テーマ:社交ダンス(8311)
カテゴリ:旅行記
<宇和島城>
佐田岬を出て宇和島城に向かいました。 だいたい城は山の上の方に建っているので階段きついから私はそれほど乗り気ではなかったんですが、大将は城や塔が好きでいつも付き合わされています。 今回は試合に絡む旅行ではないので、いいトレーニングになるかもしれません。 門前の駐車場が工事中だったので近所の市営駐車場に停めたんですが、この辺りはどこも1時間100円みたいです。 開門は朝6時で閉門は11月から2月は夕方5時、それ以外は6時半です。 広い城内を走ってトレーニングされてる方もいらっしゃいました。 険しく短い道か、緩やかで長い道か。ハチも出るらしい。 階段を登りながらいつも思うのは、その階段を作った人のことです。 このでっかい石を下から運び上げての階段作り、その大変さに比べたら登るだけでいい自分は楽だなと。 やっと天守が見えてきましたね。 伊達政宗の長男秀宗が慶長20年(1615)に宇和郡10万石を拝領して入城してから9代続いた宇和島伊達家がこの城を守ってきました。 2006年に城内の発掘調査が行われて建造物の跡を確認されたそうです。 本丸は排水施設が素晴らしかったようで、阿蘇山周辺でしか採れない石材(阿蘇溶結凝灰岩)をわざわざ取り寄せて雨水を集水する仕組みになっていたとのこと。 石垣はこの辺りでとれる砂岩で出来ていました。 せっかく来たので天守にも登ってみることにします。一人200円です。 階段がやけにきつい。 こちらが天守からの眺め。穏やかないい日和です。 天井の梁に置いてあったものが気になって、なんなのか聞いてみました。 最初にこの城を建てたのは藤堂高虎でしたが、2代宗利が寛文6年(1666)頃に改修。当時の最新式の天守を建てたそうです。 工事開始の建て前の神事でこのでっかい破魔矢みたいなものを使ったとのこと。 『使ったのは2回だけなんですよ。』 万延元年(1860)、昭和35年(1960)に大修理を受けてその姿を今に伝えている現存天守の一つです。 受付にいらした方が丁寧に説明してくださいました。 詳しくはこちらの公式サイトをご覧ください。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/11/14 09:54:39 AM
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