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英国民謡好きの戯言

英国民謡好きの戯言

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2011/11/03
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カテゴリ:カテゴリ未分類

続き。



DJ竹田圭吾→青文字
アシ小林まどか→赤文字
ゲスト和合亮一→黒文字



文章だけで読むのとやはり違うのと、あと録画したものでは和合さんの朗読私拝見したことあるんですけど、やっぱりさっきおっしゃってたように1回1回おそらく微妙に違う読み方なのかもしれないなという風に感じました。

特に「放射能が降っています。静かな夜です。」という、「放射能が降っています。(まる)静かな夜です。(まる)」で1つのツイートなんですけど、ほかのいろんな詩を読ませていただいても結局ここに戻ってきてしまうんですよ、僕は個人的には。これがすべてを語っているような気がして。

詩の力、それがツイッターっていうもので表現された時に、今回何か特別な力というかメッセージみたいなものを持つようなのを実感します。


J-WAVEジャム・ザ・ワールド、ニュースの先を読むブレイクスルー。今夜は福島県福島市を拠点にする詩人・和合亮一さんをお迎えしています。和合さん引き続きよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

そして先ほどはその「詩の礫」から朗読していただいたんですけれども、和合さんは避難所となった福島県郡山市にある展示場ビッグパレットふくしまのこれまでの記録をまとめた本である「生きている 生きてゆく:ビッグパレットふくしま避難所記」にも詩を寄せていらっしゃるんですよね。
今日も竹田さんも用意されてますけれども。


ほかの本よりも大型でビジュアルがたくさん使われています。避難所の色々な様子、避難所に暮らしていらっしゃる方の様子がテレビなどで断片的に報道されているものだけではなくて、ペットだったりとかご高齢の方とか非常に細かく報じられてます。

それに和合さんの詩も一緒に掲載されているというんですね。


一番は足湯…えっと、この避難所のある場所に足湯の場所を設けたんですね。それで避難者の方がそこの足湯に来てリラックスする。足湯のボランティアの方が足をマッサージする。

その時に出た呟きをマッサージしている方がその後書きとめて。ここに載っているのは避難者の方々がふと漏らした心の底から出た言葉なんですよね。だからある意味僕もツイッターをずっと…今もやり続けているわけなんですけど、その呟きというものの力というのをこの本をもう一度できあがって拝見してですね、私自身も改めて見直して感じたところですね。

こうして見てみると被災者の方達の笑顔っていうのもたくさん収められているんですよね。

そうですね。被災者の方々というのは…このビッグパレットは県内で一番大きな避難所なんですけれども、このビッグパレットが生活圏となって、そこには様々な物語があった様子をうかがって…何度かきましたけども。

いろんなものを乗り越えてその笑顔なんですね、この写真に収められているものは。段々と、最初のうちは漠然としていた避難所の中が自治組織のようなものができたりコーヒーを飲むようなところができたり。あとコミュニティーFMのようなところができたりみんなで遊ぶ場所ができたりお風呂入るところができたりして、段々とこの自治空間になっていって、その時に生きるとは何か? 町の暮らしとは何か?っていうことをみんなで考えて。

そこの考えた先にたどり着いてる笑顔のような、そういうものがたくさん見受けられるんですね。

面白いのはこの避難所の中でコミュニティーFMを作って、それでボランティアでコミュニティーFMが運営されていて。いろんな方が番組をここでやってですね、避難所の方がラジオを聴いているんですけど。このお話うかがっていて、公開録音とかよくされるんですけど。

みんな公開録音の場所に集まってラジオ片手にですね、公開録音聴きながらラジオ耳で聴いてるっていう(笑)。そういうことが多かったみたいですね。

今までそういう風に人前で自分の思いとか感じたことを言葉で表現したことがなかった方々ですよね。

そうですね。

そういう方々が今お話あったようなコミュニティーFMみたいなところに出てきて、自分で番組にも出たりとかってのは何か発露するようなものがあったということなんですかね?

そのビッグパレットの避難所の1つの建物の中に町のすべてが出来上がっていたっていう。そういう印象が私、取材で伺った時に思ったんですね。

だから町っていうのは場所を変えてもそこに人間の暮らしがある限り、1つの何か円環するような真理というのを町は持っているんだなあって改めて思いましたね。

だから何かものを作る人もいれば困った人達に手をさしのばす人もいれば、頼る人もいるし何か教える人もいれば何かを作る人もいるっていうそういうものが避難所の暮らしの中で見えました。

それではその「生きている 生きてゆく:ビッグパレットふくしま避難所記」の中からここで朗読をお願いします。

おやすみなさい。
眠れないのなら私がかたわらで聞いてあげる。
おやすみなさい。
そして眠れないその理由を。
悲しいのなら私が一番先に聞いてあげる。
ひどい話だ。
やっぱり悲しいその理由を。
怒りたいのなら私が叫びを受け止めてあげる。
どこにもぶつけようがない。
そうさ怒りは静かでも激しい。
私。
私は誰。
私は日付変更線の先の明日。
です。
夜明けです。

このおやすみなさいというのは誰に向けたおやすみなさいなんでしょうか。

ツイッターで詩を書いている時に必ず終わりに「おやすみなさい」って書くようになったんですけども。

一番最初に思い浮かべてたのは避難所でなかなか寝付けずにいる方々に最初は書いていたんですけど。段々と僕自身がこの「おやすみなさい」を書いて、今日の1日を閉じます、読んでくれてありがとうございましたっていう気持ちに変わっていって。

だけどその中には明日は何かいいことがあるといいですねっていうそんな気持ちも込めて書いたんですね。

だから必ず…ツイッターを発信する時はどうしても夜遅くなっていくんですけど、夜更けにですね、最後に「おやすみなさい」って書くとなんか自分の気持ちも「次へと向かって行こう」って。だけどここにこう書いた本当のおやすみなさいというのは明日の朝に向かっていく、その前向きな気持ち。

それを避難所で色々取材をしていくうちにある方がですね、避難所に来てとても塞ぎ込んでしまって少し気持ちがもう絶望の中で這いあがれないような、そんな気持ちでいたと。その時に「なんでも話してください」っていう方が避難所の中にいらっしゃって、それでその人に空っぽになるまで話をしたと。そしたら本当に自分が空っぽになって言葉がもう空っぽになるまで話をしたら、頑張ってみようっていう気持ちになった。

そういうことを取材して聞いた時に私でよかったら話を聞きますっていう、そういう気持ちをここに込めたんですね。だからおやすみなさいって言いながらそれは自分に向けた気持ちでもあるし、また明日出会う誰かに向けた、そういう光が見えるような一言にしたいなと思ってます。



続く。





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Last updated  2011/11/03 11:49:07 PM
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