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カテゴリ:2023〜養生
今月で多発性硬化症を発病して18年ということもあり、改めてなぜ私は予防治療をしないのか記録しておこうと思う。
これはあくまで私個人の考えなので、不快に感じられる方はスルーしてください。 そして、少し長くなります。 理由はいくつもあるが、まず大きな理由がこれ。 私は0歳の頃からアトピーだ。 思春期にはそれはそれはひどかった。 高校2年生に上がってすぐに不登校になったが、その原因の一つでもある。 加えて身体が弱く、頻繁に学校を休んだ。 風邪を引いた、しんどい、頭が痛い、かゆい、ヘルペスができた、と毎日のように内科や皮膚科で処方された飲み薬と塗り薬を服用し続け、要するに私は薬漬けで育ったのであった。 母に連れられて、家から2時間半もかかる山奥のアトピーの名医がいるとかいう医院に通っていたこともあったが、根本的に治る訳ではない。 終わりなき戦いにほとほとうんざりしていた。 薬には限界がある。 長年そんな釈然としない思いを抱える中で、26歳で多発性硬化症を発病した。 難病であった。 この発病は私の人生において必然だったように思う。 あ、薬を辞めよう。 そう思い立ったことがまず最初の理由である。 二つ目。 これも大きな割合を占める理由だが、避けて通ることはできない父の死である。 大学2回生だった21歳の時に、いつもの朝と同じようにいつもと何ら変わらぬ姿で仕事へ行った父が、突然倒れ死んだ。 胸部の解離性大動脈瘤だった。 私たち3人は途方に暮れた。 まさか父が死ぬだなんて思いもしなかった稚い21歳の私には、当然受容することはできなかった。 そうか、人間の命とはこんなに呆気ないものなのか。 その数年前に母がC型肝炎で入院していた時の記憶もまざまざと蘇って来、私はこの耐え難き経験を通して世の中の不条理を知った。 当たり前のように明日が来ることを当たり前と思うなよ。 次第に私は、私自身は自然のままに人生を終えたいと願うようになってゆく。 例えば、今癌だと宣告されたとしても治療は拒否する。 命を操作することなくあるがままにすべてを受け入れる。 これが私の人生の最大の目標となった。 三つ目。 母一人子一人。 二人三脚で生きている。 母とは会話のない日々だが、毎日毎日雨の日も風の日も食事を作り続けてくれて深く感謝している。 主治医は、私が予防治療をしないことに家族は賛成なのかと問うた。 私はここでも主治医との考え方の相違を見た。 齢21歳で難病を発病した娘が自分で注射を打つ姿を見たい親がどこにいるだろうか? 冷蔵庫の中で注射器が冷やされている日常が果たして平和だろうか? 夫はとうにいない、娘は塞ぎ込んで何もしゃべらない、我が身は老い先短い、そんな中で暮らす母にとっては、どう考えても手間暇かけて作った食事を残さず食べてくれる方が幸せだろう。 ご飯だけが母と私とを繋ぐただ一つの架け橋なのである。 仮に予防治療をするとしたら、それは母がこの世を去ってからだ。 四つ目。 もし予防治療をするのであれば高額な医療費がかかる。 この病気は国が指定する難病だから、申請すれば国に全額負担してもらえる。 私はこの制度にも疑問を感じていた。 私は、難病とは言え、はっきりとした病名が付いているだけ恵まれているのである。 この世には病名も付かないような難しい症状で苦しんでいる方たちがもっともっとたくさんいて、本当に私は運が良かった。 私に支払われる医療費があるならば、そんな他の方たちの為に使ってもらいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025/06/09 07:23:59 PM
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