「飛鳥寺」 飛鳥巡り パート2
前回の「高松塚古墳」 飛鳥巡り パート1の日記からだいぶたってしまいましたが今日は「飛鳥寺」のことを書いてみようと思います。ゴールデンウィーク前、テレビを見ていたら「任那(みまな)」古代・朝鮮半島南部の寺院に『飛鳥寺』に使われている丸瓦と同じ図柄の丸瓦が使われていたと言うのを聞いて「実物が見たい!」と思ったのがきっかけで『飛鳥寺』まで足を運びました(*^_^*)『飛鳥寺』(別名:法興寺)または(元興寺)奈良県高市郡明日香村日本最古の寺院として有名ですよね。蘇我馬子は物部守屋(仏教反対派)との戦いの折、この戦いに勝利したら仏寺を建立することを誓い無事に勝利したので『飛鳥寺』を建立します。私はずっと「聖徳太子」が建てたお寺だと思っていたのですが『飛鳥寺』のパンフレットに「蘇我馬子」が建立した、と書かれてありました(*_*;588年に「蘇我馬子」が発願し596年に創建(588年ということは「聖徳太子」はまだ15歳ですね・・・)「聖徳太子」は11歳の時に「蘇我馬子」の家を訪ねて弥勒像を供養したと言われています。ゲーム(DS)ばかりやっている長女(12歳)とは大違いです・・・・・・(-_-)『飛鳥寺』には飛鳥大仏と呼ばれる「釈迦如来坐像」(重要文化財)があります。思ったより結構大きいと、私は思いました。(もちろん「東大寺」の大仏には及びませんが・・・)住職さんのお話によると、元は黄金に覆われキラキラ輝いていた仏像だったのですが何度か火災に遭い今は黒ずんでいると・・・もし火災にあわず黄金のままの大仏だったとしたらとうの昔に盗難にあって私たちの目に触れることもなかったかもしれない、ふとそんな風に思いました。最後、「釈迦如来坐像」の前で合掌し『飛鳥寺』を後にしました。