ENOCK家庭教会

2011/05/09(月)17:41

愛するジレンマ

統一教会(67)

愛する者のために生きようとするとき、 その愛する者の願いを叶えたいと思うのは当然のこと。 けれど、その愛する者が、「自分だけを愛して欲しい」 「自分の家族だけのために生きて欲しい」ということを 願ったら・・。 それが愛のジレンマ。 愛すれば愛するほど利己的になる。 利他的な生き方をしようと思っても、一番身近な者からの 反対を受けることになる。 個人→家庭→氏族・周辺へと至るステップはそうそう甘くない。 「うち」と「よそ」を分けるのはこの社会では当然のことで、 よその子のために何でうちが犠牲にならなきゃいけないの? は普通の感覚なのだろう。 これが教会の教育の限界点でもある。 「天国に入りたい」というエゴを餌に信者を繋ぎとめてしまうから。 「うちだけでも」の感覚から逃れられない。 本来「普通の人」には統一教会は務まらないのだ。 何にも得することなどない道だから。 言葉巧みに誘ったところで良いことなどない。 統一教会の問題は信徒数ではない。 この地上に神の秩序を打ちたて 自由と平和と統一と幸福の世界を実現しようとする 父の理想に共感する人々が1000人も居たならば この世界は変わるだろう。 少なくとも、そのような人が12人でも 教会のトップに立っていたならば この教会も違った展開を見せていたかもしれない。 神の国より私の生活 のしかかる現実は決して甘くないのだ。 もし、違うというなら、気概をみせて欲しい。 にほんブログ村

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