ベルルスコーニ元首相の訃報
私がミラノ入りした3月26日には、ベルルスコーニ元首相は入院をしていた。その前にも入院をしていたようにも思う。かなり前から大病を重ね、入退院を繰り返していたが、そのたびに完治していたし、スイスやアメリカの病院にて、治療を行ってきた。この時は、入院が長いなという印象で、それでも入院先の病院から、声明は続けていて、「本当に引退しないよねー」が感想でした。 そうこうしているうちに、イースターも過ぎ、長かった入院生活も、終わり退院。私たちの間では、もはや「死なない男」たるイメージが強くありました。どこか不死身な、絶対的に存在する人。そんなイメージが出来上がっていたんです。 その後、私は日本へ戻り、日常生活戻ったころ、この訃報。驚きとしかありませんでした。私が留学したのが、1991年8月から彼は存在し、ミラノでは既に大きな存在でした。 銀行員の父を持ち、母はPirelli社で働き、彼が小さい頃、母は仕事に出かけていなく、寂しい思いしたそうです。小学校時代から勉強はでき、クラスメートの宿題をして、お小遣い稼ぎをしていたとか、それでも貧しいクラスメートには払わせなかったそうです。ミラノ大学法学部に入学、豪華客船で歌うアルバイトしながら大学を好成績で卒業後、不動産業に進出、成功を修めます。その後は、テレビ界へ、国営放送3局のあるイタリアでは、民放テレビ3大局のメディアセットのオーナーとなります。テレビ局は、フランスとスペインでも所有しましたが、フランスでのカナレ・サンクは閉局しています。MedusaFilmと呼ばれる映画製作会社もメディアセット・グループ内に設立。日本でも愛されているミラノが本拠地のサッカークラブのミランのオーナーでもありました。その後、幸か不幸か政治家にもなります。 慎ましい家の出ながら、大きな成功を収めた彼の偉業と、陽気で、人を楽しませることを忘れない気質は、多くの人から愛されました。 不動産業界での成功に、マフィアとの関与が疑われ、ミランのオーナーとなり、スター選手を購入することで勝利を得て、世界的に有名なミランを作り上げ、これによって彼のイメージも大分良くなったと言われています。銀行も所有。 かなりの批判を集めながらも、政治家として、右党派政党を作り、政界デビューし、最終的には、イタリア首相にもなりました。 ミラノ本社の右党派新聞社も所有。イタリアでの、全国放映可能な大きなテレビ局は7局、うち3局は国営放送、うち3局がベルルスコーニ所有のテレビ局となるために、メディアによる情報での平等性の視点で、デモクラシーが侵害されるのでは?と常に疑問視されてきました。 コロナ渦中、ミラノ市内での感染者が増える中、市内の見本展示会場を一時病院にするために多額の寄付をしたほど、ミラノ市にとって、大きな存在でした。 私も今回の死は、大変驚き、日本に居ながらも、ネットを通して、イタリアのニュースを見たり、テレビを見たりしました。彼のお葬式は、なんと私の誕生日でした。お葬式は、ネットでも生中継で配信していたので、彼の邸宅から遺体が車にて、運び出され、ミラノ市に向かい、ミラノ市内入り、ミラノの中心に位置するDuomo大聖堂に運ばれ、お葬式のミサがあげられ、再び遺体がミラノ郊外の邸宅に戻されるまで見ました。また、次の日は、彼の邸宅からご遺体が出発、葬儀場で灰にされて、また邸宅に戻るまでも、見ました。ミラノは、彼の死を悲しんだと思います。 彼の存命中、政治界への進出に対して常に「利益相反」について批判を受け、女性問題でも問題は起きていましたが、ミラノにとって彼の存在は常に大きく、今彼が亡くなってみると、それはそれで寂しいものです。 彼の死後、「国葬にするものか?」「国家の服喪日にするものか?」などと話され、 続いて、「聖人化するのはやめよう」などと言われ、その後は、「彼の財産相続」について扱われています。 彼の存命中、何かと話題を提供してくださる方でしたが、亡くなっても話題には事欠かないようです、ご冥福をお祈りいたします。