053721 ランダム
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☆Walking in Jesus☆

☆Walking in Jesus☆

イエスさまとの出会い

ぼくが始めてキリスト教に触れたのは小学校5年生の時でした。

ぼくは神奈川県逗子市というところに住んでいて、今もそうですが、毎年夏になると逗子海岸で花火大会があります。

その年、夏の花火大会に兄といっしょに見に行きました。

さて、海岸に近づき、入口に差し掛かろうとしていたとき、数人の妙に元気な人たちが何かを配っていました。ぼくは「何だろう?」って思い、それをもらいました。

それは「イエス・キリスト」と書いてある小雑誌のようなものでした。それには新約聖書の福音書がコンパクトに書かれていて、挿絵もついている約6~7ページほどの小雑誌でした。

花火大会が始まるまで時間があるので、海岸に座り、それを何の気なく読みました。読んでいるとどんどんとその中に入っていきます。

そしてビックリしました。それまで「イエス・キリスト」のキの字も知らなかったですが、それを読んだとき、本当に衝撃的でした。

「これはすごい!! イエスさまってすごいなぁ! 目の見えない人を見えるようにして、死んだ人を生き返らせ、歩けない人を歩かせたり、病気の人を治したり。しかも十字架で死なれた。これはすごい!!!」

それを読んで「ぼく、クリスチャンになる!!!」ってその時思いました。今考えても本当に不思議な出来事です。

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その次の週、家の近くにある教会に行きました。そしてそのもらった小雑誌を何度も何度も読み返しました。そしてそれから毎週教会に通いました。

通ったのはいいのですが、大人の礼拝に出ていたので内容は全然わかりませんでした。というのも教会学校に誘われていたんですが、境界学校は幼稚園児の行く所だって思っていたので断って大人の礼拝に出席していました。

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さて、教会にも半年過ぎまで通ったのですが、段々と足が遠のきました。そして6年生になると行かなくなってしまいました。

中学生になりました。中学に入ると段々と「自分」というものが見えてきて、自分が空しくなってきました。当時いじめに会っていたりして、内面はボロボロでした。

そして中学2年生になり、ついに登校拒否をするようになりました。本当に空しかったです。当時、ラジオの深夜放送を聴いてはディスクジョッキーの言葉に慰められていました。

そしてお酒に手を出し始めました。タバコも吸いました。何とか空っぽな心を満たしたいって思ってました。空しくてしょうがなかったです。

そんなこんなでその生活が1年近く続き、あと1日休んだら留年だって宣告され、そしてしょうがなく学校に行きました。

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でも内側は変わっていません。教室に座ってはいるけど、でも心は外です。窓から見える山や道を見ては、このままここから抜け出してどこかに行きたいって思ってました。

そんなぼくに大事件が起こったんです。

それは中学3年の冬の事でした。その日、何の気なくテレビをつけ、「何かおもしろいテレビはないかな」って思いながら、チャンネルをかちゃかちゃって変えました。そうしたらキリスト教の番組がやってました。

ぼくは懐かしいなぁって思いながらその番組を見だしました。その番組はアメリカの番組でショーアップされた番組で、いろんな歌が歌われていました。

その番組の中で盛んに言われていたのは「あなたは愛されています」というフレーズです。コマーシャルがあり、そのコマーシャルの中でも「あなたは愛されています」って言ってました。

そしてメッセージが始まりました。その内容も「あなたは愛されています」です。「イエス・キリストはあなたの罪のために十字架にかかり、3日目によみがえったのです。このお方を信じれば罪赦され、自由にされます」っていうようなことを言っていました。

ぼくはそのメッセージを聞きながら、これも不思議なんですが、罪がはっきりわかったんです。「ぼくは罪人だ」って。そして番組を見ながらポロッと涙が頬に流れてきました。

メッセージも終盤で「もし今、ブラウン管の前にいるあなたもイエスさまを信じようと思ったらテレビの前で手を上げてください」って言いました。

ぼくは手を上げました。そしてそのメッセンジャーの人の後について祈りました。

それから本当にぼくの内面が変わりました。悩みに満ちていたんですが、笑うようになりました。もちろんお酒もたばこも見向きもしません。テレビガイドを買って、キリスト教番組をチェックして、それを見るのが楽しみになりました。日曜日にその番組がやっていたのですが、日曜日が楽しみでなんと夜8時には寝るようになったんです。

本当に変わりました。かつて好きだったものが嫌いになり、嫌いだったものが好きになりました。

それは今も変わりません。このイエス・キリストというお方はぼくのすべてのすべてです。

今振り返ると、ぼくは小学校5年生の夏からずっと神様に覚えられていて、捕えられ続けていたんだなって思わされています。

イエスさまに愛されているんだなってしみじみと感じています。

ー私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのですー

これからのビジョンに続く。。。




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