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Emy's おやすみ前に読む物語

Emy's おやすみ前に読む物語

  「ビロードの背中」 3 

月曜日、出社して松永を給湯室に呼び出した。
いよいよ給湯室デビューする。

「松永、私 分かったんだけど、ヒーローの男の子って
まつげが長くて背中がすっごくキレイでしょ。」

「う~ん、ヒーローの背中まではちょっと気がつきませんでした。
って言うか姉さん、あっ係長、私今日 朝から会議資料作ってて
忙しいんですよ。 後で聞きますから。
ただ、姉さん今日・・・感じが違う。」

「そう?」

「なんか、きれい。」 

松永が出て行った。短い給湯室デビュー、終了――。

でもこれで充分。正直、詳しく話せる訳でもない。
私も仕事に戻って行った。








新プロジェクトが始まり1ヶ月が経った。
仕事の順調もだが、部下からの私への
上司としての評価がとても高かった。

私は以前の評判があまり良くなかったらしい。
全ての評価に「思ったより」が付くのだが、
仕事の指導や相談はもちろん、流行の話、
芸能人の話、そして男の話まで・・・
いわゆる話せる上司と言う事で、上々だった。

ロストヴァージンが私の心に余裕をくれた。

松永からも、
「係長、最近めっちゃ評判いいですよ。
なんか私、ヤキモチです。
私以外に “姉さん” と呼ばせないで下さいよ。」


プロジェクトチームに入っていない松永は、
「一番の仲良し」を主張し、さらに続ける。

「最近忙しすぎて泊まりにも行けなくなった。
レンタルショップの右の席の男の子に忘れられちゃう。」


あの日から1ヶ月・・・。

恋人にもなれない、友達としても会い辛くなってしまった彼。
あの日から、毎日のようにあった一言だけのメールも
来なくなってしまった。

私も送ろうとしたが、何て送ってよいか分からない。
彼との関係をあいまいにしておきたかった。


――彼は私を困らせない良い子。
寝た子を起こす必要はない。――







プロジェクトが始まって2ヶ月。
取引先とゴルフコンペを行った。

状態としては、こちらが接待する事になるのだが
相手企業側が3人、こちら側が私を含めて3人。

ところが取引先の一人を除いては、全員下手過ぎてお話にならない。
2人の対戦になってしまった。

“――参ったな。”

私は前にも接待相手に勝ってしまい、上司によく叱られた。


この空気を察してか、例の1人より、
「小細工なしで行きましょう。」と言われ、
・・・私は勝ってしまった。



1週間後、前回ゴルフ接待から勝負になってしまった
取引先企業の“住吉泰樹”から、会社に電話があった。

「来週の日曜日、もう一度ゴルフしませんか。今度は2人で。」

“・・・うざいっ。
日曜日は朝寝坊して、美容院に行くつもりだったのに。
だいたい、前回は接待だったから手を抜いてやったのに。”

「はい、行きます。 では詳細を ――。」
これ以上無いくらい愛想の良い声を出し、電話を切った。

“解らせてやるか。”

・・・と思いながら臨んだのに、負けてしまった。

「意外そうですね、負けた事。僕もゴルフ大好きでね。」

私たちはゴルフ場で軽く食事を取る事にした。
なんとなく面白くなくて、私はビールを注文した。
住吉はコーヒーを飲んでいる。

「お酒、飲めないんですか?」
またなんとなく、口調が嫌味っぽくなる。

「車なんです。帰り、送って行きますよ。」



待っていると、ネイビーカラーの外国車が目の前に止まった。
助手席に座る。

“男の人の車に乗るなんて、何年振りだろう。”


運転しながら彼が話す。
「大企業の女係長なんて、どんな人だろうと思っていたけど、
ゴルフに負けたの、よっぽど悔しかったんだね。
素直に顔に出るところ、可愛いね。」

