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N郎♪音汰。(楽天ブログ)

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N郎♪

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2006/12/02
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レッズが優勝を決めた日の浦和の街の夜 つけめん亭前


地元の浦和レッズがJリーグ優勝を果たした。Jリーグ当初の最弱チームが・・・とか、J2にまで落ちたチームが・・・とか、そんな話はもういいだろう。ここ数年、レッズはJリーグ屈指の強豪チームとして定着しているからだ。

浦和レッズがこれまで獲得したタイトルを並べてみよう。

2003年 ナビスコ杯優勝(リーグ総合 6位)
2004年 2ndステージ優勝(リーグ総合 2位)
2005年 天皇杯優勝(リーグ2位)
2006年 リーグ優勝


■幅広きサポーター

レッズがここまでこれた最大の要因は、熱烈なサポーターのおかげというのは言うまでもない。大型補強を可能にした資金源もスタジアムを満員にするサポーターあってのことだ。

そのサポーターであるが、老若男女、そして公私とも、本当に幅が広い。

広大な畑作地域を何十分も自転車に乗って埼玉スタジアムまでかけつける小中学生、一家総出でスタジアムに出かける親子連れ、優勝争いにかけて野菜の値段に選手の背番号を付ける近所の八百屋さん。ウチの兄貴はただの真面目なエンジニアであるが、レッズの試合がある日には赤いレプリカを身に着け、ホームはおろか、遠くアウェイまで出かけて声援をおくることもある。

他人の迷惑も顧みない独善偏狭な迷惑サポーターもいることはいる。がしかし、そんな独善偏狭とは正反対の幅広い支持を集めていることが、浦和レッズの強みなのだと思う。

特定の層に偏らない幅広い支持。何をするにおいても、これは強みとなるのではないだろうか。


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浦和駅西口・伊勢丹デパートのたれ幕

■コントラスト

Jリーグ発足当時の一番人気は、日本代表のカズやラモス・北澤・武田を擁したヴェルディ川崎であった。若い女性ファンが多かった印象がある。そのヴェルディも今では2部に落ち、当時のような人気は見る影もない。チームというよりも選手個人に人気があったからこそ、それらの選手がいなくなった時、ヴェルディの未来は決定していたのかもしれない。当初は川崎をホームタウンとしていたが、本命は国立競技場であり、後にホームを移したように最初から川崎に骨を埋めようなんて気持ちもなかったようだ。

浮動人気が必ずしも悪いわけではないと思うが、チームとしての本当の支持を獲得できぬまま、ヴェルディは落ちていった。

Jリーグ開幕初年の優勝チームと最下位チームの現在は、痛ましいぐらい正反対の結果となっている。動かしようのないこの事実から、改めて多くのことを学ぶべきではないかと思う。


■セオリーと実践

浦和レッズが強豪に変身するエポックとなったのは、2002年のW杯日韓大会開催だと思う。W杯のため、現在の埼玉スタジアム2002は造られた。収容人数6万人を超える県のサッカー専用スタジアムをフルに活用し、潤沢な資金を使えるようになったことが、現在のような選手層のぶ厚いチームを作り出すバックボーンとなった。

埼玉という、サッカー熱が高く、人口過密地域をホームタウンとし、Jリーグの理念を忠実に実践していったことが浦和レッズ成功の要因となった・・・そう考えた時、現在の浦和レッズの姿は当初から約束されたもののようにも思える。

が、しかしその道のりは決して平坦なものではなく、イバラの道のりであった。当然ともいえるセオリーを当然のように実践していくことがいかに大変であり、そして重要なことなのか。頭で考えるのは簡単だが、それを実践し、結果を出していくということは、一つの隙も許されないような厳しいことなのだとも思う。

浦和レッズが優勝した日、こんなことを思わずにはいられない。


<自ブログリンク>
● 浦和(その2)・サポーターズパラダイス








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Last updated  2006/12/04 01:52:31 AM
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