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祭日。快晴。
こんな日はまず布団を干す。洗濯物も。これで今日の主婦業は十分に果たされた。 二人の幼児を連れていつもの公園に。なんとなくだるいのでお弁当はさぼる。昼にショッピングセンターに出掛けて中の食堂でラーメンでも食べよう、と心でほくそ笑む。久しぶりの贅沢。最近は長男もお利口さんで食べるから楽になった。 公園はいつもと違い、小学生が遊んでいる。遊具の隅っこで中学生が携帯を無心に見入ったり、あるいはもう一人は、何故かこの屋外でゲーム機とにらめっこしている。 こんな日の幼児達は、小学生にとっては誠にのろい障害物で、中学生には鬱陶しい生き物である。 おばさんはそんな余計な心配をするのがめんどくさくなって、「山へ散歩に行こうか」と突如提案をする。 長女は大喜びし、長男はわけもわからないくせに飛び跳ねる。 向かう目標は山の上の神社。「山」といっても標高なん百というものではなくて、この格好でこの持ち物で、幼児が歩いて行ける山である。 新芽も吹いていない山を歩くのは、落ち葉に足を滑らせないよう気を付ける以外は、考えてみれば今が一番いい時期かもしれない。蛇が出ない、蜂がいない、新緑に覆われていないので細過ぎる山道が確認できる、空が見える。もちろん、「花粉症」の世話になっていないことが大前提であるけれど。 歩く、歩く、歩く。 長女はさすがに山育ちだ。先頭を勇ましく歩いている。身長約105センチ、体重約16キロの隊長さんだ。 長男を真ん中にして、登る、登る、登る。長男が両手を付いて登ろうとするので手を貸してやる。その懸命な姿を見ながら、何故かポケットの携帯電話を確認する。万が一の時はこれがある。 約30分。頂上の神社にたどり着く。そこからは絶景である。おばさんの生まれ育った街並みが見える。傍らで深呼吸しているこの幼児達がこれから育っていく街並みでもある。 帰り道は違う道を通る。なんということはない。裏から行けば山登りだが、その山の表側、つまり国道側は半分削られ、住宅地になっている。山の急斜面に、お行儀良く戸建住宅が並んでいる。どこかのハウジングセンターでもお邪魔しているかのような気分で通り過ごす。国道に出て両手で幼児の手を固く握り、歩道を行く。砂利を積んだダンプが遠慮なく走っていく。これも昔から変わってない。 おばさん親子は車に乗り込み、ショッピングセンターの食堂に向う。空いている。 歩いたせいか、幼児達はいつもよりよく食べている。その分、おばさんも落ち着いて食べられるのだ。ありがたい。 誰かが当たり前みたいに店内のテレビを付けた。テレビからは遠くて音声は聞こえない。 暗い画面に緑色の閃光。なんで緑色なんだろう。 字幕が少し出て状況が理解出来る。 他のお客も手を止めて画面を見つめている。無言で。 「アルジャジーラ」「フセイン」というカタカナ、「家族」「無事」という漢字が遠目からも確認できて何を伝えているのかがわかる。 突然、長男が「やめて」と叫ぶ。何事かと傍らを見ると長女とシナチクの取り合いをしている。なんとかなだめて半分こにして解決させた。 おばさんのいつもの一日。誰がこの幸せを破壊しようとしているのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 21, 2003 11:42:20 PM
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