2011/12/17(土)08:33
松竹映画 『八つ墓村』 に関する八つの命題
夏の間に紹介しようと思っていた映画がある。
1977年 松竹映画
原作:横溝正史
監督:野村芳太郎
脚本:橋本忍
出演:萩原健一
小川真由美
渥美清
山崎努
この映画が制作されたのは今から30年近く前なのだが、当時の日本の夏の田園風景が記録されていて、夏といえばこの映画を思い出す。横溝正史の代表作は他もそうなのだが、古き日本の因習や価値観に従って事件が進んでゆき、それが事件の原因や重要なキーワードとなっている場合が多い。映画化された作品は、そんな舞台設定を映像として提示してくれて、古き日本のノスタルジックな情景がインパクトを持って視聴者の記憶に刻みこまれる。映像化された横溝作品が、多くのファンを惹きつけて止まないのはこういった面もあるのだろう。
この映画に関していうと、時代設定は原作と異なり、公開された当時(昭和50年代)の時代設定となっている。だが、映画の中に出てくる村の葬式の様子や、夏草の生えた八つ墓明神、浴衣を着た夏祭り、村の田園風景は、時代に関係なく、失われ行く日本の光景として印象深い。撮影:川又昂の映像は実に素晴らしい。
さて、本題に入ろう。紹介しておきながら、この映画、「観てはいけない」映画だと思う。正確に言うと、映画を観てトラウマになったとしても知らない。今で言うところのR指定に相当する内容だと思う。
■一つ目の命題:『砂の器』とのギャップをどう消化する?
同じ松竹映画の『砂の器』には感動した。映画『八つ墓村』の制作スタッフは、『砂の器』の制作スタッフと監督・脚本・撮影・音楽で重なっていて、映画の宣伝文句にはこんな文言がならんでいた。
”『砂の器』のスタッフが再集結し・・・”
この宣伝文句がよくない。監督(野村芳太郎)や脚本(橋本忍)は同じなのだが、この映画は『砂の器』とは違う視点を持った映画で、『砂の器』のような感動大作ではないのだ。『砂の器』と同じような感動を期待したら全然違ったのでがっかりしたという不満をネット上でよく見かけるが、そんなコメントを見るたびに、同じ感動を求めること自体が間違っている~と言いたくなる。が、その気持ち、わからぬでもない。宣伝文句が紛らわしいのだ。
■二つ目の命題:残虐描写は可か不可か?
この映画が観てはいけない映画だという理由に、残虐シーンが挙げられる。特に戦国時代に八人の落ち武者が村人に虐殺されていくシーンは、フィクションとはいえ、正視できないようなシーンが続き、一度見るとトラウマになると思う。
しかし考えてみればこんな目を覆うようなシーンは戦国時代までの日本ではよくあった光景なのかもしれない。近・現代の戦争でもこれに近い光景が繰り返されてきたことだろう。人を殺すということは、実際にはこういう凄惨なことなのだと思う。逆にいうと、テレビや映画の戦国時代劇や戦争モノが、いかにきれいな部分しか出していないかということでもある。
山崎努演じる多治見要蔵が村人を虐殺していくシーンもインパクトが強く『八つ墓村』の代名詞的シーンとなっていて、上に挙げたDVDの表紙ともなっている。
■三つ目の命題:この映画で一番怖いシーンは?
だがしかし、残虐シーンとは違う怖さがこの映画にはある。最後の謎解きのシーンで、渥美清演じる金田一耕助が口にした恐るべき事実。原作にはないこの恐ろしさが、最も怖く背筋が凍った。ダメ押しのように、炎上する多治見家を丘の上から見下ろす人たち。
『八つ墓村』の原作はスカッとした冒険活劇で横溝エンターテイメントの最高傑作だと思うのだが、恐怖をテーマとしたこの映画も原作とは別物として傑作だと思う。
■四つ目の命題:この映画の小川真由美って、滅茶苦茶魅力的じゃない?
映画(ビデオ)を観る前、森美也子役は小川真由美というキャスティングに、いかにも松竹的なキャスティングと感じ、他のタイプの女優のほうが役にあっているのではと思った。小川真由美といえば、『鬼畜』や『復習するは我にあり』のように、泥臭いイメージがあったからだ(それらの作品は『八つ墓村』より後の作品なのだが・・・)。
がしかし、実際に作品を観て、森美也子役の小川真由美にすっかりはまってしまった。
自らの意思で行動し、クールでありながら情熱的に男性をリードしていく妖艶な年上女性の魅力に、多分映画を観た男性の多くは虜になってしまうんでないかと思う。それぐらい魅力的な役柄・演技だった。衣装も洒落ていて、ツボを得た役だった。
この映画のおかげで、すっかり女優・小川真由美のファンになってしまった。
■五つ目の命題:金田一耕助の配役として渥美清は成功か失敗か?
