江戸あるいは明治時代を背景とした落語や講談の古典を聴いていると、大商人と庶民との関わりを軸に展開する噺に出会います。先日秋葉寄席石丸亭で聴いた神田ひまわり師の『大岡政談五貫裁き』もそうでした。ひまわりさんは若手の女流講談師ですが、話芸のレコーディングエンジニアとして第一人者であり落語研究家の草柳さんが推薦するだけあって、歯切れもよく非常に上手いです。若い人にも常連にも聴かせるだけの力量の持ち主で、昨年秋に有望二つめの会で聴いてから二度目の機会に恵まれました。
職もなくぶらぶらしていた八五郎が一念発起、担ぎの八百屋でもやろうと元手を大家さんに借りに来る。八の改心を心から喜んだ大家さんは、金を貸すのではなく町内に奉加帳を持って回れば元くらい集まる、自分も出すが最初が肝心だから金持ちのところに行くようにとアドバイスする。八は言葉通り町内一の金持ち質屋の徳力屋に行くがけんかをして額から血を流して帰ってくる。たったの一文しかくれなかったから投げ返したらキセルで殴られたという。貰えるものは何でも貰うが、出すものは息も出したくないというケチな徳力屋、何でそんなところに行ったという大家さんに、八は死んだ祖父さんが町役人をしていたとき、徳力屋の冥加金(税金)ごまかしが発覚、お取り潰しされそうになったのを取りなしたという恩があるから行ったのだという。一計を案じた大家さん、月番が大岡さまだと思い出し奉行所に訴え出るようにいう。お白砂での大岡裁き、判決は八の一方的負け、五貫(五千)文の罰金。但し職も金もない八のため、1日1文づつ、投げつけた徳力屋に返すこと。徳力屋は八の代わりに奉行所に罰金を持ってくることというものだった。
喜んだ徳力屋、くさる八に、大家さんはしてやったり、毎日1文やるから心配するなと家に帰る。翌日早朝まだ暗いうちに八の家に来た大家さん「今から徳力屋に行って払ってこい」。「まだみんな寝てて悪いよ」と八、「御用を果たすのに遠慮はいらねえ」と大家さん。それから毎日八の夜討ち朝駆けが続く。徳力屋が店が開いてから持って来いと言うと、常周りの与力と岡っ引きが来て、「お裁きを何と心得る、神妙に果たせ」と窘められる。しかたなしに手代に奉行所に一文届けさせるのだが、受け取って貰えない。わけを訊くと、町役人3人同行の上、主人自らが届けろという。町役人同行には日当も弁当も必要、これが5千日も続いてはたまらないと頭を抱える主人。八の夜討ち朝駆けは続き、店中寝不足に悩まされる。八は無職なので昼は寝ているから平気のへいざだ。対して主人は毎日奉行所がよいで商売もできない、これでは身代が潰れると、番頭と相談、清水の舞台から飛び降りる気分で番頭に八あての10両を持たせ、これまでのことを詫び一括払いしてくれと頼ませる。八は大家の入れ知恵でこれを拒否、今度は主人自ら30両を持って詫びに来る。真の大岡裁き一件落着。八は充分すぎる開業資金を得たのであった。これに懲りた徳力屋、義理も人情もない、儲かるなら何をしてもいいという信条を改め、大店にふさわしい慈悲深い商売に心がけたことで、ますます繁盛、江戸でも指折りの大店になったという後日談付きでありました。
あれあれ長くなってしまいましたが、今日のお奨め本は『宗教の経済思想』(保坂俊司著)です。明治以降我が国の近代化が成功したのは、江戸時代までには醸成されていた経済思想、特に神仏習合に儒教・道教も包含した日本的な宗教観に裏打ちされた経済倫理がうまく機能したためであるというのは、誰もが認識している定説です。江戸時代前期の禅者であり日本人の職業倫理形成に大きな役割を果たしたとされる鈴木正三の職業倫理思想は、自らの仕事に社会的な義務観以上の価値観を与え、人間形成の道と職業を通して世間に貢献していると考える勤労観であり、「勤勉、節約、簡素な生活をもって宗教的な義務である職業労働に励むべし」というピューリタン思想とも共通性をみることができるものです。正三は、農業や職人など生産に関わる職業以外の「商業をも悟りへ至る修行の場としての聖業と位置づけ、奨励した」のです。かつて西洋では弱肉強食の自由競争はなく「神の見えざる手」によって、あるべきようにおさまるという思想が支配的でした。我が国でも「誰が見ていなくても、お天道様が見ている」「神仏がご覧になっている」という倫理観が生きていました。人々がまじめにこの言葉を口にしなくなってから久しいですね。本書は、経済行為の背景にある宗教について明らかにするものです。世界の宗教と経済思想の関係をトレースして、経済倫理欠如から生じる不祥事続きの現代経済界の問題解決の参考にしてもらいたいというのが、著者の願いだということです。現代の考察についてはもうひとつの印象が否めませんが、現代人にも無意識に働いていると思われる経済倫理について、宗教との関わりの中で理解することができました。
宗教的な感覚が欠如している、無宗教とも言われる我が国においても、けっして宗教が無関係ではあり得ない。自利利他の実践を尊ぶ経済にも適用される倫理観が、我々の心の底に生き続けていることも事実でしょうからね。
『宗教の経済思想』保坂俊司著 光文社新書
目次
第1章 キリスト教の経済思想
ビル・ゲイツとバフェットの選択/資本主義の胎動/資本主義を支えるキリスト教的倫理/アメリカ型資本主義と宗教/21世紀の経済倫理の可能性
第2章 イスラームの経済思想
味の素事件とイスラーム/タウヒード(聖俗一元)の経済思想/イスラーム金融の考え方/イスラームにおける労働と蓄財
第3章 仏教の経済思想
仏教と経済の関わり/原始仏教と商人階級/大乗仏教の経済倫理/日本の仏業即世俗業/日本型資本主義と鈴木正三
第4章 日本教の経済思想
日本的勤労観の核/滅私奉公的勤労観の形成/日本独自の実践倫理
以前に拙僧が師匠に「お陰様で生業が忙しく修行もあまりできません」と言い訳したとき、
師匠が「一所懸命に仕事をして世間のお役に立つことが仏道修行と同じこと、菩薩業だよ。
坊主の修行は、寺の跡取りがどんな馬鹿息子でも一人前にするための訓練なのだ」と、
おっしゃられ慰めていただいたことを思い出しました。
(ここで舌を出してしまった拙僧は神仏をも畏れぬ大虚け、何と罰当たりなんでしょうか!?)
世法即仏法、世俗業即仏業、生行即菩薩道!
合掌 勧学院称徳