N郎♪音汰。(楽天ブログ)

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街についてうんちく

2007/03/08
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ちょうど今から10年前の1997年3月8日土曜日の深夜、渋谷・円山町で一人の女性が亡くなった。10年目の命日となる今日、亡くなった彼女のために花をささげようと思い、夜、渋谷の街へと向かった。

地下鉄に乗る前、花屋さんで花を買っていったのだが、彼女のためにわざわざ花を買っている自分に対して、どこか複雑な心境であった。会ったこともなければ、顔もよくは知らない彼女だ。

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渋谷の街は夜も遅いというのに相変わらずいつもの渋谷の街だった。

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道玄坂を上りながら、10年前、自分は何してたっけ・・・ずっと考えていた。よくは思い出せない。仕事のため渋谷に毎日通っていた時期もあったが、その事件から2、3年経っていたと思う。もし彼女が死なずに生きていたとしたら・・・四十代も終わりを迎えていたことだろう。これだけ有名にもならなかったに違いないし、人の記憶に残ることもなかったかもしれない。

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百軒店の通りに入っていくと何人かの呼び込みがいた。今夜はいつもより人が多いように思う。こんな時間に歩いたのことがないからそう思うのかもしれない。

道玄坂地蔵にはいつもより多く献花されているだろうか・・・・そうかもしれないし、そうでないかもしれない・・・そんなことを思いながら、ホテル街の坂を下り、円山町に入ってまたホテル街の坂を上っていった。

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道玄坂地蔵はいつもの道玄坂地蔵のままだった。お菓子とお酒が捧げられいたのが目につく程度で、特に献花が多いとか、そんなことはなさそうだった。10年も経ってしまえば、命日に献花をしにくる人もほとんどいないのかもしれない。かくいう俺も、半年前に本を読んでからしばらくの間は強烈に頭に残りつづけていたのだが、慌しい日常を繰り返しているうちに、ほとんど考えることもなくなった。この街を彼女が歩いていたなんていう記憶は風化され、そしていつか誰も彼女のことを思い出さなくなるのだろう。当時あれだけ騒がれたにもかかわらず。・・・家族以外は。

事件現場のアパートの方はどうかと思い、円山町の坂を下って神泉駅へと向かった。何一つ変わった様子もなく、アパートはいまだに静かにたたずんでいる。人が普通に生活している場所だ。神泉駅のトンネルも同じように平穏な日常の中でたたずんでいた。

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道玄坂地蔵に戻ってみると、先ほどのお菓子とお酒がなくなっていたのが少し気になった。
花を添え、静かに彼女の冥福を祈った。彼女だけではなく、かつて花街として隆盛を極めていたころの人の歴史を考えざるおえなかった。




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円山町は円山町のまま。夜中のほうが人が多いようで、腕を組み歩くカップルが多かった。しかし他のホテル街とちがってどこか温かみがあるような街の気がしてならない。

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事件は風化し、忘れ去られたような10年目の命日。しかし不当逮捕されたままのゴビンダは今なお抑留中だ。彼にとってみれば、日本社会によって自由を奪われ、家族と引き裂かれ、人生を台無しにされている状態で10年目なのだ。事件は忘れさられても、その事件で不当逮捕されたままの人がいるということを忘れてはいけない。当時あれだけ騒いだマスコミはそのことを報道する義務があると思う。

●リンク:無実のゴビンダさんを支える会/不当逮捕から10年 再審請求から2年/3-24無実のゴビンダさん支援集会/2007



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渋谷の街を後にする時、これから10年あとも、渋谷は渋谷としてごちゃごちゃしたまま煩雑な光景でいるんだろうな・・・そう思った。もちろん再開発は進んでいくだろう。しかし、渋谷の光景はきっと10年後も渋谷の光景のままなんだろうなと思う。

