000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

☆Walking in Jesus☆

PR

X

全4件 (4件中 1-4件目)

1

証し

2006年12月31日
XML
カテゴリ:証し

こんにちは~スマイル

今年も早いもので終えようとしています。

今22時半、後1時間半で2007年です。

今年一年を振り返ると、本当にいろんなことがありました。

昨年まで腰から下にもの凄く強い痛みとしびれが出て、座るのも辛い状態、何も出来ないような状態が続いていましたが、今年になって突然に痛みとしびれが取れて動けるようになりました。

でもそれと同時に昨年末からなんと、なんと、、、、

髪の毛がドバドバと突然に抜け出して、頭皮が見えるまでに抜けてしまい、そんな状態でのお正月でした。

病院の診断は全体性の円形脱毛症とのこと、お風呂に入ること、髪の毛を洗うことが怖くてしょうがなかったです。

お風呂に入ると、湯船に髪の毛が思いっきり浮いているし、朝起きると枕には髪の毛、髪の毛、ケケケケケ、、、、

椅子に座って背もたれを見るとそこにも髪の毛、、、、

今年は体調が癒やされたのと同時に髪の毛が抜けて、どういう年なんだろうって思いました。

  

でもそんなスタートでしたが、この一年を振り返ると、神様が新しい一歩を踏み出させてくださった一年だなって感じます。

ブログを通していろんな方と出会えて主にある交わりを持てました。主にある友が与えられたこと、本当に心から感謝しています。

  

昨年休職して治療に専念しましたが、今年はそれまで働いていたところは止めて、全く違うところで働くことが出来ました。

と言ってもアルバイトなんですけどね。。。。

でも昨年までのことを考えると、それでも導かれたこと、感謝です。

  

そして今年の後半、9月からはメルマガもスタートしました。

ヨハネの福音書から少しずつですが、発行し続けています。

少しでも読まれている方の信仰が、このメルマガを通して強められますよう、祈りつつ書いています。

ここまで毎週金曜日途絶えることなく書けていること、心から感謝しています。

  
  
それと今月12月からはWebデザイナーになるためのオンラインスクール、通信制の短期の専門学校なんですが、そこに入学して勉強することへと導かれました。

このwebデザイナーということも、主から思いが与えられて導かれたことです。

この働きがどうなるのか、今の段階では全然わかりません。

でも主は思いを起こし、それを実現されるお方です。

今はそれに信頼して学んでいます。

  

そうそう、それと今年の7月から教会を移りました。

お正月、旧約聖書の創世記を読んでいて、アブラハムの箇所を読んでいた時、アブラハムはある時、神様から旅に出るように言われて、その神様の指示に従って旅に出ました。

ベテルというところに着いた時、彼は祭壇を築き、そこで主を礼拝しました。

でも、その後飢饉があった時、彼はそれまで神様に聞き従っていたのに、その時に限ってエジプトが豊かだからというだけの理由で、旅の方向とは逆の位置にあるエジプトに行きました。

彼はエジプトに行ったんですが、そこで大変な試練に遭いました。

そして結果的に神様に助けられて、エジプトを出て再びベテルに戻りました。

彼はそのベテルで再び礼拝をしたのです。

---------------------

ぼくはここを読んで、一つのことを思いました。

当時、ぼくは電車で1時間半もかかる東京にある教会に通っていました。

でもそれって本当に主の御心なのかなぁって。。。

というのもいつも電車で鎌倉、大船と電車で進む度に、主はここに今導かれているのに、どうして東京に行くんだろうって電車で進む度に感じてたんです。

そして自分にとってのベテルってどこだろうって、この創世記のアブラハムの箇所を読んだ時に考えました。

そして祈りの内の結論は「東京じゃない」っていうことです。

そして1月第一週の日曜日の夕方、当時の教会の牧師と相談して教会を移ることにしました。

でも教会の奉仕の引き継ぎなどで直ぐには移れなく、結局、7月に移りました。

それが今行っている教会なんですが、移ったことは御心だったなって感じています。

本当に恵まれています。

 

