2007/02/11(日)08:26
菜の花を通して
こんにちは~今日は少し寒い一日でした。でも2月っていう月を考えるとどうなんだろうなぁって感じます。さて今日は朝から出かけました。で、行きに駅に行くまでの道を周りの景色を見ながら歩いていました。そうしたらよその家のガーデニングなんですが、菜の花が綺麗に生えていました。菜の花が目に入って、もう春に向かってるんだなぁ~とか、このまま冬らしい冬もなく春になるのかなぁって考えました。それと菜の花ってまだちょっと早いような気もしました。
そんなことをぼんやり考えながら駅に向かい、電車に乗ったんですが、車中、ふっと一つの思いが内側に来ました。たった一本の菜の花、この花の鮮やかな黄色は神様が創造された色なんだなぁって。そして可憐な菜の花の美しさは神様の創造の現れなんだなって。
都心に行けば大高層ビルが建ち並んでいます。そして夜になれば、よく「何万ドルの夜景」っていいますよね、綺麗な夜景とかネオンで光り輝きます。時にロマンチックな思いになる方もいます。でもこれら、人工的に人間の最高傑作として作られたものですが、たった一本の菜の花の美しさには適わないって感じたんです。人間がどんなに神様の創造を超えたことをしようとしても、神様の創造の御業の前には幼い幼児の行動そのものです。それを知らずに人間は自分のエゴとプライド、神様抜きで自分たちで何でも出来、いくらでも可能性があると信じ込んで行動しています。約40年前に月に行った宇宙飛行士が月から地球を見て神様を見いだし、後に伝道者となったという事を聞いたことがあります。神様の創造の御業の前に人間はどんなにはかなくおろかで小さな存在か、電車の中で思わされ、その神様に信頼し、神様を畏れる歩みをしていくことの大切さを感じました。マタイの福音書の中でイエス様はこう言われていますね、野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾っていませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ6:27~30)
その時、このみことばを思い出したんです。神様は私たちの必要を全て備えてくださっているんですよね。そして野の草を、野のゆりを、そして菜の花を装い、そこに命を注がれた神様は、私たちにも主御自身のいのちを注いでくださっています。この神様のいのちによって生かされているんです。そしてこのいのちの流れの中で自由に歩んでいきたいです。ハレルヤ!明日は礼拝ですね。主がそれぞれの教会の礼拝を豊かに祝福してくださいますように☆ではでは =================================== ※いつもありがとうございます。
今、「スィーツバイブル」というメールマガジンを発行しています。新約聖書ヨハネによる福音書からのバイブルメッセージを毎週金曜日にお送りしてます。 まぐまぐ! メルマ! めろんぱん カプライト
上のメールマガジン発行サイトの名前をクリックして、そこの登録フォームにご自身のメールアドレスを入力して登録してください。
ぜひぜひご登録してくださればと心から願っています。どうぞよろしくお願いいたします。 またお友達や教会の方にも紹介してくださるととってもうれしいです。どうぞよろしくお願いします<(_ _)>