|
テーマ:障害児の親として(1434)
カテゴリ:カテゴリ未分類
就学と聞くと世間一般の人は、「小学校」となります。
でも、この「障害児の親」に日記を書き込みされている方たちは、大なり小なりこの小学校(普通学級)というものが「普通」という言葉の本来の辞典に出てくる意味と違って感じられると思います。 自分の子供は普通ではないという焦燥感、疎外感があったり、そういう時期が少なからずあったのではないかと思います。 就学時 私が信頼している療育機関の先生も、かなり楽観的な考え方のドクターもわが子たちには養護を進められました。 「現実」というものが見えていたからだと思います。 それに逆らって特殊に進んだのも私には私の理想があって、「小学校は、基本的に勉強をするところ」という、助言も無視し、健常児と少しでも関わらせたい、そういう思いで小学校に入学しました。 でも現実はそう甘いものではありませんね。 学校自体のカリキュラムを変えることは出来ませんでした。 そのカリキュラムに沿っていく事はわが子たちには苦痛だったのです。 このシステムを作るのは国です。 来年の支援費制度と介護保険との統合、ゆとり教育、特別支援教室などなど、いろんな事がころころ変わります。 この「学校は基本的に勉強するところ」という大前提も変わるときがくるのでしょうか? その時私に養護を進め人たちはなんていうのでしょうね。 でも、今現在の現実のなかではわが子たちには養護が、一番幸せに暮らせるところであり、将来に向けて、もっとも力をそそいでくれるところであることは間違いありません。 今度の選択は正しいと思いたい。 来年の今頃、よかったという日記を書いていたいです。 子供たちは笑顔が増えているでしょうか? 出来ることが増えていたらいいな。 就学時に この選択という作業をしなければならない親というのも辛いですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|