新東亜 顕進ニムインタビュー
文顯進UCI 会長兼GPF 理事長は漂う雰囲気が熱い人だ。彼は達弁でありカリスマがあふれていた。インタビューは米国、モンタナ州ボズマンのある旅館でなされた。ボズマンは狩猟観光地として有名なところだ。彼は文鮮明総裁の息子七人中の三男だが、長男と次男が亡くなって実質的な長男の役割をしてきた。米国コロンビア大で歴史学を専攻してハーバード ビジネス スクール(MBA)を卒業した。彼は気骨が壮大だった。国家代表乗馬選手としてオリンピック(1988 年、1992 年)に出場したこともある。今年四十二歳の彼は子供が九人だ。長男が大学卒業クラスとのことだ。子供を産み育てる話がインタビューの雰囲気を和らげる役割をした。Q.こちらになぜきたか?A.「山の中で精誠も捧げ、動物も世話している。自然は常に学校と同じだったし、礼拝の場所でもありました。」Q.狩猟、釣りを楽しむとかいうが、それも同じ脈絡なのか。A.「そうです。父とともに自然に出て行ったりした。あなたが原理講論を読んでみたことがあるかもしれないが、多くの内容が自然からインスピレーションを得たものです。」文国進理事長とのインタビューが現実的だったとすれば、文顯進会長とのインタビューは哲学的だった。世俗的な質問をしても哲学的に答えた。はい、いいえを尋ねたストレートな質問にも彼は短く答える場合がほとんどなかった。彼は宗教観、メシア観が弟のそれと違った。フレームが違うので、正しいとか正しくないとか問い詰めることはできない問題である。Q.父君がメシアだと信じるか。彼は真剣な表情で答えた。A.「私たちの中でもこの表現を使うのが好きですが、私はまずメシアという単語が持っている多様な解釈と意味に対して話しましょう。メシアという概念はユダヤ教で、または、キリスト教でその中の教団ごとに異なった意味を持っています。イスラム教が理解しているメシア概念もまた違います。私の父をメシアと信じるのかと尋ねるのなら、その中のどの観点で話をしなければならないのでしょうか?私が信じていることを説明しましょう。その方が人類の前に貢献された方だと信じるのかと尋ねればそうだと言います。神の下の人類一家族(ワン ファミリー アンダー ゴッド)の夢を起こした方と信じるのかと尋ねるならばそうだと言います。」Q.文鮮明総裁を信じてこそ救援されるということに同意するか。A.「信仰基台と実体基台というものがあります。盲目的な信頼や信仰だけでは救援に至ることができず、自身の人生の中で見せることができる実績と実践がなければなりません。」彼は誰でも霊的な指導者になることができるといった。哲学的問答が行き来しながら彼が仏教的世界観を持っているという気がした。もちろん彼は同意しないだろう。文鮮明総裁をメシアと信じて、祝福を受けてこそ救援されるという文国進理事長の宗教観とは筋が違った。彼は特定の宗教、特定の信仰に埋没することに対し否定的だった。彼はこのように付け加えた。「統一運動の中でメシアという概念は幅広く使われます。そこには国家メシア、宗族メシアという概念もあります。したがって私たちが理解するメシアの概念はキリスト教やユダヤ教とは違うと見ることができ、もう少し開放的で拡大したものと考えられます。父は一度も統一教会だけを通じて神様が役事されると信じておられませんでしたし、今後もそう言われるでしょう。事実統一教会は父が創られた教会の正式の名前ではなくて、実際の名称は世界基督教統一神霊協会です。ある人々は私の父を統一教会の創始者と考えますが、その方は自らを統一教会創始者とは考えていません。」彼は父を統一教という宗教ではなく「統一運動」の開拓者と考えた。Q.それなら統一教がキリスト教の分派と思うのは誤りなのか。彼が問い直した。A.「あなたはどう思うか?」深く考えてみたことはないが、「誤りであるようだ」と言った。彼は「それなら、私も同意する(Well,then I might agree with you)」と話した。Q.あなたの宗教は何か?A.「私は宗教の枠組みを抜けた者です。」