第31章―嘘つきたちの夜1「笑顔がウソ臭いわ」 「何の事だか」 「大丈夫よ、ルドルフなら」 能天気な笑顔が崩れ、暗い表情になる。 「貴方の闇もきっと消してくれるわ」 「どうだか」 エリク達を殺した犯人はわからないまま、皇太子と友達でいる。友情は本物だと思う。ルドルフのことを好きになればなるだけ、嫉妬やねたみ、さまざまなそれだけじゃない感情も浮かぶ。 「ギーゼらさまにはわかっちゃうんだ」 「きっと報いてくれるわ」 憎悪の対象、それだけではないのだ。 痛みを苦しみを誰かに押し付けることは卑怯者がすることだ。幸福とは一言では表せない。 重かった、その期待が私には重かったのだ。本当は納得なんてしていない。知らないふりをして、答えを引き延ばし、私はただ審判の日を待っていた。誰かに与えた分だけ、私は呪いの金貨を胸にため込んでいた。どれだけ、砂漠から森の中から希望というありもしないものを探しても、彼らの命の代わりはない。 自分達が彼らの代わりになれるはずもない。自分達が幸せになる?そんなのは詭弁だ。恥ずべき悪だ。 だから私は真実という鏡から逃げた。自分の身勝手さに、醜さに、夢や友情、恋。綺麗だといわれるもので着飾り、世界という巨大な塊に歯車の中にいることでごまかした。けれど、嘘は自分を歪ませていく。 殺人者。卑怯者の嘘つき。誰もがする嘘。私は、12歳のころ、ある少年の人生を殺した。彼は嘘つきで冷酷で弱虫で卑屈で、欠点だけでエゴだけで。私は私に寄せる信頼が愛が怖かった。彼の笑顔が言葉がこう言っている気がしていた。 正しくあれ、間違うな。 「・・・・私は」 だがセレスティアは振り返らない。 雨が降っていた。理解できなかった、彼がなぜそこまで、私に姉というものに家族というものを求めたのか。一つも彼とは合わない。彼の行動が私のため?私は革命なんか起こしてほしくなかった。誰かを傷つけてほしくなかった。彼は狂っている、悪だ。 「気付いておいて、見捨てたんですね」 涙がこぼれて。 だが、私はその彼に何をした?最低な人間だとしても、彼の私に対する愛情は真実で、彼が勝手に暴走して、自分を理由にして、罪を犯した。弱虫で夢見がちで、だがその彼が真実と向き合い、私が切り捨てた部分で血を流し続けた。気持ち悪い、不気味だ。言葉は簡単だ。 私は一度でも、自分の「弟」の痛みや苦しみをむきあったのか。なぜ言ってくれなかったのか。彼の性格ならすぐに泣きついてくる。薄情?本当にそうなら、他人であるエリク達の死を放置してもいい、何も自分の人生を時間を使ってまで戦わなくてもいいはずだ。 「弱虫・・・・」 まるで黴菌扱いだな、彼女は親切のつもりなのだろう。数多くいる女官、使用人に個人的な付き合い、悪影響だと忠告する者もいた。 アリスは少しずつ、周囲にも認められるようになった。人徳もあるが、彼女自身の努力もある。それに聡明で、一生懸命で。 勉強の、将来の邪魔だとあからさまに言う大臣や貴族もいた。自ら重荷を背負うことはない、距離を測り、立場をわきまえさせろと。わたくし事を通すのは悪いと。 「ルドルフ様、お友達が来ましたよ」 メイドの一人が声をかけてきた。扉が開き、能天気な笑顔が向けられてきた。 「見てみて、新しい毛虫見つけたんだ」 「ひいっ」 「まだ苦手なんですか、可愛いのに」 エリアス卿が、王宮の中で本を読んでいるヴォルフリートを見る。 