2011/05/09(月)17:41
愛するジレンマ
愛する者のために生きようとするとき、
その愛する者の願いを叶えたいと思うのは当然のこと。
けれど、その愛する者が、「自分だけを愛して欲しい」
「自分の家族だけのために生きて欲しい」ということを
願ったら・・。
それが愛のジレンマ。
愛すれば愛するほど利己的になる。
利他的な生き方をしようと思っても、一番身近な者からの
反対を受けることになる。
個人→家庭→氏族・周辺へと至るステップはそうそう甘くない。
「うち」と「よそ」を分けるのはこの社会では当然のことで、
よその子のために何でうちが犠牲にならなきゃいけないの?
は普通の感覚なのだろう。
これが教会の教育の限界点でもある。
「天国に入りたい」というエゴを餌に信者を繋ぎとめてしまうから。
「うちだけでも」の感覚から逃れられない。
本来「普通の人」には統一教会は務まらないのだ。
何にも得することなどない道だから。
言葉巧みに誘ったところで良いことなどない。
統一教会の問題は信徒数ではない。
この地上に神の秩序を打ちたて
自由と平和と統一と幸福の世界を実現しようとする
父の理想に共感する人々が1000人も居たならば
この世界は変わるだろう。
少なくとも、そのような人が12人でも
教会のトップに立っていたならば
この教会も違った展開を見せていたかもしれない。
神の国より私の生活
のしかかる現実は決して甘くないのだ。
もし、違うというなら、気概をみせて欲しい。
にほんブログ村