後体調なんですが、体は90%以上癒やされました。

それと髪の毛、今はふさふさです。普通にのばしています♪

髪の毛があること、感謝です☆

  

これがこの一年間の歩みです。

今年のお正月、一つの思いが主から来ました。

それは「一歩踏み出す」ということです。

結果的に一歩踏み出した一年だなって感じています。

その一歩も自分の力とか思いというよりも、主が踏み出しなさいって促されて踏み出したっていう感じです。

 

2006年も後30分程で終わりです。

一年間、本当に感謝で一杯です。

主の導きは確かですね☆

24時までの30分間、暫くこの恵みを感謝して、主を礼拝します。

   

だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。(コロサイ4:16-17) 

   

一年間、おつきあいくださって心から感謝しています。

どうぞ来年もよろしくお願いしますウィンク

ではでは ウィンクバイバイ

=================================== 

※いつもありがとうございます。
今、「スィーツバイブル」というメールマガジンを発行しています。新約聖書ヨハネによる福音書からのバイブルメッセージを毎週金曜日にお送りしてます。

まぐまぐ!   メルマ!   めろんぱん   カプライト

上のメールマガジン発行サイトの名前をクリックして、そこの登録フォームにご自身のメールアドレスを入力して登録してください。
ぜひぜひご登録してくださればと心から願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

またお友達や教会の方にも紹介してくださるととってもうれしいです。どうぞよろしくお願いします<(_ _)>   

 







最終更新日  2006年12月31日 23時32分23秒
コメント(2) | コメントを書く


2006年04月24日
カテゴリ:証し

こんにちはスマイル
今日はぼくがクリスチャンになった時のとっても不思議な体験について書きますきらきら

フリーページでも書きましたが、ぼくは中学3年生の冬にイエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。そしてその翌年の4月から教会に通うようになりました。

毎週教会に行くことはぼくにとって心からの喜びでした。

そしていろんなキリスト教のテレビ番組を捜して見ていました。これも不思議なんですが、当時はキリスト教の番組がけっこうやっていたのです。

そしてそういう番組を通していろんなクリスチャンのお話を聞き、学んでいました。

それはとっても幸せでしたきらきら

☆★☆★☆★☆★☆★ 

さて、教会に通うようになってから数ヵ月後の事です。

その日も教会に行き、礼拝をささげていました。そして牧師の説教も終り、お祈りをされていたとき、「お祈りの途中ですがそのまま目を閉じたまま聞いてください。もし今日イエス様を信じたいという方は手をあげてください」と言われました。

ぼくはその質問を聞きながらあのテレビの前での出来事を思い出していました。

そして質問は続きました。「もしイエス様を信じて洗礼を受けたいという方は手をあげてください」と言われたのでした。

ぼくはクリスチャンとなるきっかけとなったキリスト教のテレビ番組やそこから出版されている本、またその他のキリスト教番組を通して洗礼の意味は知っていましたし、受けたいと思っていました。

そしてぼくは直ぐに手をあげたのですOK 

ビックリしたのは教会の人たちでした。大人の人たちを対象に質問したそうで、まさか高校1年生の男の子が手をあげるとは思わなかったそうです。しかも間髪入れずにです。 

でもぼく自身は真剣そのものでした☆

それから洗礼を受けるための勉強会が始まりました。

その時から大変な経験をしたのです。

☆★☆★☆★☆★☆★

「洗礼を受ける」という決心をしてからというもの、ぼくの内側で何か変な思いというか声というか、そういうものが聞こえてきたのです。

それはこういう思いでした。
「お前は本当にクリスチャンだと思ってるのか?お前がこれまでしたことを思い出してみろ。中学生のくせにタバコを吸っただろう。お酒も飲んだろう。キセルをしただろう。万引きもしただろう。。。。うぬぼれるのもいいかげんにしろ!クリスチャンになるというのはもっと普通の人のなることだ。自分の立場をよく考えてみろ!」