「彼女はともかく、あの方とのお付き合いは控えては」 「なぜだ」 「この前も授業の合間に連れ回されたのでしょう」 「―お前たちの主人は個性的だな」 「これは殿下・・」 「いい構うな」 「一連の馬鹿騒ぎ、真実は違うんだろう」 「何のことでしょう」 「アリスの部屋にこの屋敷以外の侵入者の手形がついていた、それに僕の寝室は二階だ、人が登れる木も建物も傍にはない、寄りかかる場所もな」 「・・・」 「お前たち使用人はあの家族が変わる前の祖父の時代からの古い使用人らしいな、病気がちの先代の妻を別の屋敷に入れていたとか」 「以前の話です、過去はもう誰もが忘れて」 「ただの風車何だろう、あすあの場所に警察や軍が入ることになる、お前たちの宝を取りにな」 「当家はただの田舎貴族、財産など・・・」 「病気がちの老人のいる場所に人工の湖にボートを作る必要があるか、孫達とは疎遠だったのだろう」 「・・・いいえ、もうひとつの奥様の財産ですよ、それはどんなものとも取り替えられない、宝石や金ではありません」 「・・・なんだ」 「いいえ、何でも」 そう、ルドルフさまは子供だ、そんなことするはずがない。 「風が強くなりそうね」 なんだかとても恐ろしいことを考えてしまいそうな、戻れなくなりそうな。 「侮辱されたんだぞ」 彼らもわかった上だ。結局、無意味な争いを起こしてもと問題は片付いてしまった。悔しい、悲しい。自分はただ一人の友でさえ助ける力もないのか。 だが納得できないのは。 ・・・・こいつは何で馬鹿なんだ。 だがルドルフは実は侮られるほど馬鹿でも、無神経でも冷たいわけでもない。感情豊かで人情的なアリスと違って、ただ表に出さないだけだ。孤児院にいた時からずっと。まるでそれが自分の役目だと思っているのかと疑いたくなるくらいだ。 「何だって、そう高ぶらせるのですかね」 「お前のことだぞ、悔しくないのか」 ルドルフはむっとなる。 「うーん、でも、まあ大体あっているし」 「少しは怒ったり、感情的になってみたらどうなんだ、ボーっと生きていると今に後悔するぞ、アリスを少しは見習え」 「あはは、無理だよ」 「馬鹿もの」 そう言って、退出する。バカみたいな笑顔を浮かべたそばかすの少年を残して。 ・・・・・家族が死んだのだろう。 アリスは哀しみ、憎悪を自分にふがいない王子に向けてきた。自分は信頼されていないわけではないが頼られるほどになっていないのか。 これが自分の国の民衆だというのか。個人的感情はいけないと思う。父のように余裕を持ち、・・・だが小さなことだと片付けることが本当にこの国のためになるのか。アリスにとっては大事件だ、目の前で孤児たちが殺されて。 犯人は今もわからない。ただ孤児がいるということはやはり、捨てる親がいて、弱いからと判断され殺される。そんなことが許されてはいけない。 こんな小さい手さえ守れないのに。 「ご友情もいいかげんになさい」 「おばあ様・・・・」 「貴方は甘えたいだけ、弱さを自ら生むつもりですか」 何も言えない。物心つくころから、母の悪口を言われ、多くの家庭教師、軍人としての教育。当たり前に思っていた。自分を落とそうとする、媚びる大人達。機械的な使用人。当たり前だと思った。 利用してやる、最初はなんて世間知らず。・・・だが世間知らずは僕の方だ。事件の目撃者だからと最初は・・・・でも今は罪悪感と後悔があって。 ある時、わざと時間を間違えて教えたのだろう、大人たちは多く集まる場所にあいつだけ来ないようにした。 扉が開かれる。アリスが大きく目を見開かせる。 「なんて無礼な、その汚い格好はなんなんです」 「すいません、遅れてしまって」 周囲がざわめく。エリアス卿がたちあがる。引き裂かれたブラウス、血だらけの膝、ズボンもナイフで引き裂かれている。 