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カテゴリ:ヒロ伊藤流?仏弟子修行
![]() なおさんからご質問をいただきました。 皆さんにも聞いていただきたいので、 ご紹介させていただきます。 なおさん >「渇愛とは、砂漠で喉の渇きを癒す水を求めるような、強い執着」 >ブッタもこれから離れることがなかなか出来ず、煩悩に苦しんだと、とある本で読んだことがあった気がします。難しいですね、様々なことが重なって・・・捨て去るにはかなりの時間と強い自分の心が必要です。私に果たして出来るのでしょうか。 ----- 確かに難しいですね。 しかし、執着はほんとうのところは捨て去るのでも乗り越えるものでもなく、 ある日突然、消え去るもののようです。 お釈迦様も確かに6年の苦行を通じて、次々に現れる煩悩の悪魔や 妄想や妄念と戦い続けた末にさとりに到りました。 しかしこれは苦行によってさとれたということではなく、 ある日突然、苦行を捨てて、瞑想に入ったことによるのです。 自らの心と真正面から向き合うことによって、自ずとさとることができたのです。 苦行を続けることと、さとりを得たいという執着が一体となっていたのでしょうね。 それが苦行を捨てることによって、その執着が消え失せ、 満月にかかった雲が晴れるように、自ずからさとりの光が現れたのです。 般若心経にも「無無明、亦無無明盡」、 「無明もなく、また無明の尽きることもなし」とあるように、 つまりほんとうは、迷いは、あるとか、無いとか、 捨てるとか乗り越えるとかいうものではないのです。 「さとりもなければ、迷いもなく、 さとりがなくなることもなければ、 迷いがなくなることもない。(中村元訳)」 さとりも同じですね。求めても得られるものではありません。 さとりも迷いとそのもとである執着も表裏一体の関係のようです。 かなりの時間と強い自分の心が必要だとか、 迷いのもとである執着を捨てようと、がんばっている間はダメですよ!と、いうことです。 がんばるのではなく、静かに瞑想して自分の心と直接向き合うこと。 様々なことが重なった世俗から1日に15分でも離れて、 真に自分のために時間を使ってください。 怒らせた肩を、ふっと落として、何も考えず、自分の呼吸を整えることと 姿勢を正しくすることだけに注意をして、ふわっと座ってみてください。 力を抜いてけっしてがんばらず、ただ、時間の流れに心身をまかしてください。 山の霧が突然に晴れ渡るように、迷いも執着も消えてしまう。 雲に遮られた太陽や月の光が、雲が過ぎ去ることで自然と現れるように、 さとりの光も突然現れる。 あなたの悩み苦しみがなくなりますように! あなたにさとりの光が現れますように! 合掌 観学院称徳 ご参考に 健康と心の癒しにヨーガと慈悲の瞑想法をプレゼント 2005年03月12日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200503120000/ 瞑想法についてのQ&A 2005年03月14日掲載 http://plaza.rakuten.co.jp/epub777/diary/200503140000/ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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