「可愛いなんて年じゃないですよ。バカにしないで下さい。」

「可愛いに年なんかあんのかよ。何歳?」

「35歳。」

「それってマジ年齢でしょ。本当に素直なんだね。
僕は36歳、ひとつ年上。」



私のマンションの前に着いた。
「また誘ってもいい?」

私は運転席の住吉を、上目遣いに少し睨むように見た。
「うわぁ、たまんないね。そういう顔する女、大好き。」

私は車を降りた。


部屋に戻るとなんだか腹が立つような、嬉しいような、
変な気分だった。






19:30 
お腹がすいて、財布だけを持ちコンビニに向かった。
コンビニの若い男性店員を見て、彼を思い出した。
再び部屋に入り、お弁当を食べ始めた。


“DVD借りに行ってみようか。 でもなぁ・・・。”


彼は私を、高嶺の花と言ってくれた。
住吉は私を、素直で可愛いと言った。

彼と住吉の年齢差は11歳・・・。



そして私は、毎日少しずつ住吉のペースにはまっていった。

先日プロジェクトの為に、私の会社に住吉を含む3人で来た。
合同の会議を開き、終わった後 住吉がチーフに挨拶すると
何を思ったか私のつむじの辺りの髪を手でクシャクシャと触った。

私が振り返ると、
「バイバイ。」
と、軽く手を振って会議室を出て行った。

一瞬、我がチームはシーンとなった。 
・・・が、後が大変だった。 

「係長、住吉さんと付き合ってるんですか?!」
正直、悪い気はしなかった。

私も仕事をバリバリこなす住吉は素敵だと思っていたし、
最初から惹かれていたのかもしれない。



また会社に電話をしてきては、私を積極的に夕食に誘い、
レストランも、場所・店・味・値段など私を満足させ、
女王様気分にさせてくれた。
話題も豊富で、私を退屈させなかった。





彼は、私の話や愚痴を静かに聞いてくれた。
時々「そっか。」と相づちを打ちながら。
住吉は、さりげないリップサービスで私を褒めて励ましてくれる。



じらして 「交際OK」 の返事を出し少し経った頃、
横浜までドライブをし、チャイナタウンで夕食を取った。

駐車場に戻り、車に乗った時、
「明日の朝まで一緒にいようよ。」

住吉から初めてこういう誘いをされた。
「・・・いいわ。」

住吉と某有名ホテルの広いロビーに入る。
「ちょっと待っててね。」

私はフロントに向かう住吉を目で追った。
慣れたように手続きし、ゴールドカードを渡す。


ダブルベッドのある、大きな部屋。
住吉も、きれいな体をしていた。




彼は、若さゆえ無駄な肉ひとつないスリムな体をしていた。
住吉は、自分に厳しく鍛え作り上げた体をしていた。




この後も、私たちは一緒の夜を過ごした。
私は住吉の部屋に、週末同棲のような形になっていた。


彼には、男性を経験させてもらった。
住吉には、男性を教えてもらった。








私は住吉に、単純に私のどこが好きなのか聞いた。

「顔が好みで、気が強いのに素直で可愛い。
仕事ができて、頭が良くて、ゴルフが上手。料理も美味しい。」



――以前、彼にも同じ事を聞いた。

彼は、テレてしまって、なかなか答えられなかった。
住吉は、私の目をまっすぐ見て答える。




目の前で米沢牛のステーキを焼いてくれるレストランに入った。
住吉は常連なのだろう。
料理人が肉を焼きながら、住吉にこう声を掛けた。

「住吉さんはいつも美人を連れてきてくれますね。」

“―― いつも?”