「ヴォルフリート、一体何が」 「来る途中、少しトラブルがあってね、最初から時間通りに来るつもりなんだけど」 馬鹿みたいに笑う。 「皇帝陛下、遅れてすいません」 膝を曲げ、頭を下げる。異様ではある。不作法だ。 「きみは・・・」 「式に参加していいでしょうか」 「ああ、だがその格好は」 なんだか自分の方が妙に恥ずかしくなった。 「きっと生まれがいやしいから喧嘩ですよ、野蛮な」 「ここは動物園ではないのに」 だがその貴婦人も多くの参加者もヴォルフリートに興味持たれていない、前だけ見ている姿勢に気付いたのだろう。女官に連れられて、ヴォルフリートは歩いていく。 裸足である。アリスが追いかけていく。頬が熱い。かぁぁとなる。一番前に座っている自分が妙に情けなく思った。 あいつは馬鹿にされるやつじゃない。確かに馬鹿だ、だが馬鹿にする奴の考えはいつも下に見られる人間にはたやすく読める。逃げたっていい。泣いてもいい。ここにきても何一ついい思いしないのはあいつはすぐわかる。マイペースで能天気で空気読めなくて。弱虫でアリスに頼りきりで。 誰もが軽く見る、だから虐めていい、馬鹿にしていいと。 ・・・馬鹿か、あんな頑固で自分勝手な扱いづらい奴がお前らの近くにいるか。お前らにあいつの我儘が甘さが使いこなせるか。酷いんだ、何が何でも順々に見えて、自分を通す。自分の思い通りにする。いつも、いつも僕の生活をめちゃくちゃにして。神経を逆なでして。理解できない。ひいていて。全然僕の気持なんかわかろうともしない。 誰にもあいつを制御できない、あんな力強さは僕にはない。 ・・・・成れるのだろうか。 こんな気持ちは初めてで。泣きたくて、自分が小さく見えて。妙に胸が重くて。 この国はまだ終わりじゃない。孤児でも何者かわからなくても、自分を通すモノがいる。まだ間に合うのだろうか。せめて、あいつがあいつの人生を生きれる、それに値する場所が僕につくれるのだろうか。 彼女は多くの使用人を連れて去っていく。こんなご時世に舞踏会など。 いや、ごまかしたいのだろう。 着飾った正装の令嬢は、目先のことを考える中間層、家柄と伝統にすがる貴族、政治家。少し歩けば、あす上で死ぬ人間もいるのに。 だが口に出さないだけの誠実さを令嬢は持っていた。 「相変わらず変わり者ね、ローリー」 「ああ」 旅行から帰ってきた男爵家の。 「まるで迷路の様ですね」 地方を回っていた少年の雰囲気をずいぶんか残した青年の軍人が金髪碧眼の相棒とともに、ビュードゥ―ナ―元帥の後に、副官の後についていった。 「君は貴族の生まれなのだろう、宮廷は初めてかね」 「あまりきょろきょろするのはよくないぞ、ヘンリー」 「苦手なんですよ、華やかな場所は」 くすり、と先頭の男が笑う。 「なぁに、すぐになれるさ、君はまだ19歳かそこらだろう、なれる時間はいくらでもある」 ダークブラウンの整えられた髪と涼やかな目は情けなさを漂わせていた。 「お前たちに期待していない、今日は元帥閣下の壁になったつもりでそばでたっていればいい」 ふんっ、と鼻でならした。 「がんばります」 「それより見てみろよ、さっきから君に麗しい女性達が熱い視線を向けているぞ」 「―元帥閣下の警備に若いのがいるのが珍しいからでしょう」 すると、軍服の男がぷっと吹き出した。いやみたらしい副官もだ。 「何か問題でも?」 「見て、皇妃様と皇女ヴァレリー様よ」 「珍しい、皇太子様もいるわ」 会場ではさまざまな階層の人間が着飾り、中央のきらびやかな皇帝一家を囲っていた。 「お前達は廊下で待ちなさい」 「はっ」 背筋を伸ばし、命令に従った。 