未来社会(経済と社会の仕組み)

2014/05/12(月)14:34

暴走する資本主義

現代社会の問題(64)

●ロバート・B・ライシュはベーシックインカムの賛同者であるとのことなので、下記の本を読んでみた。原題は「Supercapitalism」であり、本の帯には「東洋経済ベストセレクション」と書かれている。 暴走する資本主義 ロバート・B・ライシュ ●大企業と労働組合がもちつもたれつの関係を保ち、大企業は安定性を堅持し、労働者は将来設計が見通せた戦後の「黄金時代」を経て、情報通信技術を含む技術革新は、大企業と中小企業の垣根や国境の壁を低くし大競争時代を招来した。新自由主義思想がもてはやされ、企業は投資家からの配当期待と消費者からのお買得商品の選別というプレッシャーを受けて、利潤追求のため優秀な経営者を求め、様々な法規制を自社に有利なものとするためロビー活動に大枚の資金を投入するようになった。著者は資本主義が超資本主義として、政治をも呑み込んでいる実態が明らかにされている。 ●このような超資本主義の下で繁栄の中で、多くの人が格差や貧困に悩まされると同時に市民は投資者や消費者として企業に飽くことなき利潤追求とお買得商品漁りを通じてその原因の拡大再生産を助長している。 ●企業の目的は利潤追求にあり、人間と同じような社会的責任などを持たせるべきではなく、企業収益は株主に全て還元すべきであり、逆に法人税などはなくすべきであるとの著者の主張にはある程度納得がいく。 ●このような超資本主義の越権行為を止めるには法規制による縛りが必要になるが、その法整備を行う政治家が企業献金などに依存している現状があり、改革は容易ではない。全てが…社会や政治の隅々まで利潤追求動機によって暴走する超資本主義に席巻されている。新自由主義のような思想が繰りかえし勢力を増してくるのは情報通信インフラをベースとしたな経済システム上の特性による。 ●しかし、ちょっと考えてみればあたりまえのことである。経済システムが利潤追求を原動力としている限り、それを担う人間の活動動機が利潤追求になるのは当然ことであり、人間的な正義感や温情・同情といったものは人道主義者やロマンチストの感傷に過ぎなくなる。 ●超資本主義は利子貨幣が当然にもたらす社会の姿である。便利な交換手段として誕生した貨幣がモノの上に君臨し、富の貯蔵手段となり、利殖手段となって、人間の精神と社会の隅々までを支配するようになるのは必然である。人間の動機の大半は利子貨幣の意志である。人間的な社会規範を求めても経済規範が非人間的な利益至上主義である限り人間的社会には逆立ちしてもなりようがない。 ●この状態を打開する有力な手段のひとつがベーシックインカムであり、もう一つが減価貨幣である。ベーシックインカムは全ての人に生活上の所得保障を行うことによって人間を生きるための利潤追求の脅迫から解放し、減価貨幣はモノが貨幣のしもべの状態からから解放する。おそらくこれ以外に人間が利子貨幣の奴隷から解放される道は無い。減価貨幣の減価率は配分されるベーシックインカムの回収率になる。 ●人間の創造的活動に課税するのはそもそも問題がある。企業に税を課しても結局は巡り巡って消費者が負担するだけのことである。それよりも地球環境の保全と公正な地球資源の利用のために、地球資源利用料の形へと全面的に置き替えるべきである。ベーシックインカムとこの地球資源利用料によって税金なるものを一掃し、無税社会を実現することもできる。 ●このことは利子貨幣の誕生以来、貨幣に支配され権力者や富者に支配されてきた人間の歴史の一大転換点になる。おそらく、人間の活動動機や社会規範が有利子貨幣から解放されれば国などというものも単なる地方境界線に過ぎない世界になっていく。

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