10年後、自分はどこで何をしているのだろうか。少なくとも今よりは10年歳をとっていることは間違いない。10年前のこの日、渋谷に花を捧げにきたことを思い出すのだろうか・・・多分思い出すことはないだろう。しかしそれはそれでいいのかもしれない。

●自ブログ:渋谷・円山町
●自ブログ:きっかけ
●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(1)
●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(2)
●自ブログ:佐野眞一『東電OL殺人事件』(3)
●自ブログ:別冊宝島 『昭和・平成日本「怪死」事件史』(1)








Last updated  2007/03/09 09:39:11 PM
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2006/09/08

渋谷についてはセンター街について書いたことがあり、他の場所も折を見て書こうと思っていた。が、まさか次に円山町を書くことになろうとは・・・・。

円山町といえば、ラブホテル街で、周辺1Km以内には約100軒ものラブホテルがひしめきあっているという。もともとこの街は大正時代から花街として栄え、粋な芸者の街であったのだが、花街産業の衰退とともに、古くからの料亭や芸妓置屋は数を減らし、現在のようなラブホテル街となった。

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三善英史の『円山・花町・母の町』、そして花街についての歴史はリンクしてあるサイトを参照いただきたい。

●関連リンク:渋谷文化 円山町の芸者・喜利家鈴子さんインタビュー
●関連リンク:三善英史と母「円山・花町・母の町」
●関連リンク:渋谷の考現学 円山町の光と影

佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』によると、円山町が花街から連れ込み旅館街へ変貌する先鞭となったのは、奥飛騨のダム建設により、その補償金を受けて地域を離れてきた人たちだったという。

円山町を取り上げているのは他でもない、その小説にはまってしまったからだ。

1997年3月、円山町にある京王井の頭線・神泉駅前のアパートの一室で、一人の女性が殺された。被害者は30代後半で、東京電力の管理職であり、そしてまたこの円山町で数年間、「立ちんぼ」の売春を続けていた女性でもあった。メディアとプライバシーの問題、そして冤罪事件でも有名な、世に言う「東電OL殺人事件」のことだ。

事件をきっかけに彼女の日常生活が知られるにつれ、彼女が退社後に毎日終電まで活動の場としていたこの円山町は、都市伝説の舞台として、日本、そして世界に報道されることとなった。

一日に四人というノルマを自らに課したかのように、雨の日も風の日も、来る日も来る日も彼女が「立ちんぼ」をして客を探していたという道玄坂地蔵の前がここだ。

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彼女は何故そんな生活を何年も続けていたのか・・・その謎は現代日本の病理の象徴として海外のメディアにも報道され、このお地蔵様は事件の象徴として紹介された。

小説を読んでいる間、そして読んだ後も、彼女のことが頭にあり続けた。何を思い、どんな気持ちでこの街を徘徊し続けたのか、それをどう解釈したらよいのか・・・あまりの深さに、人間というもの、そして「心の闇」というべきか、そんなことについてもう一度考え直さずにはいられなかった。

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小説を読んでから数回、この道玄坂地蔵前を訪れたのだが、来るたびに熱心にお祈りをする女性と居合わせた。円山町の守り神として地域の人々に親しまれているようであり、そしてお地蔵さまには今でも口紅がしてあった。

夜に来るのは今回はじめてだったが、ラブホテルのネオンが夜の街を鮮やかに装飾し、昼間とはまた違った顔をみせ、お祭りの夜店にでも来ているような気分になった。赤・青・ピンク・・・色取り取りのネオンの通りを歩いていると、なんだかほのぼのした気分になって、彼女が毎晩円山町に来ていた気持ちも少しだけわかったような気がした。

この街は彼女の「孤独」の舞台であり、そしてまた「癒し」の舞台であったのかもしれない。事件のこと、そして彼女の生きた軌跡を知るにつれ、一過性の事件の舞台から、深みある街へとその印象は変わっていった。