「うん、でも最後の美人になると思う。」
うっかり口を滑らせた、思いがけない料理人の余計な一言が
プロポーズのようになり、2人で行ったゴルフから4ヶ月、
住吉と私は2人だけの婚約をした。

20代の頃、あれほど憎んでいたゴルフがきっかけで。





今週末は住吉が会社の研修だった為、私は久しぶりに
土日を自宅で過ごそうとしていた。

“DVDが見たいなあ・・・。でも・・・。”

本当は、DVDは心の中の言い訳。
私は彼との事が常に頭の中にあった。
問題を先延ばしにして、ごまかしてきた。

もう、ロストヴァージンから半年以上の日が流れ、
彼も私の事など忘れてしまったかもしれない。
もう、私の顔なんて見たくもないかもしれない。

ただ私には、あの日から罪悪感が付きまとっている。

「その後、俺と姉さんはどうなる?」

友達のままと答えたら、相変わらず友達なままで
彼は私を抱かなかったと思う。

私は彼が好きだったし、彼とロストヴァージンしたかった。
ただ、そこまででよかった。
彼はそれを敏感に感じた。

彼は、私に対してのあらゆる言葉を遮断し、私を抱いた。
私は、彼にあらゆる言葉を飲み込ませ、私をロストヴァージンさせた。


“・・・今さら、どうなる?”

自分勝手な事は分かっている。
でも、この心のモヤモヤのまま結婚するのがどうしてもイヤだった。

私は思い切って、土曜日彼の家に行ってみる事にした。

“無視されたら、罵倒されたら、・・・それで納得。”

あえて突然、訪ねることにした。
メール連絡して、メールで喧嘩になったりするのはイヤだった。

土曜日、昼食くらいの時間を狙い出かけた。

彼の家の前に着いたのが11:30 。
久しぶりの彼にドキドキする。
手が震えながらドアチャイムを押した。

ドアが開く――。






出てきたのは背の高いモデルのような女性だった。
部屋を間違えたのだと思い、表札を確認した。
彼の名前だ。

「・・・あ、アイツの彼女?ごめんね、忘れ物取りに来て。
私、関係ないから。」

一方的に話して慌てて部屋から出て行こうとする。

「私も彼女じゃないわ。 友達かな。
あなた・・・ナツホさん?」

「そうだけど・・・あなた、誰?」

私は自分の名前を名乗った。そして、こう付け加えた。

「彼は私を “姉さん” と呼ぶわ。」

彼女は私を少し疑うような目で見て、口元だけ笑った。

「じゃ、2人ともアイツにとっては友達なんだ。
アイツ、いないよ。 ・・・ところでお姉さん、お金持ってる人?」

“このセリフ、聞いた事がある。”

「そこそこかな。」

「私、お腹すいてるの。 お昼、おごってくれない?」

“何か面白いかも。”

「いいわ。」

私も、先のナツホと同じ表情をして笑い返す ――。



私たちは、かつて彼と行ったファミレスに入った。

“―― なつかしい。”

最近ではファミレスにも入らなくなってしまった。

ナツホは迷わず喫煙席を選ぶ。

「ごめん。早速タバコ吸わせてね。」
ナツホがタバコに火をつける。

「―― でも多くないの。一日半箱くらいかな。」

彼と同じセリフ。

“そっくりだ、彼とナツホ。”

料理を注文する。彼女は遠慮しない。
サラダ・メイン・デザートまでしっかり注文した。敬語も使わない。
でもこれが彼女らしくて、なぜか好感が持てた。

「絵の関係の友達なの?」

私は否定し、自分の事を少し話した。

「じゃ、今アイツ、お姉さんを口説いているところか。」

“まさか。”

私は自分の年齢を明かす。

「年なんて関係ないよ。お姉さん、アイツの好きなタイプだよ。」

年下からは年は関係ないけど、
年上からは年は関係ある。

「アイツとは寝た?」

“初対面でいきなり・・・。”

私は迷わず嘘をつき、否定した。
ロストヴァージンの事は言えない。

「―― そう。したらいいのに。
・・・アイツとのエッチ、悪くないよ。」

ナツホだからなのか、23歳という年齢からだろうか。
このファミレスの、この昼食時に、
特に声を抑えることなく普通にセックスの話をする。

「ただ ちょっと切なくなるけどね。」
ナツホはサラダを口に運びながら話を続ける。

「アイツの・・・、ちょっと勘違いさせられるんだよね。
本当に私のこと、愛してるのかなって。
だから言ったの。もっと遊んでいいよって。そしたら、
『それって指示? それとも指導?』って怒らせちゃった。
・・・でも切なくなって、よく泣けてきた。」

