「しるべし、愛語は愛心よりおこる。
愛心は慈心を種子とせり。」
(『菩提薩捶(ぼだいさった)四摂法』道元禅師)
日本曹洞宗の開祖道元禅師といえば、
宋(中国)の天童山景徳寺の如浄禅師のもとで
只管打座、ひたすら座禅に打ち込む修行を積んで帰国し
中央の聖俗権力から距離をおいて
越前(福井県)山中に永平寺の前身となる修行道場を開き
日本最高の仏教哲学書とも言われている『正法眼蔵』95巻を
著わした高僧です。
ひたすら座禅に打ち込む厳しい人という印象があります。
しかし、私には大学が曹洞宗の大学だったこともあり、
また子供の頃よく行った祖母の実家が永平寺の近くだったということもあり、
厳しいだけではない、非常に近しいお坊さんという印象があります。
その道元さんが、冒頭のこんなやさしく
美しい言葉を残していたことを最近知りました。
やさしい言葉は、やさしい心から起こる。
やさしい心は、慈しみの心を種子としている。
さらに、
「愛語といふは、衆生をみるにまず慈愛の心をおこし、
顧愛の言語をほどこすなり。
およそ暴悪の言語なきなり。」(同書)
愛語というのは、人びとをみるのにまず慈愛の心を起こして、
ひとり一人を顧みて、やさしい言葉をかけることです。
どんなことがあっても暴悪の言葉を投げかけてはいけません。
愛の心は、慈悲心から生じる思いやりを持ったいたわりの心、
対価を要求しない無償の心です。
どこぞの偽占い師が、怖がらせた上で
地獄の業火に焼かれるというような暴悪の言葉を吐き
女性たちの心の隙間に入り込んだように、
言葉によって人の弱みに付け込んだり、
傷つけることがあってはならないのです。
今日の教えは、常に気をつけてさえいれば、
誰にでも実行できるはずのことです。
それができないとしたら、あなたの心が病みかけている証拠です。
自分の心をいたわってあげましょうね。
道元さんなら、そのためには、ひたすら座禅(瞑想)しなさいと言われるはずです。
拙僧の宗教遍歴は、もの心ついた頃、
南無阿弥陀仏の法然上人とイエス様から始まりました。
法然さんは、生家が浄土宗の檀家だったことにより、
イエス様は、自分の子供のように可愛がってくれた
家の隣にある女子校の音楽の先生がカトリックだったこと、
すぐ近所にローマ法王のバチカン大使館があり、
そこで働く家の子が小学校の同級生だったため、大使館内でよく遊んだことによります。
そして大学時代の道元禅師、お釈迦様の原始仏教、
49歳にして出逢った弘法大師と続いています。
なかでも道元さんとの出会いと思い出は、少年期から青年期への転換点だったために
今でも青春の思い出とともに鮮烈に記憶に残っています。
合掌 観学院称徳