道玄坂地蔵を離れ、写真を撮るために路地を歩いていると、40代とおぼしきカップルとすれちがった。どういう関係かは定かではないが、男性も女性も大人で、どのホテルを選ぼうかと相談しながら、うれしそうな表情をしていたのが印象に残った。

カップルとすれ違った直後、誰もいなくなった通りの写真を写し終え、ふと振り返ってみると、そこにはもう二人の姿はなく、誰もいない路地だけが残されていた・・・・。

(この話、つづく)


●関連リンク:花信風No.97 『東電OL』をめぐって


●自ブログリンク:渋谷・センター街







Last updated  2006/09/09 01:31:53 PM
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2006/08/05

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江東区では他でもそうなのかもしれないが、ここ門前仲町周辺はとにかく河が多い。東西南北、いたるところに河が流れている。

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必然的に無数の橋が存在し、様々な顔を見せてくれる。

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水面を眺めていると落ちついた気持ちになれる。気持ちを休ませたいと思った時、缶コーヒーでも飲みながら河を眺めに行く。

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人の気持ちを落ち着かせる力は不思議だ。 広い水面のあるところは空も開かれた場所だということもあるのかもしれない。海の近くに住む人であるならば、海を見て心を落ちつかせるのだろう。

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昔、学生だったころ、バイトを終えた帰り道に、よく水際のある公園へ立ち寄ってしばし水面を眺めていた。まだ若かったから、移り過ぎ行く情景の中で解決がつかないことをいろいろ考えこんだり、誰かの気持ちのことを想像したりした。

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そんな時、水面を眺めていたというより、まなざしは水面に向かれていたが、思考は水面でななく、自分自身に向いていたのかもしれない。

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追われるような日々をおくっている今、水面を眺めて気持ちを整理するなんて悠著なことはほとんどない。だけど、そんな時間がないということで、実は人生においてとてつもないロスをしてしまっているのかもしれない。

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すべての人がこの世に生まれ、すべての人が違う人生を歩み、そしてすべての人がこの世から消えてゆく。

社会・人間・・・・謎が多い。ただ言えることは、人間も生物の一つであることに間違いはなく、謎は謎のまま本能に導かれ、生きているということ。論理でも善悪でもなく、感性の赴く方向にさまよい、憧憬に浸り、日常に紛れ込む。まったくの馬鹿げた行為であったとしても、価値観の異なる人から見たら憧憬の対象であるのかもしれない。

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自分自身を閉じ込めている「常識」が、実は「常識」ではないのではないかと気が付いた時、開放され解き放たれた欲求と、「常識」のために失われた時間との間で人はたじろぐ。

意識はされていなくとも、無意識の海の中には計り知れぬ憧憬が、その姿を浮かび上がらせる機会を待っている。浮上せんとするその声を遮断することなく、素直に受け入れる時があったっていい。

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すべての人間は必ず消えてゆき、また、今このときも消えてゆくのであるから。

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忘れていたもの、置き去りにしてきたもの・・・・・
河のある光景はそんなものをふと蘇らせてくれたりする。


<写真撮影>
2006年7月26日
2006年8月 3日
2006年8月 4日

(街についてうんちく・今回の門前仲町特集はこれでおわり)


●自ブログリンク:門前仲町(その1)・門仲への道
●自ブログリンク:門前仲町(その2)・門仲といえばここ
●自ブログリンク:門前仲町(その3)・レトロタウン








Last updated  2006/08/06 11:39:51 AM
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2006/08/04

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門前仲町をはじめて訪れたなら、街のそのレトロな光景にきっと感動すると思う。まるでどこかの地方都市にでも来たかのような錯覚を覚え、とても東京・大手町から地下鉄で3駅目の街とは思えない。

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レトロな光景は夜になると暖かなオレンジ色の光をかもし出し、「門仲ダイニング」を演出してくれる。

