ワールドカップの開幕戦を見て興奮冷めやらず夜更かしをしました。
朝寝坊をしていたら、山王日枝神社の祭り囃子で目が覚め、何とも懐かしい気分です。
笛と太鼓の音によって子供の頃の記憶が夢うつつの中に甦ってきます。
山車を引いている幼い浴衣姿の私を、今は亡き祖母が見ています。
それに続く子供御輿には、はっぴ姿に鉢巻きをきりりと締めた小学校5年の私がいます。
起きあがって、バルコニーから外を見たら、
ちょうど下の道を多くの子供たちに引かれた山車が通って行くところでした。
祭り囃子は、山車に乗った小学校高学年くらいの子供たちが演奏しています。
よく練習してきたのか、とても上手です。
最近は都心の街々でも、こうした庶民芸能の継承に積極的に取り組んでいるようですね。
子供の頃と言えば、『星の王子さま』の絵本を読んだことが思い出されます。
やがて大学生になったとき、第2外国語でフランス語を選択したら、
副読本に『星の王子さま』を買わされて、原文で読もうとしたことがありました。
もう三十年以上も前のことになってしまいましたが。。。
語学が苦手な拙僧は、半分も読まないうちに挫折して、
日本語訳の本を買って読みました。これらの本は残念ながら今は行方不明です。
最近、何故か『星の王子さま』が復活してきて、新訳本が、たくさん出ています。
本屋さんの店頭に『星の王子さま』の本が集められて平積みになっていたので、
懐かしいその挿絵や表紙の絵に惹かれてしまったようです。
4、5冊同じ部分を読み比べて、微かな記憶の中に存在する物語と
一番ピッタリな感じのもの、倉橋由美子訳を買いました。

『星の王子さま・新訳』宝島文庫 2006年06月刊
アントアーヌ・ド・サン・テグジュペリ著 /倉橋由美子訳
そして、読み終わった後で、仏弟子になったからなのか、歳をとったからなのか、
若い頃には気がつくことができなかった発見をしました。
星の王子さまが、星に帰っていく場面で語られる台詞が、
お釈迦様の言葉と不思議と完全にオーバーラップしていることを。
倉橋さん以外の訳本でもその部分を立ち読みしてみて、
それが倉橋さんの意訳や創作ではなく、原文に忠実なことが分かりました。
とすると、星の王子さまは、仏様。
倉橋さんは訳者あとがきの中で、次のように述べています。
星の王子さまは、小さな男の子の姿をしていますが、
普通の子供、つまりいずれは大きくなって大人になるような
現実の子供ではありません。もちろん現実の大人でもありません。
子供のように見えるこの人物は、ある種の大人が自分の内部にひそんでいると
信じている「反大人の自分」なのです。
これは、見方をかえて考えれば、誰の心の奥底にもあるという仏性であり、
目覚めを待っている内なる子供「インナーチャイルド」でもあるのではないか、
と拙僧は思います。
以下に、拙僧がそう感じた部分、王子さまが星に帰る部分を引用します。
もちろん、本を全部読んでいただくことで、その感動が数十倍も大きくなりますよ。
その夜、王子さまが行ってしまったのに私は気がつかなかった。音も立てずにいなくなったのだ。どうにか追いついたとき、王子さまは心を決めたらしく、足早に歩いていた。
「ああ、きみだったの」とだけいった。王子さまは私の手を取ったが、やはり不安そうだった。
「来ないほうがよかったのに。辛い思いをするよ。ぼくは死んだみたいになる。ほんとはそうじゃないけど・・・・・」
私は何もいわなかった。
「わかるよね。遠すぎるんだよ。ぼく、この体をもって帰るわけにはいかないんだ。重たすぎて」
私は何もいわなかった。
「体って、捨てられた古い貝殻みたいなものだ。悲しくなんかないよ。古い抜け殻なんて・・・」
中略。~ここで王子さまは、五億の星の世界、その星それぞれにあるという新鮮な水のあふれる五億の泉の話をします。
「ここがその場所だ。一人で行かせて」
中略。
「さあ、もう何もいうことはない・・・」
王子さまはしばらくためらっていたが、立ち上がって一歩踏み出した。私は動けなかった。
王子さまの踵のあたりを襲ったのはまさに黄色い閃光だった。一瞬、王子さまは動きをとめた。叫び声はあげなかった。静かに倒れた。木が倒れるように。音一つ立てなかった。
(『星の王子さま』26より、倉橋由美子訳 宝島文庫刊)
「大人になってからもう一度本気で読んでいただきたい本です」と、倉橋さんはあとがきに記しています。大人になってこそ、ほんとうの意味が理解できると言いたかったのかもしれません。
2005年6月、『星の王子さま』翻訳者の倉橋さんは急逝されました。
文庫化の前の単行本が同年7月に刊行される直前のことでした。
作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが、この作品を残して、
第二次大戦末期、偵察飛行に飛び立ったまま消息をたったように、
日本人の老若男女にこの新訳を残して。。。
最後に、もうひとつ引用しておきましょう。
ああ、小さな王子さま! こうしてだんだんときみの悲しいささやかな人生が理解できるようになった。長いこと、きみの唯一の楽しみといえば、日の入りだった。四日目の朝、それについて詳しいことがわかったのはきみがこういったときのことだった。
「ぼくね、日が沈むときが大好きなんだ。見に行こうよ・・・」
中略~王子さまの小さな星では「座っている椅子を数メートル動かすだけで、いつでも好きなときに“たそがれ”が見られる」という。
「ぼく、いつか日没を一日に四十四回見たよ。だって悲しい気分のときは日没ってすばらしい・・・」
「一日四十四回も夕日を眺めた日はずいぶんと悲しかったんだね」
しかし王子さまは何も答えなかった。(同書、6より)
人生で三度も星の王子さまに出逢えたことに感謝します。
世の中の人々に幼い子供の頃の清らかな心が戻りますように!
合掌 観学院称徳