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英国民謡好きの戯言

英国民謡好きの戯言

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2011/11/03
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カテゴリ:カテゴリ未分類

DJ竹田圭吾→青文字
アシ小林まどか→赤文字
ゲスト和合亮一→黒文字



この後はブレイクスルー。詩人の和合亮一さんをお迎えして“言葉の力”に迫ります。

東京六本木ヒルズからお送りしている竹田圭吾のジャム・ザ・ワールド。続いてはブレイクスルー。アシスタントは小林まどかさんです。

はい、よろしくお願いします。
さて注目の話題や人物にフォーカスしてニュースを読み解くブレイクスルー。今夜は文化の日の「文化」にシンクロして、文化を感じて文化を伝えてそしていろんな文化の違いを理解する上で最も重要なコミュニケーション手段の1つ、言葉の力に迫りたいと思います。

東日本大震災の発生から6日目の3月16日の夜、ツイッター上に言葉を投げかけ始めて多くの方からフォローされて共感を呼びまして、そして言葉の向こう側にある具体的な被害や、それから極限に達した人々の気持ちを代弁する詩人・和合亮一さんをお迎えしました。

こんばんは。よろしくお願いします。

こんばんは。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

まずですね、震災から今日まで間もなく8カ月が経とうとしているんですけども、これまでの活動を振り返ってみて、改めてどういう風に感じていらっしゃいますか?

震災のことを考えない日は1日もないという…そういう状況ですかね。そして今ご紹介詳しくいただいたんですけども、代弁者ということではないにしろ、なんかあの大変…紹介していただいて光栄に思うんですが。

福島の1人の住人としてこういうことを訴えていきたいとか話していきたいとか伝えていきたいということを考えていると、1日や1週間や1カ月が過ぎていってしまうという。そういう日々の連続です。

3月11日の地震があった時、それからその後に津波が来た時というのは和合さんはどちらにいらっしゃったんでしょうか。

僕は福島のいわゆる中通り…内陸の方におりました。津波の被害とそれからすぐに起きました原子力発電所の爆発の知らせとを聞いて、内陸の方も放射能の数値高かったもんですから余震と放射能の恐怖に苛まれた毎日を送ってました。

「詩の礫」という詩をツイッターで和合さんが呟き始めたのが3月の16日だったと思うんですけども、それまでの5日間というのはどのように過ごされていて、3月の16日に何故突然ツイッターで詩を始められたんでしょうか。

3月の11日の震災の夜から3日間避難所の方におりました。でもこれは家の中がとにかくもう滅茶苦茶でして。

家ってのはご自宅?

はい。ガラスの破片が飛び散っていて子供が一番心配だったんですね。それでガラッと開けたら、あっこれはなかなか中に入れないな。で、それでお父さん先に入るからそこで待ってなさいって言って入った途端に足怪我しまして(笑)。それでこれは少し落ち着いてから、とにかく余震が静まってから家に戻ろうと思って。そういう方が避難所にたくさん…福島の避難所に様々集まりましてですね。とりあえず余震の心配に怯えて夜を明かしたという方々。そういう方々と一緒に見つめておりました。

16日に詩を突然呟き始めたのは何かきっかけがあったんでしょうか。

3日間過ごした後に自宅に戻ったんですね。その後原子力発電所の爆発がずっと続きまして、それで家内と息子を…家内が山形実家なものですから3月16日に避難していったんですけれども。

そこで私が1人になって、それでまだまだ余震と放射能がずっと頭の中にあってですね、それでこのまま暮らしていくこの気持ちをそのままに伝えたいという風にその時思いまして。それはたぶん1人になったというところから始まっているのかもしれないんですけども。

1人になって詩人としての…詩を書く人間としての自分を意識したということでしょうか。

いわゆる今生の別れみたいな感じだったんですね。

今生の別れ…。

たぶん妻と子供には会えないだろう。そういう気持ちが凄く強くあって。
これ私だけじゃなくて福島の皆さん決意して家族の別れをして妻と子供が避難して父親は職場に残ってっていう、そういうことが大変多くてですね。私もその中の1人で。妻と子は避難していって、これから先会うことも難しいんじゃないかって思った時に本質的に1人になったんですね。その孤独感がもの凄く強くなって。

それが僕は詩を書いてきたのでそのまま言葉になっていったという。そういう時間でした。

「詩の礫」なんですが、このタイトルはどういう思いがこもっているんですか?