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ローズ薫さんがコメントしてくれたように、お煎餅屋さんや和菓子屋さんが好きな人にはたまらない街だ。人情深川ご利益通りや永代通りのアーケドー商店街には、そんなお店をいくつも見つけることが出来る。

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路地にはいくつもの小料理屋が軒を連ね、いろいろな発見をする。この辰巳新道を入っていくと途中トイレがあるのだが、辰巳新道のための共同トイレであって、公衆トイレではないと書いているところが面白い。門仲ならではの光景だと思う。

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門仲を門仲たらしめているのは、このアーケードだろう。俺が歩く東京の街で昔ながらの商店街アーケドーがこれだけ機能して目立ている街は他にはない。


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昭和を感じるこの2階の喫茶店、入ってみたい。窓から見える交差点の光景もまたいいんじゃないだろうか。

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昭和レトロな光景はいたるところに。昭和の時代にタイムスリップしたようで、街散策人にとってもたまらない街だと思う。

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(門仲特集つづく)

●自ブログリンク:門前仲町(その1)・門仲への道
●自ブログリンク:門前仲町(その2)・門仲といえばここ







Last updated  2006/08/05 09:30:40 AM
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2006/08/02

おそばせながら新月あけましておめでとうございます。本月もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、門前仲町。

門前仲町といえば、まずは深川不動堂。地下鉄東西線の駅から地上に出ると、すぐ横は「人情深川ご利益通り」の入り口となっていて、その仲見世通りを遡っていくと深川不動堂へ到着する。

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1703年(元禄16年) 徳川五代将軍綱吉の時代に、成田山のご本尊・不動明王を江戸にて参拝したいという気運の高まりに応え、江戸出開帳がこの地で行われた。それが深川不動堂のはじまりと言われている。

●リンク:深川不動堂公式サイト

300年後の現在も深川不動堂は訪れる人が多く、縁日にはたくさんの人で賑わい、江戸下町情緒を感じさせてくれる。
一方で深川不動堂の真後ろには首都高速9号線が走っていて、歴史ある不動堂と首都高速の高架との対比が、現在の「東京」を象徴する光景でもあると思う。


テレビ東京の番組「出没!アド街ック天国」で門前仲町が取り上げられた時、深川不動堂は第2位だった。

●リンク 出没!アド街ック天国(02/09/07) 門前仲町

第1位は富岡八幡宮。こちらは深川不動堂よりも歴史が古く、1627年(寛永4年)、周辺の砂州一帯を埋め立て創建されたという。源氏・・・ということになっている徳川将軍家の保護を受け、また「深川の八幡様」として江戸庶民に親しまれ、富岡八幡宮は「江戸最大の八幡様」として現在に至っている。

●リンク:富岡八幡宮公式サイト

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直ぐ近くの深川不動堂とは対象的に、こちらはひっそりとした森の中にあるようなイメージだ。

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敷地内には伊能忠敬の像、横綱力士碑、大関力士碑など名所が多い。
●リンク:深川観光協会サイト

江戸時代後期の測量家として知られる伊能忠敬は、深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に居を構え、1800年(寛政2年)、富岡八幡宮に参拝した後、有名な蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけたという。
この場所は、「伊能ウォーク」(「平成の伊能忠敬・ニッポンを歩こう・21世紀への100万人ウォーク」)の出発地ともなった。

●リンク:赤いランプの終列車 伊能ウォークWeb隊


さて、江戸時代からの門前仲町の名所を紹介したが、現代の門前仲町を象徴する名所といえばここだろう

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「出没!アド街ック天国」でも堂々の第4位となっている。赤札堂は1917年に門仲に創業し、現在東京・神奈川に十数店舗を展開しているスーパーマーケットだ。ちなみに上野などにあるファッション専門店のABABは赤札堂と同じ会社が経営している。