サラダが下げられ、ナツホは2本目のタバコに火をつけた。

「それにアイツ、アブない事やバカな変態チックな事も言わないし。
私 2人でいる時、音楽とかかけられるの嫌なんだ。
アイツ、私が嫌がることは絶対しないし。」

「・・・。」

「もっと違うものが聞きたいでしょ。あいつの呼吸とか、吐息とか ――。
色鉛筆の音、頭を掻く音、本のページめくる音、コーヒー入れる音・・・。
くだらないおしゃべりより、ずっと価値がある。」

こんなこと、考えた事もなかった。
よっぽど彼が好きなんだって思う。


「アイツの事は大好きよ。
私、劇団入ったばかりの19歳の頃、
劇団内恋愛はダメだって言われてたのに、
ある俳優さんに夢中になっちゃって。
その人結婚してたから、奥さんも含めてメチャクチャになった。
で、その人 劇団辞めちゃったの。

看板の俳優さんだったから、一時期お客さん入らなくなっちゃって
大変だったの。今はそこそこになってるけど、
あの頃本当に極小劇団だったから。

でも、劇団長は私を辞めさせなかった。
 『ここで踏ん張って、いい女優になれ。』って。
劇団員は当然冷たかったけど、私、今まで以上に
裏方の仕事も含めて頑張ったよ。

で、次に付き合った男がまたかっこ良くってさ。
私、舞台の仕事そっちのけで男にくっついてた。
もう劇団なんか、どーでもよくなっちゃって。

・・・で、フラれるんだけど、その時も
『劇団戻って来い。』って、・・・私を2回も救ってくれた。

きっと、次 私が何やっても、この人また救ってくれるだろうなって思ったの。
だから逆に、もう絶対迷惑をかけない、劇団のルールから始まって、
全てのルールを守ろうって決めたの。
・・・ま、そんなだから劇団の中では孤立しててね。
で、外で友達作ろうって思っても、女の友達って
色々しゃべらなきゃならないでしょ。

私、そういうの面倒なんだ。その点、男は簡単だから。」

男は簡単なんて、思った事ない。
この女優の美しさと若さなら、簡単なのかもしれない。

「さっきも言ったけど、アイツの事は大好き。
でも彼氏は作らない。だから優しくされると困るの。
また同じ事、繰り返しそうだから・・・。
・・・そのアイツとも、半年位前に終わっちゃった。」

“・・・もしかして、あの日から?”

「・・・背中にね、傷があったの。」
私の心が飛び上がる。

「もう、明らかな傷。アイツ、赤ちゃんみたいな肌で
きれいな背中なんだ・・・。

そんな背中に思いっきり傷つける女って、
どんな人なのかな。うらやましくて腹が立つよ。
よっぽど、よかったのかなぁ・・・。」

意味深なヒント、本当は正解をナツホに。

「“痛かった。”・・・ とか?」

「あー、そっちか!・・・ヴァージンて事?!
それは気が付かなかった~。
・・・そっか・・・。」

ナツホはこんな話をしながらもすっかり食事を終え、
飲み干したジュースの氷を、バリバリ音を立てて噛んでいる。

「ねえ、本当はあの傷、お姉さんがつけたとか。」
私は再び嘘をつき否定する。

「そっか・・・。お姉さんだったらなって。そしたら私も
素直に敗北できるのに。お姉さんはかっこいいもんね。

私も将来、お姉さんのようになれるかな。
もしもOLだったら、お姉さん見たく係長になって
部下がいて・・・。憧れるな。」

“私がかっこいい? 私のようになりたい・・・?“

「アイツ、私に傷を見せたんだと思う。
マジな女ができたって。」
私が正直に話し、“でも今は別の人と付き合ってる”と話せば、
この若いカップルが別れなくて済むかもしれない。

ナツホは彼が大好きで・・・、
彼にもナツホがいてくれたら、私の心も少しだけ軽くなる。

“そうだ。正直に話そう。”
―― とした時、

「でも、そしたらお姉さん、半年前までヴァージンだったって
事になるじゃない。 そんなの有り得ないもんね。
やっぱ、ヴァージンの彼女できたんだね。
・・・あぁ、残念だけどこれがルール。」

“―― ごめん。やっぱり言えない。”

「あっ、こんな時間! お姉さん、私もう行かなきゃ。
話聞いてくれてありがとう。
女の人でお姉さんみたいにいっぱい話できたの初めてだよ。
今度よかったら舞台も見に来てね!

