カタルーニャ美術館(その7)
<1800年代のモダンアート>カタルーニャ美術館の2階は近代芸術のエリアです。作品数が多いので、年代を分けてご紹介します。こちらは肖像画群です。一番右端はマリアノ・フォルトゥーニ(Mariano Fortuny:1838-1874)の自画像です。カタルーニャ生まれの国内外で評判の高かった画家で、スペイン・モロッコ戦争の従軍画家としてモロッコへ派遣された時に風景や戦闘場面のスケッチをし、後の戦争画の代表作が生まれます。オリエンタリズムの画家として活躍する契機となりましたが、ローマでマラリアにかかり 36歳の若さで亡くなりました。 ロセンド・ノバス『傷ついた闘牛士』 (1871) ロセンド・ノバス(Rossend Nobas:1841-1891)はバルセロナ生まれの彫刻家です。この作品は1871年にマドリードで開催された国立美術博覧会で二等メダルを受賞しました。バルセロナの通りの名前になるくらい有名なアーティストで、街の公園や建物に彼の作品が見られます。展示されていませんでしたが、カタルーニャ美術館所蔵の『セルバンテスの胸像』は、1873年のウィーン万国博覧会で賞を受けました。 フランシスコ・マスリエラ『舞踏会の前』 (1886) フランシスコ・マスリエラ『舞踏会の後』 (1886) フランシスコ・マスリエラ(Francisco Masriera:1842-1902)は、バルセロナの画家、そして宝飾細工師です。舞踏会の前後を描いたこの2作品、面白いですね。舞踏会前の女性たちの期待と高揚感、終わった後の疲労感や何かがっかりした様子がすごく伝わってきます。Masriera(マリエラまたはマスリエラ)の名前はジュエリーの世界でより有名で、彼の父ジョゼップが創業し息子のフランシスコとホセ、そしてホセの息子のルイスの3世代でブランドを築きました。下の写真奥にある絵も彼の作品『主の御前で』(1891)です。 歌川国貞, 渓斎英泉, 菊川叡山, 勝川春栄, 初代歌川国安『浮世絵』(18 世紀後半 – 19 世紀中頃)7枚のプリントが入ったアルバムで、1888年にバルセロナの万国博覧会で入手したとありました。日本帝国パビリオンの出展は、バルセロナでのジャポニズム流行の火付け役となったのでしょうね。 アレクサンドラ・ダ・リケー(1887)フラスコを手に持った女性の姿(右)、日の出の翼のあるニンフ(中央)、日本の植物をモチーフにした作品(左)アレクサンドラ・ダ・リケー(Alexandre de Riquer:1856-1920)は、バルセロナの侯爵家に生まれました。作品は8枚の連作で、日本の屏風絵をアール・ヌーヴォーと組み合わせたような構図が素敵です。ラファエル前派の作品や、アール・ヌーヴォー、日本美術にも興味を持ち、イラストレーター、画家、作家、詩人として活躍しました。 ローマ・リベラ『夕方』 (1894) ローマ・リベラ(Romà Ribera:1848-1935)はバルセロナの風俗画家です。パリに移り住んで1878年の万国博覧会で大成功を収め、上流階級の顧客の依頼で描きました。この作品はDe soirée(夕方)というタイトルですが、部屋に置かれた東洋風の衝立や高級そうな調度品からして上流階級のお嬢さんなんだろうなと想像できます。 ジョセフ・トリアド『死』(1896)ジョセフ・トリアド(Josep Triadó:1870-1929)はバルセロナののモダニズムを代表する芸術家の 1 人です。絵画だけでなく、デッサン、デザイン、彫刻、イラストレーターなど様々な分野で活躍しました。大きな草刈り鎌を持った人が死神なのかと思ってしまいましたが、『死』は右下の鳥で象徴されているんですね。フクロウは、ローマ神話では魔女の使い、死の象徴とされています。崖っぷちに立ち、それに向かって歩く三人の老人、成人、子供の姿が、人間誰しも死に向かって生きていることを暗示しているようでした。 ディオニス・レナール『女性像のある花瓶』 (1900) ディオニス・レナール(Dionís Renart:1878-1946) は、バルセロナの彫刻家で天文学者でした。この作品は多色石膏の彫刻ですが、女性のドレスが優雅に絡み付いた美しい花瓶です。天文学者としては月の研究で博士号を取得。月面に彼の名前がついている場所があるそうです。大理石彫刻群です。左2つはアガピット・ヴァルミティアナ・バルバニー(Agapit Vallmitjana Barbany:1832-1905)の作品です。帽子を被った女性は『傷ついた闘牛士』のロセンド・ノバス作『エリサ・マスリエラの胸像』(1884)です。この女性の絵をフランシスコ・マスリエラも何枚か描いているんです。奥さんでしょうか。(つづく)