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カテゴリ:高校生時代
壁の 向こうには 私は、自分で自分の考えははっきりしていると思っている。 周りに流される方ではないと思っているし、むしろたまに固執し過ぎる傾向にある。 高校2年生の時から私は不登校になったが、1年の時はこれでも何とか通っていた。 受験の時はただ勉強することだけをがんばり、 当時通っていた塾の先生に勧められて合格した高校。 なんでこの高校を選んだかと言われれば、何とも答えようがない。 そんな高校生活のスタートだったので、高校に合格してしまえば目標は達成され、 私は抜け殻のようになった。 周りの生徒たちは、すでに入学当時から大学受験のことを頭に置いて勉強を始めていて、 私はすぐに置いてきぼりになった。 「ただ何も考えずに勉強すればいいんだよ。」と言われたこともあったが、 何も目指すものがないのにどうがんばって勉強するのか。 嫌々ながらも、早退や欠席をしながらも、赤点追試を受けながらも、 何とか2年に進級したものの、いろいろなことが重なり、結局高校には行けなくなった。 私は、同じ中学から同じ高校へ進学した友達とずっと登下校を共にしていた。 その友達yちゃんは、私とは違いとても勉強熱心で、成績もとても良かった。 yちゃんの目標は薬剤師になること。 つまり、薬学部へ入学すること。 その目標に向かって日々努力していたのを、私はよく知っている。 そして現在、薬剤師として使命感を持って働いている。 だが、その目標は親から与えられた目標だった。 実は、yちゃんとは家が近かった為幼い頃から知っていたのだが、 yちゃんは厳格な家の地主さんだったのだ。 一生使える資格、年齢に関係なく働けて必ず需要のある仕事、 そんな言葉を使うyちゃんのお母さんを何度となく見たことがあった。 幼いながらに、なんで親が勧める道に進まないといけないんだろう、 yちゃんもyちゃんでなんでそれに従うんだろう、と私は不思議で仕方がなかった。 だが、不登校になり、何もなかった当時の私には、それが羨ましくてならなかったのだ。 yちゃんにはどんな時もちゃんと進む道が用意されている。 かたや私には何もない…。 私の親は、さすがに不登校になったばかりの頃は戸惑いを隠しきれない様子だったが、 しばらくした後は「自分の好きなようにしなさい。」と何も言わない親だった。 結局自分でピアノの道に進むことに決め、 もちろん今となっては自分で進む道を決めさせてくれた親に感謝している。 私は誰かに指図されるような人生は送りたくない。 だから、ピアノからも少し離れる決意をした。 自分の、たった一度きりの人生。 舵を取るのは、他の誰でもない、この私だ。 だが、思う。 何もない抜け殻のような時期がもしあったとしたならば、 ある程度の方向を指し示してくれる人も、時には必要なのではないか、と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/10/10 08:03:00 PM
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