●リンク:赤札堂サイト

お隣中央区と違って、この街は人が住む街というイメージがある。なぜ?と問われたら、赤札堂があるからと一番最初に答えるだろう。それぐらい生活に密着した店舗だと思う。ここには100円ショップも入っていて、門前仲町には少なくとも駅周辺にここを含めて2件の100円ショップがある。・・・人が住む街だ。

既に移転してしまったようだが、赤札堂の1FにはレインボータウンFM 大江戸放送局のオープンスタジオがあった。FMの内容を聴いたことはなかったが、前を通るたびに気になるスポットであった。

●リンク:レインボータウンFM 大江戸放送局



(門仲特集つづく)

●自ブログリンク:門前仲町(その1)・門仲への道








Last updated  2006/08/05 09:47:29 AM
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2006/07/14

ついにきました「街についてうんちく」シリーズ。門前仲町を取り上げる!ってローズ薫さんにさんざん宣言しておきながら、どのぐらいの日にちが経ったことでしょう。これまで取り上げられなかったのは理由があって、写真を撮影しに行く時間がなかったんです(涙)。

で、いよいよ門仲きたか!!・・・と期待させておいて、のっけから大変申し訳ないですが、実はまだ写真撮影行ってません(さらに涙)。
でも、ローズ薫さんをあんまりじらして忘れられても困るので(笑)、今回はプレ門仲特集として、『門仲への道』というタイトルでいってみました!さぁ~いきますよ~

それでは最初に門前仲町について簡単な説明。
以下、ウィキペディア/門前仲町からの引用です。

門前仲町(もんぜんなかちょう)は東京都江東区の地名、および周辺地区である富岡、永代などを含めた地域名。東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅がある。伊能忠敬の住居跡など、江戸時代の著名人が多く住んでいた。通称「モンナカ」。また、古くから住む年配者は「ナカチョウ」と呼ぶことを好む。

ということです。俺も門前仲町のことを門仲(もんなか)って呼んでいますが、この略称は近年普及したようで、「ナカチョウ」っていう呼称、知らなかった。

さて、その門仲ですが(やっぱり「モンナカ」)位置関係でいうと、JR東京駅から東に向かい、距離にして3kmぐらいのところにあります。大手町から地下鉄東西線に乗れば、3駅目で着いてしまいます。徒歩だと、東京駅から永代通りを茅場町方向に向かって進み、隅田川を渡ってちょっと行くと商店街のアーケドーが見えてきて、門仲に到着します。30分強ぐらいでしょうか?交通手段が発達しているところを30分もかけて歩く人はそうはいないとは思いますが、歩けない距離でもないです。

で、その隅田川を渡るときの橋がこの永代橋。



東京駅方向から来てこの橋までが中央区、この橋を渡ると江東区となります。中央区側の永代通りは証券会社が立ちならび、日本経済を代表する金融ストリートなのですが、この永代橋を渡るとガラリと変わり、江戸情緒あふれた門仲ワールドに突入します。

写真を撮影した金曜日、永代橋はライトアップされていませんでしたが、ライトアップされると橋がブルーに浮かびあがり、かなり幻想的なイメージになります。

●リンク:夜景壁紙.com/永代橋(夜景がたくさん掲載されています)

この橋はテレビドラマの撮影でもよく使われる橋で、『魔法戦隊マジレンジャー』でも何度か使われていると思います。

永代橋って、名前は有名ですが、どんな歴史があるのか今回初めて知りました。現在の永代橋はこんな歴史があるとのことです。



永代橋の歴史を更にさかのぼると、忠臣蔵の大石内蔵助一行が吉良邸討ち入りの後に渡った橋だとか、文化4年に深川富岡八幡宮の祭礼日に詰め掛けた群衆の重みで、史上最悪の落橋事故が起きた橋だとか、いろいろと逸話や歴史のある橋です。

●リンク:元禄忠臣蔵関連の本所から永代橋までの散歩道を紹介
●リンク:ウィキペディア/永代橋

この永代橋ですが、個人的にもいくつか思い出のある橋で、歩いて渡ったことも10回以上はあると思います。隅田川の眺めがよく、歩いていて気持ちのいいコースです。



上の写真は永代橋からみた佃島の超高層マンション(リバーシティ21)の夜景です。写真下は隅田川テラスという川沿いに続いている公園で、春は桜、夏は花火と、東京リバーサイドの名所ですね。

●リンク:「隅田川テラス」を歩こう!