・・・あっそうだ。 これ、アイツのスペアキー。返しといてくれる? 
アイツの事、よろしくね。―― じゃ、ごちそうさまでした!」


ナツホは風のように店を出て行った。
テーブルには舞台のチラシが残っていた。
時計を見ると2時間30分経っていた。

ほとんど彼女一人で話していた。


コーヒーのおかわりを店員が聞きに来た。
いただく事にした、3杯目のコーヒー。


“背中の傷、か・・・。
自分だってキスマーク、2回もつけてるくせに。”

2人は口調やしぐさが良く似ているところがあった。
きっと二人は少ない一緒の時間を
静かに仲良く過ごしていたに違いない。
私が二人を別れさせてしまった・・・。


―― アイツ、私に傷を見せたんだと思う。マジな女ができたって。――


彼は私にマジだったのだろうか。
10歳も年上の女に。
「その後、俺と姉さんはどうなる?」

―― 正直、怖かった。
彼と未来を進めるのが怖かった。
おばさんが若い男にしがみつく姿も汚かった。

彼にとって、高嶺の花の私が
「―― もう要らない。」
と言われるかもと思うと、惨めだった。



“私も、彼が好き。 会いたい・・・今すぐ。”

と同時に、住吉にも会いたかった。

どんな言い訳を並べても、結果的にロストヴァージンの相手をさせただけ。
罪悪感で、この席から立ち上がれなかった。

住吉に寄り掛かりたかった――。



“もう、これ以上先延ばしにはできない。”
私の精神が持ちそうになかった。

彼に半年振りにメールする。
<今週の金曜日、会いたい>

返信が来る。
<バイトあり。23:00でもOK?>

金曜日、私は彼と会う。








金曜日、私はレンタルショップの前で彼を待った。
もう、外で会うのは最後かもしれない。


私はプロジェクトのチーフに無理を言って
早く会社から帰ってきた。
家に着いて、顔を洗い、化粧を直し、髪もブローし、
着替え、あの日のブレスレットとアンクレットをつけて
待ち合わせに向かった。
23:10 彼が店から出てきて、私を見つけた。

「待たせてごめんね。」
彼が私に微笑む。

髪が伸びて、少し明るいブラウンになっていた。
またカットモデルのお付き合いだろうか。
背が高く、見とれるくらい美しいのは相変わらずだった。

「酒、飲みに行こうよ。駅の反対口、少し歩くけど。」
私は彼について行く。




店に入ると金曜日のせいかサラリーマンで賑やかだったが
薄暗く、少し怖いと感じる店内だった。

カウンターに座ると注文していないのに彼の前に黒ビールが置かれた。
バーテンダーが私を見る。

「オレンジジュース。」

バーテンダーが私に聞こえるように、彼の耳元で話す。
「相手がジュースじゃ、テイクアウトは無理だな。」

彼が笑いながらタバコに火をつけた。
「―― アイツ、友達なんだ。」

オレンジジュースが前に置かれた。
乾杯とかお疲れ様とかの空気ではない。
何も言わずに口をつけた。

「・・・半年振りぐらい? どうしたの。」

「私、付き合ってる人がいて。 ・・・このまま結婚する。」

「・・・そっか。」

久しぶりに聞く、私の大好きな響き。

「驚かないの?」

「会った時、そうかなって思ったから。姉さん、感じ変わったし。」

冗談を言っても大丈夫だろうか。

「・・・可愛くなった?」
「・・・エロくなった。」
“―― えっ。”
「褒めてるんだけど。 ・・・でも正直結婚までとは。
もうちょっとで、その人と 《ロスト・・・》だったかもしれなかったね。」

