祝日の昨夜、久しぶりにTBSの『水戸黄門』を見ました。若返った内藤剛志の風車の弥七効果で視聴率が上がっているということで、期待しておりました。赤い風車が飛んで控えめな演技の内藤弥七は、それなりの存在感を示していました。
さて、ここからが本題です。間違ってるぞ!水戸黄門。
悪代官と悪商人が結託して、藩御用達の鑑札を人の良い商人から奪おうとするのを、間一髪、水戸黄門と助さん、角さん、相変わらずお若い由美かおるのお銀改めおえん姉さんが救うのです。さんざん悪代官やその家来たち、悪商人を懲らしめた後、葵の御紋の印籠が出て、へへーと悪人どもが恐れ入るのです。いつものように予定調和の勧善懲悪ストーリーは、マンネリを超えて普遍的であり、大好きな拙僧ではあります。しかも寄る年波で、それがどんなに分かり切った展開であっても涙なしには見られない。困ったものです。
ただ、拙僧がええっと思ったのは、
黄門様「追って、藩侯より厳しき沙汰があるものと心得よ!」
と言った後の助さんのセリフです。恐れ入って土下座している悪人たちに向かって、
助さん「この者どもを引っ立てい!」
と、あろうことか、それまで黄門様ご一行を斬り殺そうとしていた悪代官の家来どもが
自分の主人である悪代官と悪商人を引っ立てどこかへ行ってしまったのです。
牢屋へぶち込むということでしょうが、
これはどう考えてもおかしい、変だ、間違っているんじゃないのということです。
このシナリオ作家も監督も、きっと若い人なのでしょう。
あるいは歴史を学んだことのない人なのでしょうね。
封建制社会というのは主従関係というある種の契約社会であって、
この場合、悪い奴とはいえ自分の主人である代官を家来が引っ立てることなど有り得ないのです。
勿論、これはフィクションでありどのように表現しようが制作者の勝手かもしれません。
しかし時代劇には時代考証というものがあって最低限守らねばならないことはあると思います。
黄門様が諸国を漫遊し悪を懲らしめ善を助けたというのは、江戸時代以来の講釈師が見てきたような嘘を言ったのではありますが、時代認識や当時の社会のあり方まで勝手に改竄してはならないのです。
阿倍政権が沖縄戦における住民の集団自決に対する軍の関与を教科書審議会を通じて検閲で否定し、削除させたようなものです。
我が国の近世における封建制度の特徴は、主従関係と藩内の完全自治にあります。完全な地方分権であり、江戸幕府はいわば連邦制の政府だったのです。
天下の副将軍といえども他藩の領内における司法権はないのです。
だいたい副将軍というのも正式な官職というより名誉職的なものです。
だからこそ「追って、藩侯より厳しき沙汰があるものと心得よ!」となるのですが、
さて、その悪人どもをどうするかが問題です。
(1)悪人どもに自ら牢屋に入らせる
(2)藩主か留守なら城代家老に連絡して、捕り方を差し向けてもらう
(3)悪人が「もはやこれまで」と切腹する
(4)悪人が「もはやこれまで」と黄門様に斬りかかり、返り討ちにされる
(5)極めて希に悪人が改心して黄門様が許す
と、まあ以前に拙僧がよく見ていた頃の水戸黄門ならばそうなったのでした。
長寿の人気番組だからこそ、きちっと極めてもらわないと困るのです。
勧善懲悪時代劇ファンの戯言でした。