目の前ががれきの世界になってすべてが崩壊したような、そういう気持ちになりました。それまでは絶対福島は地震が来ても大丈夫っていう。

実は福島は下に岩盤が広がっていて、小林さんも福島にいらしたということで。

いました、はい。

岩代の国と言われてたんですよ。「岩」に代々の「代」と書いていて、代々岩が守ってくれる。そういう土地だという風に祖母とか祖父に言われて絶対大丈夫だと言われていたんですけど、その絶対とあと原子力発電所は絶対大丈夫だって言われてた。

二つの絶対が目の前で崩れた時に僕自身の書いてきた詩ですよね。ポエジーというか詩を書くということの絶対性もまた崩れていって、それで「詩の礫」というタイトルがふっと浮かんできて。これでやってみようかなって思いました。

ちょうどツイッターってのが140字という文字の制限があって。これも礫っていう表現が割とぴったりくるのかなとも思ったんですけども。何故ツイッターだったんでしょうか。ネットで普通にもっと長い表現で詩を書くことも可能だったと思うんですけれども。

これが不思議なんですけどね、簡単に言うとひらめいたって言いますかね(笑)。

ツイッターで…今のこの状況をリアルタイムに伝えるにはツイッターが一番いいのではないかという風にひらめいたんですね。

震災前は実は少しだけやってるんですけども、だけど自分にはツイッターは向かないなって思って。10個ぐらい呟いているんですよ。だけどフォロワーも7人ぐらいしかいなくて(笑)。これ向かないなと思って(笑)。ツイッター止めてるんです。1月の9日に始めてそこで止めてるんですけども。

ひらめいたんですね。ツイッターで今のこの状況をとにかく思うがままに、そのままに皆さんに伝えることができないだろうか。そういうところから始まっていったんですけども。
誰が読んでくれるっていうそういう意識もまったくなかったので、窓を開けて夜空に叫ぶようなそんな感覚でしたね。どちらかというと。

結果的にその後2ヶ月3ヶ月という風にツイッターで詩を呟き続けられたということは、ツイッターで自分の思いであるとか、悲しみとか怒りみたいな感情・思いを表現することができる・できたという実感があったんですかね?

実感がもの凄くあったんです。

竹田さんがおっしゃったように140字の世界というのが、これがいわゆる定型の世界っていうか、140を超えたら届かないんですよね。

僕の頭の中にあったのは、小さな箱の中に今のこの福島の現状をメッセージとして盛り込んでは誰かに投げて、そしてまた違う箱に盛り込んでは投げてっていうそういう印象だったんですけども。

私に必要だったのは言葉とかメッセージよりも小さな箱だったんですね。その箱があってその箱に盛り込むという、メッセージを盛り込むということができたのも形があってだったんですね。

だから日本語って不思議なんですけど、短歌とか俳句のそういう伝統形式がずーっと続いてるんですけど、定型と日本語ってのは基本的に兄弟のように結びついているところがあるんだなって改めて思いましたね。

もう1つ、和合さんのご活動で印象にあるのは日本中のいろんなとこ行かれてご自分の詩を朗読されているんですけど、朗読することで何か別な意味とか引用が詩に与えられるっていうことなんでしょうか?

朗読するというのが僕は20年間ずっと続けてきて詩を書き始めたのと朗読というのがほとんど一緒なんですけど、五感を使うんですよね朗読って。

そう言いながらこれから朗読するのは非常にプレッシャーなんですけど(笑)。

皆さんの前で、お客さんの前で呼吸を感じながら朗読するというのが、それが自然と頭の中に言葉が降ってくる瞬間と似てるんですよね。音が最初なんですよ。言葉が浮かんでくる時音が最初でその後言葉が見えてくるような。そんな風に自分が朗読をしていきながら変わっていったんですよね。

その和合さんの思いが凝縮されたものが詰まったこの箱ですよね。その「詩の礫」の中からここで朗読を是非お願いしたいと思います。

震災に遭いました。
避難所にいましたが、落ち着いたので仕事をするために戻りました。
皆さんに色々とご心配をおかけしました。
励ましをありがとうございました。
本日で被災6日目になります。
物の見方や考え方が変わりました。
行きつくところは涙しかありません。
私は作品を修羅のように書きたいと思います。
放射能が降っています。静かな夜です。
ここまで私達を傷めつける意味はあるのでしょうか。
ものみなすべての事象における意味などは。
それらの事後に生ずるものなのでしょう。
ならば事後そのものの意味とは何か。
そこに意味はあるのか。
この震災は何を私達に教えたいのか。
教えたいものなぞないのなら、尚更何を信じればよいのか。
放射能が降っています。静かな、静かな夜です。
屋外から戻ったら髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。
私達にはそれを洗う水などないのです。
私が暮らした南相馬市に物資が届いていないそうです。
南相馬市に入りたくないという理由だそうです。
南相馬市を救ってください。
あなたにとって故郷とはどのようなものですか。
私は故郷を捨てません。
故郷は私のすべてです。

今ですね、2011年3月16日の4時23分から4時44分までのツイッター、呟きを続けて朗読していただいたんですけれども。

やはりその文字制限の中でいろんなものがそぎ落とされて。だからこそ響いてくるというのもあるんですかね。



続く。





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Last updated  2011/11/03 11:51:39 PM
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