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テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:アメリカのエピソード
1989年のことである。幸運にも会社から1990年6月出発という2年間の留学の機会を与えられた。
大学院で勉強しながら、プラズマ溶射を勉強しようと思い、北米で有名な先生数名に手紙を書いたところ、SUNY at Stony Brookという大学の、Dr. Herbert Hermanという先生がすぐにOKの返事をくれたので即決定! ところがFAXに付けてくれた必要項目にTOEFLで600点が必要だと書いてあるのを見てビックリ!英語の特訓が始った。しかし何回受けても最高で585点だった。 う~む、しょうがない。先生に手紙を書いた。「あと少しで600点だけど無理です。6月からUCR(University of California at Riverside:語学留学で有名だったカルフォルニアの大学)でホームステイをしながら英語の勉強をするから許して。」 先生から手紙が来た。 「ワシがOKやからOKや。心配すな」(勿論、英語) 「やった~」 で、会社でみんなに大学が決定したことを報告した。 「で、その大学はどこにあるの?」 「SUNYだからNew Yorkです。」 「New Yorkのどこ?」 「いや~、先生で選んだので場所なんか知らないよ。」 「エ~」 結局、大学が送ったという書類を待ち、書類の中の地図を見るとマンハッタンから東に伸びる、ロング アイランド半島の真中あたりにあった。 「なんだ、いいところじゃん。」 *************************** 後で分かったのだが、アメリカの大学院生は先生に給料を貰いながら、4年生までの学生の質問の面倒、テストやリポートのチェックなどを奴隷のようにやるので英語力は必須だったのだが、私のような企業派遣の留学生はやらないので、600点なんか必要なかったのだ! おい、早く言ってくれよ P.S. ワシのブログは思いつくままに記憶を文章化しており、時間を超越しておる。ごめんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.14 05:21:15
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