちに、一日も早く成果をご報告できるよう、 すべてを急いでおこなってきた感があります。 梅棹先生に喜んでいただきたいと思ったのは、特に東京・丸の内丸善での『知の現場』出 版記念セミナーでした。おそらく秘書の方を通じ梅棹先生のお耳にも、嬉しい話として、 一報が届いたのでは、と願っております。 梅棹先生亡き後、私たちに残されたのは、知的生産の技術をしっかり後世に伝えるべく、 普及啓蒙活動を、地道にしっかりと、おこなっていくということだけですね。 これからも皆で力を合わせて頑張っていきたいと考えております。 今後共、何卒よろしくご指導ご鞭撻、そしてご支援ご協力のほどお願い申し上げます。 NPO法人知的生産の技術研究会 事務局長 秋田英澪子 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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