渥美清演じる金田一耕助について、寅さんにしか見えないとかいう意見をあっちこっちで見かけるが、金田一耕助役ではなく、他の役でも渥美清=寅さんって言われるんだろうな。寅さんは渥美清の当たり役ではあったが、同時に役者・渥美清として不幸でもあったと思う。
俺的にはこの金田一、目立たないながらなかなかいい味を出していたと思うのだが。石坂浩二や古谷一行だと、金田一役としては長身すぎたりイイ男過ぎたりして、やはり原作のイメージから外れてしまうのかもしれない。金田一ってもともとイイ男ではないけれど、気になる存在みたいな役なんだから。そう思うと鹿賀丈史ぐらいがちょうどよかったのか。
DVDに収録されている予告編の中で、監督の野村芳太郎が渥美清の金田一耕助を心配するシーンがある。それに対し、原作者の横溝正史は彼なら大丈夫と答えるシーンがあった。貴重な映像だと思う。
■六つ目の命題:公開年のキネマ旬報ランキングで16位という評価は妥当か?
この『八つ墓村』は、興行成績ではその年の日本映画の3本指に入ったのだが、キネマ旬報ベスト10には入ることなく、16位という地味な評価だった。映画のテーマが「たたり」なんで、一種の色物映画だから仕方がないのかもしれないが、映画のあの圧倒的迫力にもう少し正当な評価があってもいいような気がする。どうだろう?
ちなみにその年・1977年のキネ旬日本映画第一位は『幸福の黄色いハンカチ』。確かに日本映画のベスト10には名作が並んでいるのだが、同じく横溝原作で6位に入っている『悪魔の手毬唄』よりはこちらの映画を俺はかう。こんな異色映画が評価される価値基準があってもいいのではないか。
■七つ目の命題:映画『八つ墓村』を代表する曲は何だ?
音楽は芥川也寸志が担当している。『八つ墓村』の音楽と言えば「青い鬼火の淵」(道行のテーマ) か「落武者のテーマ」ばかりが取り上げられるのだが、サントラの曲名でいうと「八つ墓村:メインタイトル」と「エンディング」こそが『八つ墓村』を代表する曲だと思う。例えば角川映画の、東宝『犬神家の一族』「愛のバラード」・東映『悪魔が来たりて笛を吹く』「黄金のフルート」に相当する曲として、この曲こそが『八つ墓村』を象徴すると思うのだが・・・・今ひとつ弱いか。
オープニングの戦国時代のシーンで、八人の落ち武者が村にたどりつき、丘の上から村を見おろして、タイトルが赤字でアップとなる。そのバックで流れ出すこの曲は映画の始まりとして実に素晴らしい。煙を立てている畑や古ぼけた田舎の民家の風景となり、曲と映像が見事にマッチし、まるで御伽噺の世界でも見ているようで、ノスタルジックな気分にさせられる。主人公の母親がお宮参りをする回想シーンの中でもこのメロディーは使われていて、子を想う母親の気持ちと重なり、劇中効果を上げている。
「落武者のテーマ」はNHK大河ドラマの「赤穂浪士」の曲ととってもよく似ていて、焼き直しと言われても仕方がないとは思う。実際に劇中で使用された「呪われた血の終焉」のほうが好きだ。炎上する多治見家を見下ろす最後の強烈なシーンにふさわしい。
「青い鬼火の淵」はワルツで、鍾乳洞を探検する二人のシーンで使用されているのだが、その後の「竜のアギト 」のほうが二人が愛し合うシーンと重なり印象が深い。
でも、音楽について一番切ないのは「八つ墓村の系譜を追って」。渥美清演じる金田一耕助が和歌山や京都を調査して歩くシーンで使用されている。短い曲だが切ないメロディーがたまらなくいい。
■八つ目の命題:原作のストーリ改変は成功か失敗か?(ネタばれ注意)
この作品、ホラーサスペンスとして熱烈な支持を受けている一方で、ミステリーとしてダメだとか、オカルト映画になちゃったとか、そんな理由で低い評価もみかける。だがしかし、ミステリーと言われるドラマや小説の多くは、現実っぽく見せかけながらも、実際にはありえないようなことを平然と描いているのではないかと思う。巷にあふれるテレビドラマや推理小説で、トリックと呼ばれるものと、それを解決していくシナリオにどれだけ真のリアリティーがあるというのか。そんな似非リアリティーをこの映画に求めること自体がまちがっているのかもしれない。
この映画で描かれていることは、キャッチコピーどおり「たたり」であり、そして男女二人の愛の軌跡とその破綻なのだ。見知らぬ男女が数奇な運命で出会い、お互いの距離を縮めてゆきながら、ついには鍾乳洞の奥で情を交わす。だが、情を交わした男を殺さなければならなくなった女の悲しみとその狂気、愛し合った女から死に物狂いで逃げざるおえなくなった男の、生への本能。そんな愛の軌跡と破綻にこそ、この映画のリアリティーがあり、脚本家が意図したテーマが込められていると思う。
原作でも似たようなシチュエーションがあるのだが、主人公の恋人が違ったり、鍾乳洞の中の追跡劇も、恋人に追われるのではなく、恋人と一緒に自分を殺しに来る村人から逃げるというものであった。映画は原作の要素を踏襲しながら、後半部分をまったく違うストーリに作り変えている。その作り変えた部分こそが映画でやりたかったことではなかったか。
一つ目の命題で出した映画『砂の器』は、松本清張の原作を超える傑作として評価が高い。この『八つ墓村』については、エンターテイメントとして傑作である原作とはまたちがった視点での傑作であり、日本映画史に残る異色作だと思う。
さて、ここまで読んできた人は、きっとこの映画を観たくなったんじゃないかな。
でも・・・やっぱり観ないほうがいいかもよ(笑)
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