「それは違う。あなたとの事があったから、前向きに進めた。
ただ、こうなった事、どう言っていいか分からなくて・・・。
メールも送れなくて・・・。本当に、あの日のことも謝りたかったの。」

「何も謝る事ないでしょ。 無理に相手したわけじゃないし。
・・・俺も望んだことだから。」

私はほんの少し安心したのか、彼の言葉に涙があふれ、
ハンカチで慌てて押さえた。

「そんな、泣かないでよ。俺、そんなにお人好しじゃないから。

・・・ところで、結婚の決め手は?
俺じゃなくて婚約者・・・つーの?選んだのは?」

正直に話すべきか迷う。・・・でも、もういい。

「・・・大人だから。」

彼は一瞬言葉を失ったように、唖然といった表情をしていた。

「・・・姉さん、きついな。 大人って、何歳の人?」

「36歳。会社の取引先の人なの。」

「大人の男か――。
悔しいくらい、どうにもならない理由だね。」


彼も私も 2杯目をもらう。

「姉さんが惚れるんだから、いい男なんだろうね。
・・・とりあえず、おめでとう。」

私のジュースのグラスに、軽くビールジョッキをぶつける。
そして、納得できないような表情をしている。

「ありがとう。でも、今でもあなたの存在は大きいわ。」
―― 本音だ。

住吉とは全く違った魅力に心が揺れる。


タバコやジョッキに彼の口唇が触れるのを見ただけで
キスしたくなる。
「ナツホさんとは?」

ナツホとは会っていないと知っていたけど、
彼の口から聞きたかった。

「会ってないよ。 もう、来ないと思うけど。」

「どうして。」

「意地悪して、泣かせたから。」

「どういう事?」

「姉さんと、朝 別れたでしょ。・・・その日来ることになってたの。
始めから意地悪して、泣かせるつもりだった。」

“相変わらず、ナツホにはサディスティックなんだ。
エッチは優しいくせに・・・。聞いちゃったんだから。”

「もしかして背中の・・・、かな?」
知っていながら、聞く。

「そこまで言わせないでよ。 その話は、もう終わり。
姉さん、俺、もう一杯飲んでもいい?」

彼は友達のバーテンダーを呼ぶ。
「モスコミュール、ふたつ。」

友達が話しかける。
「お酒大丈夫?本当にテイクアウトされちゃうよ。」

「いいからお前、仕事しろよ。」

単純に楽しそうだった。
大人の男には程遠いふざけっこが微笑ましかった。

「前から思ってたんだけど、女性に手 早いよね。」

自分からもあるだろうが、彼ならナツホのように
女性からの誘いも少なくないだろう。

「確かに遅くはない。―― って言うか、俺、姉さんには
かなり誠実だったと思うよ。 ・・・でもなぁ。」

彼の笑顔が真顔になる。
目がお酒のせいで少し潤んで、すがるような表情になる。

“・・・この目、見たことある。
男のくせに、なんて色っぽい眼をするんだろう・・・。”

「その男、いいなぁ。 俺も姉さんとしたいな。」
「―― 私も。」
・・・本音だ。

ナツホの話を聞いてから、さらに彼を知りたくなった。
彼から目が離せなかった。
時間にするとほんの数秒だと思うけど、長い時間に感じられた。

彼の真顔が笑顔になる。

「もうっ、 そんな目しないでよ。俺、子供なんだから本気にするよ。」 

“彼に 『本気よ。』 と言ったら、私たちはどうなるのだろう・・・。”


「・・・さっ、帰ろう。」

彼に言われ、時計を見た。 1:30。  
家に着くのは2:00になる。

 「ここ、持つよ。 最後に見栄張らせて。」

彼が支払いをしながら、友達と笑っているのが見えた。
私はガラス扉越しに彼を見ていた。

“今日で、最後 ――。”