ぼくはその思いがくるたびに落ち込みました。まったくそのとおりだと思い、その度にへ込みました。

でもそれと同時に「いや、違う!ぼくはイエスさまを信じたんだ。救われたんだ!」っと思いました。その連続でした。

☆★☆★☆★☆★☆★

その年の秋、キリスト教のテレビ番組で「キリスト教の伝道集会が東京であるから来てください」というような案内をしていました。

ぼくは「これは大変だ!行かなくちゃ!!!!!!」って思い、電車で行きました。

そしてそのお話しを聞き、その中で「イエスさまを信じる人は手をあげてください」とその講師の先生が言われたので、ぼくは手をあげました。

そして「信じた人は前に来てください」と言われたので前に行きました。

そしてそこでクリスチャンの方からカウンセリングを受けました。

その帰りは嬉しくてウキウキしながら帰りました。

ところがその喜びの帰りの電車の中でまた声と言うか思いが来ました。
「何をうぬぼれているんだ!自分のこれまでやってきたことをわきまえろ。」

途端にシュンとなってしまいました。。。

☆★☆★☆★☆★☆★

さていよいよ洗礼の日です。それは12月のクリスマスの前の日曜日です。

当時その年一番の寒さと言われていました。

その朝も救われたきっかけのキリスト教の番組を見ていました。

それはエルサレムからの放映で、クリスマスの意味についてわかりやすく話されていました。

そして礼拝に行きました。

説教も終り、いよいよ洗礼式です!

白いガウンみたいのを着て、まず簡単な洗礼を受けるまでの事を話し、賛美をし、洗礼を受けるための水槽に入りました。

「うっ、冷たい。。。」

でも水の冷たさ(もちろんお湯交じりです)も慣れてきました。

そして洗礼がほどこされました。

☆★☆★☆★☆★☆★

牧師がまず「イエス・キリストの御名によって洗礼を施す」と言って、そして水槽の水の中にぼくを沈めました。

その時、今でも忘れられない不思議な経験をしたのです。

水の中に沈められて水から出た瞬間です。

体中が暖かくなり震えてきたのです。そして内側から喜びというか嬉しさがこみ上げてきました。

その瞬間「救われた~!!!」っていう思いが全身を駆け抜けたのです。

それ以来、「うぬぼれるのもいいかげんにしろ!」という声も全く聞こえなくなりました。

そしてイエス様によって救われたことに対する疑いや不安も全くなくなったのです。

この時からもうずいぶん年月がたっていますが、今も全く無いです。

今振り返ると明らかに「サタンの声」でした。でもサタンがどんなにイエス様を信じることを止めさせようとしてもそれは無駄な足掻きでした。

それはイエス様は決してぼくを見放されるお方ではないからです。

ぼくの友人で今は牧師になっている人がいて、その人が大学時代聖書研究会のリーダーをされていた時にこういうことを言っていました。

「来る者は拒まず。去る者は追うよ!」

イエス様ってまさにこれだなって思わされています。

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(新約聖書ローマ人への手紙8章1節)

今、自分のこれからの事を祈っていて、そういう中でこのことを思い出し、イエス様は素晴らしいお方だなぁってしみじみと思わされています。

ではではバイバイ

 







最終更新日  2006年04月25日 02時21分06秒
コメント(10) | コメントを書く
2006年04月20日
カテゴリ:証し

こんにちはスマイル
土曜日に初めて教会に行った時の話を書いたのですが、今日はその後の事を書きたいと思います。

中学3年生の冬にクリスチャンとなり、翌年の4月に教会に行ったのですが、ぼくはクリスチャンになってすべての価値観が変えられました。

今まで好んでしてきたことがしたくなくなったのです。すべてイエスさま一番でした(もちろん今もですよ~ウィンク)