・・・

で、永代橋を渡って、いよいよ門仲ワールドについてうんちくを垂れる番なのですが、最初に宣言したとおり、まだ写真撮影行ってません(笑)

というわけで、門前仲町(2)が掲載されるまで、しばらく間が空くことになるかと思います。ローズ薫さんをさらにじらす(笑)

(つづく)

追伸)
今回はプレ門仲特集でしたが、一足先に門仲を知りたい!っていう人は、以下のサイトで門仲ワールドを堪能して下さい!!

●リンク:【まるごと門前仲町】---深川仲町通り商店街振興組合公式HP---







Last updated  2006/07/17 01:39:43 AM
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2006/05/30

火曜日は仕事の関係で渋谷に行くことが多い。いつもセンター街を通る。今日は昼と夜の2回通ったけど、夜はやたら白人系の人が目についた。人が多いのは相変わらずで、春休みのころはものすごい混雑だった。

センター街っていうと「チーマー」とか「ガングロ」「ヤマンバ」のイメージがあったんだけど、もはや過去の歴史となってしまったようだ。一時期多数見かけた地べたに座り込んでいる女子高生もあんまり見かけなくなった。若者の変化は早い。

渋谷センター街の特殊性について、民俗学的にこんな分析がある。

倉石教授はヤマンバが渋谷のセンター街で数多く見られたことから、「民俗学的に渋谷センター街を捉えると、“ハレ”の場ということになる。異界との境界的な入り合いの場であり、異界の者で異様であっても異様なりに受け入れられる場」と定義し、渋谷という“盛り場”が持つ特異性に着目する。「異端者は言葉を変えれば“かぶき者”でもある。センター街は異界性が強く、幅も深さもある。センター街は、ある意味で“年中お祭り”状態であるから、“かぶき者”が普段から登場するのも自然な成り行き。

シブヤ経済新聞 検証!「ヤマンバ」の登場と衰退 ~國學院大學 講座「渋谷学」連動企画 ~ より転載

たしかにセンター街って10代の子にしてみれば“ハレ”の場なのかもしれない。それだけパワーのある街だと思う。そんなセンター街をよく観察していれば、次に全国に拡散していくものが何なのか予測できるのかもね。


最近のセンター街は、井の頭通りの歩道がきれいに舗装されて広くなったり、街にマッチした大きくて目だつ広告が増えたりと、イメージアップされているにように思う。

渋谷センター街 ウェブサイト

ところで、センター街は 「宇田川町」っていうところにあるんだけど、もともと宇田川っていう川を埋め立てて作ったとのこと。知らなかったよ。どおりで大雨になると渋谷が水没するわけだ。

追伸)
渋谷の街についてのコラムはここがよく書かれています。おもしろいです。
渋谷の考現学 NHK出版リンク







Last updated  2006/06/01 08:17:58 PM
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2006/05/25
テーマ:埼玉を語る(4)

とりあず、この写真を見て!!