「噂の旅行好きの美人の王妃さまだって、少し見に行くか、お前も男なら見にいくだろ」 「イヤ、仕事中だろ」 「構わないさ、どうせ先輩たちに押し付けられた簡単な仕事だろ、大公様も今日はご出席するそうだぞ」 「―ああ、昔なんかぽかしたとかいう」 じろりと睨まれた。 「じゃあ、元帥閣下を待とうか」 「お、おお、不審な輩がいるかもだしね」 カリーヌは奇妙な時間にお客様が来るのだなと二階の子供部屋で縫い合わせただけのぬいぐるみと呼べる人形を抱きながら思った。院長先生は沈んでいる。 「それでさ、ヴォルフリート、明日湖の方に遊びに行こうぜ」 「ええ、でも村での手伝いが」 「そんなの、誰かに任せればいいだろ」 メルクに行くと言われても、自分は熱心な信者ではない。 「う~ん」 目が覚めたとき、自分のベッドに麗しの皇太子がいた。。ぼんやりした頭で徐々に状況を理解する。 「はぁ?」 頬が紅潮する。 自分の隣でルドルフが寝ていたのだ。 しかも手足を自分に絡ませて。 「ん・・・」 意味を途端に理解する。意味をわからない、思考停止する癖は出なかった。ああ、こんなときほどあほな自分でいるべきなのに。 「ちょっと、殿下」 「ヴォルフリート?」 不思議そうな表情でルドルフが起きる。目をこすりながら。 「何で貴方が僕の隣で寝ているんですか」 ルドルフはびっくりした。こんなに感情が豊かな、照れたヴォルフリートは初めてで。 「照れているのか」 。 「照れてないし、なんで人のベッドにいるんですかっ」 「別に問題はないだろう、男同士で僕達は親友だ」 口をパクパクさせている、頬も紅潮させて。 「・・・え、でも・・・・」 何、犬猫感覚なの? 「そうだな、男友達とは普通同じベッドに寝ないな」 「・・・・・え、じゃあ、ルドルフ様、わかっているなら、・・・・そういう趣味なの?」 人を道の怪物みたいに見るな。 「・・・そんなわけないだろう、それに仮に僕がそういう趣味でもお前のような馬鹿を相手にするほどではない」 あほか、ここは素直にいうところだろう。いや、素直に僕はこいつに何を言うべきだ。 「ルドルフ様?」 「・…ええとだな、そう、その何だ、実は最近、そう、そば仕えの女官に美人がいてお前に相談しに来たんだ、それでお前が寝ていて起こそうとして」 「ルドルフ様が人に相談?」 「・・・・なんだ」 じろりと睨むとへえ、不運という声を出す。 にっこりとほほ笑まれた。 「いやあ、思春期の相談か、そうか、僕ら親友ですもんね」 ものすごく喜ばれた。 「それじゃあ、お兄さん、相談に乗ろうかな、よし、紅茶と何か食べれる物持ってくる」 「そんなにキラキラした目で見られても、人の話を聞け」 だが扉は閉められる。 「・・・・二つしか離れていないだけだろうが」 というか精神的にあいつがガキだ。 背は低いし、華奢だし、顔も最近中抜けてきて美しいというか、可愛いし。 美少年になってきてるし。 「あれでもう少し中身が大人なら・・・」 2 「思想派が・・」 元帥は連れてきた若い青年の軍人に助けられ、一時会場は家内の騒動だった。皇帝たちは侍従に連れられ、身を引いた。 「恐ろしいわ」 「誰が招き入れたのかしら」 ルドルフも退場する予定だったのだが。 「おい、何でお前がここにいる」 「・・・は?」 背筋をぴんと伸ばし、細いラインの鍛えられた体。軍帽を深く被り、元帥を手で引っ張り起こしていたところをヨハン・サルヴァドール大公が不思議そうな顔の部下を連れて、ダークブラウンの髪の爽やかな雰囲気の青年に声をかけた。 