それと共に当時、とっても熱く炎て純粋な高校生となりました。

当時の楽しみの一つは「キリスト教の番組探し」でした。テレビガイドを買って来ては、一週間の番組表からキリスト教番組を捜していました。すると幾つかあったのです。クリスチャンになったきっかけの番組の他にもアメリカの番組で外国のクリスチャンの紹介のようなドキュメント番組とかトークショー形式の日本の番組、韓国の日本語吹き替えの番組等々とです。

それとFEBCという1時間だけのラジオ番組があり、それも毎日聞いていました。

それをチェックして見ることが一つの楽しみでした。

☆★☆★☆★☆★☆★

それとクリスチャンになったきっかけのキリスト教団体では毎週水曜日、そこに送られてくる祈りのリクエストのためにメンバーシップを取っている人たちが朝昼晩の内のどれか一食ごはんを抜いてNG断食して祈ろうというプログラムがありました。

今振り返ってもすごいなぁって思わされるんですが、何と当時毎週水曜日の夕食ごはんを抜いてNGいたのです。それは1年近く実行していました。

それと聖書のことばに対してすご~~く純粋というか単純でした。

それは当時通っていた教会で、同じグループの神奈川県内の教会の中高生で集まって集会をするという時に、「教会はここですよ」っていう看板を書くように言われて画用紙に書いたのですが、そこに必ず「神は愛なり」とか「神の国と神の義をまず第一に求めなさい」とか「求めなさい。そうすれば与えられます」というような覚えた聖書のみことばも必ず書いていました。

周りの人に「みんなが来るための案内の看板だから別に聖書のみことばを書かなくてもいいんだよ」って言われてもピンと来ませんでした。「イエスさまのことを知ってもらえればっていう思いから書いたのに。。。」って思ってました。

☆★☆★☆★☆★☆★

またこうことがありました。 

聖書には「聖書は誤りのない神のことばである」と書いてあるのですが、ぼくはそれを単純に信じていました。そこまではいいのです。

で、新約聖書のマタイの福音書の中でイエス様が「断食をする時はだれにもわからないようにしなさい。そのために自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい」言われているのですが、ぼくはそれをそのまま単純に信じました。

「そっかぁ。断食ってだれにもわからないようにするんだな。で、そのためにオーリーブ油っていう油を額に塗って顔を洗うんだな!!」

そして当時はまだ日本にはオリーブオイルが普及されていなかったためか、存在自体知りませんでした。そこで薬局に行って薬用のオリーブ油を買ってきて、脱脂綿にオリーブ油を染込ませ、それを額に塗りました。そして顔を洗って、「よし、これでバッチリ!」って思い、断食をしました。その後、これは違うって思いました。

そして思いました。

「そっか、せっかくオリーブ油を塗ってもその後顔を洗ったら何にもならない。よし、今度は逆にしよう!」

学習しました(爆)

今振り返ると本当に恥ずかしい話ですが、でもそれだけ純粋だったんでしょうね。

それと祈りです。同じマタイの福音書の中でイエスさまは「祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたがたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたがたの父が、あなたがたに報いてくださいます」って書いてあるのですが、ぼくはそれもそのまま信じました。

そして自分の部屋の押入れを整理して押入れの中に入り、戸を閉めて真っ暗な中でお祈りをしていたのです。

(※)この二つのことは油を塗るとか奥まった隠れた所に入るという行為よりも、「断食しているんだ」とか「祈っているんだ」と人に見せびらかしたりするような偽善的な行為ではなく、神様の前に謙って断食をしたり祈りなさいということをイエス様が言われたのです。

☆★☆★☆★☆★☆★

今振り返ると純粋というか単純というか、不思議君というか、ま、変な高校1年生だったのですが、でもあの時の純粋さがあるから、いろんな事から守られてここまでこれたのだなぁって思わされます。

そしてイエスさまの御手の中で変えられて変えられて、練られ練られて今があるんだなぁって思わされています。

それと行動や発想は別として、その聖書に対する純粋さや情熱は大切だなとも思わされます。

ということを土曜日にイースターの思い出を書きながら思い出していたので、今日書きました。

ではではバイバイ

 







