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カテゴリ:社会
最近よく耳にするのが「ネットカフェ難民」。そんな言葉は少し前には存在しなかったが、自然発生したわけではなく、誰かがネーミングしたのだ。昨日、たまたまそれを名付けた組織を知ってしまったので、改めてその言葉の意味を考え直した。
定職につかず、携帯電話に入ってくる情報でワンコールワーク(=日雇い)の軽作業などで生計を立て、部屋を借りるお金もないので、シャワーなどのついたインターネットカフェで、1泊1,000円程度で泊まる若者たちのことを指すらしい。その状態にある若者を救済すべきだとは思うが、呼び方はこれでなくていいのではないか。 「住所不定」や「汚れて見える衣服」の人や状態を指してジプシーと呼ぶことは、マスコミでは禁止されている。 同様に、難民という言葉は戦争や宗教、民族対立、天災や貧困、飢餓などの理由で住む場所を追われた人々を指すのであって、ネットカフェに泊まる若者のことを安易に「難民」と呼ぶことに、私は抵抗がある。 安全な日本でお金を払ってどこかに泊まる自由がある人を、本当の意味の難民の方と一緒にしたのでは難民の方に失礼ではないかと。 そもそも○○難民とは、カンボジア難民であれば「カンボジアの戦乱で難民になった人」という意味に使われるべきで、泊まるところがないからネットカフェに泊まる人々をネットカフェ難民と呼ぶのはおかしい。 これまでの経験から、「ネットカフェ難民」は今年発行の「現代用語の基礎知識」とか「イミダス」には掲載されるものの、そのうち使用禁止になりそうな気がする。 外出先で時間をつぶしたり、体を休めたり、インターネットを使った仕事をするにはインターネットカフェは安価でとても便利な場所だ。それなのに、最近は「どうしようもない人が最終的に行き着く場所」というようなレッテルを貼られて、私は迷惑に思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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