彼はこのように付け加えた。「宗教指導者は自らの宗教と特定信仰を擁護します。私は宗教指導者ではなく霊的なリーダーです。そういう方々が各宗教ごとにたくさんいます。仏教だけでなくキリスト教にも多い。私と親しいフェレイラ・ビショップはブラジルで最も大きいキリスト教宗教団体の代表ですが、偏狭な宗教の枠組みから抜け出て、ブラジルだけでなく南米大陸で社会的変革がなされるように努力しています。世界で最も大きいイスラム市民団体であるNUの最高指導者であるインドネシアのサイド博士も同じです。」彼は制度としての宗教に対して否定的だった。「(宗教は)弟子たちと追従者が創始者のメッセージを解釈しながら次第にこれを制度化したものです。組織ができれば官僚主義ができ政治が生じます。」彼は「ユニフィケーションムーブメント(統一運動)」という単語を主に使った。「ユニフィケーションチャーチ」つまり「統一教」という表現は統一運動と比較する時にだけ使った。彼が統一教内紛を見る視角は次のようだ。「私の父に、教会を作ろうとして来られたのかと尋ねれば、違うと答えられるでしょう。根本的なメッセージを実現しようとする勢力と、組織を維持しようとする勢力の葛藤はいつも存在するという事実を理解しなければなりません。」文国進理事長が強化しようと思う「統一教」ではない宗教の枠組みを抜け出した「平和運動」であるから、自身が遂行する「統一運動、ユニフィケーションムーブメント」が父が抱いている御旨であるという主張である。彼は天宙平和連合(UPF)共同議長、世界平和青年連合会世界会長をはじめとする核心の職責をたどりながら統一教の後継者になるという評価を聞いてきた。2008 年UPF 共同議長から退いた後、後継者競争から脱落した。Q.3 年前UPF 共同議長から退いた。今と同じ考えが影響を及ぼしたのではないのか。A.「リーダーシップについて話してみましょう。地位や権力、お金の力で指導者になるのではありません。リーダーシップは他の人が感動を受けてついてこれるように見本を見せることです。私が組織を引き受けた後UPF は大きく発展しました。しかし私が退くと目的と方向が変わってしまいました。ですからGPF を立ててそのことを継続してきているのです。」Q.辞めたら虚しくはなかったか。A.「私は地位、権力、お金が動機になって動く者ではありません。」Q.成果を出せなくて退かされたと知られています。彼の声が高まった。A.「それを信じるのですか?私が成果を出せない者だと考えるのですか。」Q.統一教の多くの人がそのように考えていると見るが。A.「そうだと確信しますか?」Q.組織としての宗教を建設しようという主張に明確に反対するのか。A.「私が言おうとすることはそれではありません。自分の宗教の枠組みから抜け出せということです。いくらでも宗教を立てることはできますが、その宗教の枠組みに拘束されてはいけない、偉大な信仰指導者たちの根本の教えに忠実でなければならないということです。宗教間の葛藤が世界的次元として極大化する可能性が大きい今は、より一層そうすべきです。私が焦点を合わせるイシューは私の父の生涯と活動がどんな業績として残されるかということです。」Q.父君のような人になりたいという考えはしてみなかったか?A.「父のようになりたいと話したことがありました。父は、「あなた自身になりなさい」と激励しました。私は私の生を生き、私の道を歩いています。」Q.宗教に後継者があると見るか?A.「資産に対する所有権が明らかである会社とは違い、宗教のような信仰の世界であなたが信徒を所有することができると見ますか?人を所有することができると見ますか?違います。物質的な資産を所有する会社とは違います。誰が後継者イシューを始めたのかは知りませんが、これが重要な懸案だとは思いません。サイドショー(Side show:副次的なこと)に過ぎません。三流言論とかつまらないドラマにでも出てくる内容です。(It is a tabloid,It is a fluffy drama).」にほんブログ村