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近年、建築基準法の改正や土地の用途計画が変更になったりして、浦和の街は空前のマンション建設ラッシュとなった。急激なマンション乱立は、「浦和マンションまだら模様」と題され、 朝日新聞で企画特集が組まれたほどだ(2003年4月~5月)。

「浦和マンションまだら模様」を象徴するマンション群が上の写真。当時は通勤に浦和駅を使っていたので、マンションが次々に建っていく模様をリアルタイムで見ていた。

マンション建設ラッシュが始まる前、レンガ色をした7階建てのマンションしかなかった(写真中央右)。このマンションが建築されたのは1980年。マンション建設ラッシュがはじまり、98年、レンガ色をしたマンションの南側に12階建ての新しいマンションが建てられた(写真中央)。
見てのとおり、レンガ色をしたマンションには日が差し込まなくなってしまい、当然のことながら建設時には「太陽を返せ!!」と大反対があった。

真ん中のマンションが完成した4年後、今度はさらに南側により大規模なマンションが建つことになった。真ん中のマンションは今度は自分のマンションが「建設反対!!」の横断幕をたれる番になってしまった。

そしてさらに南側半分に新しいマンションが建設され、今では10mおきに4棟のマンションが建っている。

ありえね~って思うようなことが容赦なく起こり、住んでる人にとってはたまったものではないだろう。浦和の街ではいまだにどんどん新しいマンションが建設中で、あっちこっちで「建設反対!!」の看板を見かける。手前の更地も多分マンションを建てるために更地にしたんじゃない?。

北浦和の話になってしまうが、”肉のたかはし”と”正直屋”という北浦和を代表する店舗の跡地に、旧中仙道を挟んで商業施設のまったくない2つのマンションが建った。商店街のど真ん中にだ。歴史ある北浦和東口商店街の存在自体を否定されているようで、通るたびにどうにかならなかったのか・・・と思う。同じマンション建設でも与野駅西口が商店とマンションとがうまく融合した街づくりとなっているだけに、残念しごくだ。

マンションデベロッパーにとっては単に土地を見つけ、売ればよく、その街の文化や既に住んでいる人の生活がどうなろうが知ったことではないのだろう。草刈場のようなこの状況、資本主義社会だからありうることなのだが、それをうまくコントロールし、街としての方向性を打ち出すのが行政の役割のはずだ。

交通渋滞もひどい。浦和・さいたま新都心・大宮など、拠点となる各スポットでは再開発が続き、高層マンションが次から次へと作られ、各スポットの人口は増え続けている。その割りに道路が貧弱だから、さいたま市内は慢性的に渋滞が発生している。交通渋滞による経済的・環境的・時間的損失って、かなりのものになるんではないかと思う。

人口が増えたら変えていかなければならないことはいくらでもあるんだけど、市は駅周辺の民家を区画整理し、高層マンションを建てることだけが街づくりだとでも思っているようだ。人口増加に対する無防備・無策は昭和のころからあいかわらず進歩がないと思う。他の都市を見習って条例を整備するとか、都市モノレールを作るとか、駅近に公営の駐輪場を作るとか、街中の図書館を増強するとか、かながわ県民活動サポートセンターのような施設を作るとか・・・・増加する人口に合わせて、既に実現されていなければならないようなことがまるで出来ていないのが残念ながら現状だ。

住民の利便性という点において、横浜とか東京の多摩地区とかと同じレベルになっていてしかるべきなのに、隣の川口市よりも遅れてるって感じるのは俺だけではないだろう。どうして浦和はこんなに遅れてしまっているのかちょっと不思議だ。

JR浦和駅は現在高架化の工事中。東口の再開発も本格化し、1年後、2年後には街の様相や人の流れも更に変わっていくことだろう。人が住み、人が集まる快適な街となるためには、行政がやらなければならないことはいくらでもあるって思う。


浦和特集のしめくくりは行政批判になってしまったけど、「浦和」の街を取り上げると、こんな話、書かずにはいられないんだよね。

(おわり)



とりえあず浦和シリーズは今回でおわり。これからの街シリーズの目玉企画として、さいたま新都心を取り上げる予定。

さいたま新都心にはスーパーアリーナやジョン・レノン・ミュージアム、ヘヴンスロックなど音楽関係では外せない注目スポットがあり、コクーン、書楽、操車場など、とりあげたいものもたくさんある。戦隊シリーズの撮影スポットもあるし、盛りだくさん!!
どうやって書いていこうか・・・・楽しみ。