帰り始めた道。 夜なお賑わうこの街。
金曜日という事もあり、ポツポツとではあったが、人の姿があった。

「姉さんのマンションまで、送らせて。」

送ってもらう事にする。
どちらからともなく、手をつなぐ・・・。

マンションに着く。

「部屋の前まで、送ってもいい?」

私はうなずいた。

部屋の前に着く。

「鍵、開けて。」

鍵を開け、玄関に入った。
彼も入り、ドアを閉めた。
彼は玄関の壁に私を立たせて、両手で囲む。
「―― キス、しようよ。」
“どうしよう。”

彼が続ける。

「姉さん・・・飲んでる時から、俺とキスしたいと思ってたでしょ。」

彼は口唇を重ねてきた。

“―― 図星だ。
彼の美しさと嫌味な言葉が、悔しいくらい合っている。
・・・ もう、どうにでもなれ。”

長いキスの間に、彼が何か言ったようだった。

「・・・え。」
「・・・だいすき。」

“大好きって言った?”

口唇を軽く重ねながら、小さく “だいすき” と繰り返していた。
やがて口唇を離し、私を抱きしめると、

「――大好き。」
と小さく言って、玄関を出て行った。

私は壁に寄りかかりながら、その場に座り込んだ――。









翌日、 土曜日。


私は住吉と会っていた。

そして日曜の午後までを一緒に過ごした。




住吉と過ごしていながら、彼の事ばかり考えていた。

住吉に「何か今日はうわの空だね。」と言われながら。




いつもは住吉の車で送ってもらうが、今日は電車で帰ってきた。


―― 早く1人になりたかったから。









駅に着いて、何だかヤケ食いしたくなった。


洋菓子店に寄り、ケーキを2個と
プリンアラモードをひとつ買った。



家に着くと、部屋着にもならずビールを開けた。


そして、食器も出さずケーキを手づかみで
立て続けに2個 口に運んだ。

ビール1本にケーキ2個。
すごい組み合わせであっという間に食べてしまった。




・・・落ち着いてきた。






“さすがにプリンにはスプーンを出そう。”

なんとなく振り返ると、鏡の中で私が見ていた。





鏡の中の私が問う。


―― さぁて、どうする?――












住吉は、包容力があり経済力があり、寄り掛かる事ができる。

彼は、若く美青年であり、私への接し方がいとおしく、
頑張って背伸びをするところが母性本能をくすぐる・・・。






“ もう、勝敗は着いたはず・・・。”




私は自分に言い聞かせる。



ベッドに入る前、またビールを1本開けた・・・。




“私は、住吉と結婚する。

 彼には、私でもナツホでもない人が現れる。

 その人は、彼の白く長い首にキスマークを。

 ビロードの背中に傷を。

 そして彼から、全身にたっぷりのキスを ――。

 その人は、彼の全てを独り占めする。



 ・・・それは、誰?



誰にも渡したくない。 手を伸ばせば、私のもの。



 ・・・でも私は、住吉と結婚する 。“



振り出しに戻る。





彼の「だいすき」が、耳から離れない。


私は欲しいものだけ手に入れる。

欲しいものは、住吉も、彼も ――。













今週、金曜日。16:00 住吉からメールが来た。

<今日、帰宅が23:00頃になる。

 先に僕のマンションに帰ってて。 

 今日、来るだろ?>



“もちろん。”


後ほど返信することにする。






17:00 返信するために携帯を開けると、彼からメールが来ていた。


<今日バイトがあるから、23:00以降なんだけど

 姉さん 俺の部屋 来るか?>











―― 会いたい・・・。 私も 切なく泣かされたい・・・。 ――








住吉からは、スペアキーを受け取っていた。

彼のスペアキーを預かって、返し忘れていた。



同じ時間、ふたつのスペアキー、2人の男。



鏡の中の私が問う。








―― さぁて、どうする?――








運命は私に容赦しない。

私の心は、ぐらぐら揺れる ――。









          ― Fin ―














最後までお付き合い、ありがとうございました。
ご意見&ご感想をいただけたらありがたいです。。。

楽しんでいただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。

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