最終更新日  2006年04月21日 01時07分40秒
コメント(10) | コメントを書く
2006年04月16日
カテゴリ:証し

こんにちはスマイル
明日はイースターですね☆

ぼくにとってイースターって教会に初めて(正確には二度目)行った日でした。

フリーページの「イエスさまとの出会い」を読めばわかりますが、ぼくは小学校5年生の時に初めてイエス・キリストというお方のことを知り、中学3年の冬にイエスさまを自分の救い主として信じ受け入れました。

ぼくはテレビのキリスト教の番組を通してイエスさまを信じる決心をしました。それから毎週日曜日(もしかしたら土曜日)の朝1時間、その番組を見る生活へと変えられました。ぼくの信仰の土台はある意味その番組です。

でもまだ教会には行っていませんでした。

小学校5年生の時は約1年ぐらい行っていたのですが、教会から足が離れてからは全く行くこともありませんでした。

ぼくにとっての教会はそのテレビ番組であり、その団体でした。毎週その番組を見、そこから発行されている本を注文して読んでいました。また事あるごとにその団体に祈りのリクエストを送ったりもしていました。

後でわかったのですが、その団体の中でも「熱心な子どもがいる」って話題になっていたらしいですウィンク

さて、その番組でよく「教会に行くように」というような話をしていました。その話を聞いてぼくも「教会に行こう!」って思ったのです。

でも一度離れた教会、もう一度行くのにはものすご~~~~~~~く勇気が要りました。

「どぅしよっかなぁ~~」って悩み、その時は3月だったので、「そうだ!切りもいいし、4月になったら行こう!」って決心しました。

で、勇気を奮って行きました。と言いたいところだったのですが駄目でした。。。

4月になって最初の週、自転車で小学校の時に行った教会の前まで行きました。でもものすご~~く緊張して入れませんでした。

で、次の週、「そうだ!別の教会なら誰もぼくのことを知らない。別の教会に行こう!」って思いました。

そして自転車でその教会の前まで行きました。それが4月12日に紹介した教会でした。

そして家みたいな教会の前まで自転車で行きました。でも勇気が出なかったです。自転車で何周かぐるぐる回って、それで「よ~~~しっ!」って気合を入れて行きました。

そして玄関を開けたのです。奥の方から賛美歌を歌っている声が聞こえてきました。

でも靴を脱いで入るまでの勇気が出なかったのですほえー 

そして次の週、もう一度小学校の時に行った教会の前まで自転車で行きました。
そして今度は自転車から降りて、勇気を振り絞って教会の玄関の中に入ったのです。

そして自分でも聞こえるぐらいどきどきしながら教会堂の中に入って席に着きました。

礼拝も無事に終り、ホッとして帰ろうとした時、教会の人に声をかけられました。
「やぁ!久しぶりだねぇ!元気だった?」

「あっ、ぼくのこと覚えていてくれてた」、何か嬉しかったです。

そして行きとは逆で気持ちも楽になり、自転車で家まで帰りました。

で、その時に教会からお土産をもらったんです。何だと思いますか????

カラーのセロファンに包まれたゆで卵でした。

その時はそれがどういう意味か全然わからずに持って帰りましたが、後で振り返ったとき、くしくもイースターの時に教会に帰ったんだってわかったんです。

今、書きながら、主のご計画ってすごいなぁって思わされています。

教会から離れ、どうしようもない状態に落ち込み、そしてクリスマスの頃に信仰を持ち、イースターの日に教会に行く。

イエスさまが復活されたように、ぼくもまた復活したんです!!

こういうこともあり、イースターってぼくにとっては思い出深い特別な時です。

明日のイースターも全世界で多くの人が復活のイエスさまと出会う日となるように祈るばかりです。

皆さんの内にも祝福に満ちたイースターとなるよう、心から祈ります。

ではではバイバイ

 







最終更新日  2006年04月16日 00時56分55秒
コメント(6) | コメントを書く

全4件 (4件中 1-4件目)

1


© Rakuten Group, Inc.