Last updated  2006/07/06 06:12:08 PM
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2006/05/24

JR浦和駅西口から県庁通りに進み、メガネの和真の角から路地に入ってワシントンホテルの裏側を進むと、埼浴会館がある。ライブハウス「ナルシス」はそのB1だ。

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ビジュアル系バンドが活躍するこのライブハウスで、この日も地下でのライブの音が路上まで響いていた

ナルシスは1982年から続いているとのことだが、ライブハウスとしてはかなり古いと思う。新宿ロフトがオープンしたのは1976年だ。

イカ天ブーム(1989~1990年)のころ、埼玉の代表的なライブハウスと言えば大宮フリークスだった。そして南の川口には川口モンスターがあった。

大宮の南銀にあったフリークスは騒音問題で1992年に幕を閉じ、熊谷に移転して熊谷ヴォーグ(現HEAVEN'S ROCK)へと変遷した。川口モンスターはいつの間にか無くなっていた。モンスターではライブをやったこともあったのでかなり淋しかった。

南浦和ポテトハウスは北浦和エアーズにライブハウスとしての母体が移り、近年は北浦和 KYARA や さいたま新都心にHEAVEN'S ROCKがオープンするなど、周辺のライブハウス状況は時代とともに変遷している。

そんな中、今だに浦和でナルシスが続いてるってことは脅威的なことだと思う。
ナルシスはターゲットを絞ったライブハウスとして、お客さんのハートを掴み続けているのかもしれない。

浦和ナルシス公式ホームページ

(つづく)

追伸)
関連情報をお寄せいただきました。ありがとうございます!
ビジュアル系総合オフィシャルサイト- VISUNAVI.COM ~びじゅなび
13(2005なっちさんおススメのバンド)







Last updated  2006/05/25 07:54:33 PM
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2006/05/23

N郎♪音汰、今回は浦和の街の音楽スポットを紹介。

JR浦和駅西口から県庁方向へ進み、旧中仙道を超えて坂道を下り始めると右手に埼玉会館が見える。

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松本清張原作/野村芳太郎監督の映画「砂の器」(1974年 松竹)を観たことがあるだろうか? 若い世代にはSMAP中居クンを主役にしたTBSのドラマのほうがなじみがあるかもしれない。

映画のサントラCD ”ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」”を聴きながら文章を書いているのだが、解説書に掲載された、美しい日本の四季を旅する親子の切ない写真を観て、久しぶりにグッときてしまった。

映画のクライマックスでは旅する親子の映像と、加藤剛が演じる和賀英良のコンサートの模様がクロスオーバーする。

そのコンサートシーンの撮影で使われたのが、ここ埼玉会館・大ホール。

松本清張の「砂の器」を歩く (東京編)

現在の埼玉会館は昭和41年に落成したという。以後、南浦和文化センター、大宮ソニックシティ、川口リリア、さいたま芸術劇場、そしてさいたまスーパーアリーナと浦和の近隣にはメジャーなホールやアリーナが次々に作られてきた。

TBSの「砂の器」でコンサート会場として使用されたのは大宮ソニックシティだ。さいたま芸術劇場も撮影場所として使用された。

『砂の器』エキストラ&ロケ地巡りレポ

同じさいたま市内で撮影が行われながら、埼玉会館から大宮ソニックシティやさいたま芸術劇場へとロケ地が移ったことは、時代の移り変わりを象徴していると思う。

学生のころ、小ホールでコンサートをやったこともある。ナルシスやスピリッツが企画し、複数のバンドが集まって行う企画ライブもここでよく行われる。現在改修工事のため休館中とのことだが、歴史と愛着のある埼玉会館にはいつまでも浦和の街の文化のシンボルでいて欲しい。

埼玉会館ホームページ

(つづく)







Last updated  2006/05/25 11:43:48 AM
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