「大公様、一体」 振り返ったその顔はヴァルベルグラオ家の嫡男を鏡写しにしたような。周囲がざわめく。 「お前はここにたちいってはいけないはずだ」 気づいたら、ルドルフは歩み寄っていた。心臓をまるでつかみとられたような感覚。 「―お前、帰ってきたのか」 「・・・・失礼ですが、殿下、どこかでお会いしたでしょうか、自分と殿下は今日初めて会ったはずですが」 「はぁっ」 思わず、声を荒げてしまった。 「それがお前の答えか、ヴォルフリート」 周囲がざわつく。 「ご挨拶が遅れました、これは私の護衛でクラウド子爵の次男坊で」 「・・・本名全て言うんですよね」 「当たり前だろう、略式なんて相手に失礼だ」 はぁ、と帽子を整えながら敬礼のポーズをとり、 「ご挨拶が遅れました、自分はゴットヴァルト・ヴィルフリート・フォン・ヘンリー・二コル・アルバート・(このあたりからかなり長くなる)・クラウド、軍においての階級は、少尉です、皇帝陛下並び皇太子殿下にはぜひお見知りおきをお願いします」 「お願いしてどうすんだ、ヘンリー」 「うるさいな、庶民生まれは敬語が苦手なんだよ、ああ、皇太子殿下、これは失礼をこっちは同僚で大尉のセアドア・フォン・ナイチンゲールです」 「おい、何で犯罪者がエリートの階段登ってんだよ、十代だろ」 え、とセアドアが見つめる。 「大公殿下、そりゃあ人違いですよ、こいつは私の友人のとこの下っ端なんですが、最年少で、成績だけはいい女性受けだけが取り柄のガキですよ」 「元帥閣下、あの背中叩くのやめてくれません?」 「まあまあ、うちの孫娘と今度合わしてやるぞ、うちの孫娘は美人だ」 「・・・・さすがに8歳は遠慮したいんですが」 「行きましょう、この後、会食でしょう」 ああ、と声を上げた。 「それでは、殿下、自分達はこれで、うちの馬鹿がすみませんね」 「酒に付き合えよ、お偉方も少尉、お前には会いたがっているからな」 「・・・うぇっ、権力者はもうこりごりなんですが」 「いいじゃないか、お前は歩くだけでどんな美人も寄ってくるからな」 「年下の美少女がいいんですが」 「何ヘンリー、まだ年上の女性が苦手なのかい、この前も遠征先で・・・」 「わあああああああ、何言ってんですか、ないから、僕地味で変人ですからないですって」 「聞いてくださいよ、こいつ、ちょっとわけありの店でですね女性に」 「ほう、興味深いな」 ・・・・ヘンリー? ルドルフとヨハンは顔を合わせた。 3 「そんなアンネリース夫人の魅力に比べたら私なんてまだまだですよ」 え、だれだ、こいつ。 「まあ、それは望みがあるということかしら」 「どうでしょう、親友に比べ私はどうもそのようなジャンルは不器用なもので、本当恥ずかしい限りですよ」 だから、誰だ。 「まあ、初々しい、でも地元だとかなり遊んでらしたとか、ゴットヴァルト様は格好いいから結構女性からも好意を寄せられたこともあるんでしょう、今まで恋人は何人くらい作りましたの」 「あはは、それはさすがに盛りすぎですよ、全然ですよ、幼少期は僻地で閉じ込められて育ちましたし、こう見えて友人関係もそりゃあひどいもので、女性とかかわるなんてとてもとても、まあご婦人がたのような美しい方に言い寄られたらぐらっときてしまうかもしれませんが」 「・・・へえ、まあ、それはいいですけど」 「あの、これあと何回やるんですか?」 「うむ、セアドア君か君がどっちが多く、貴婦人方を落とせるかまだ賭けは途中だからな」 「正直、きついんですが、他の方じゃだめですかね」 「これも人生経験だ、頑張りたまえ」 はぁ、とゴットヴァルトは深くため息をついた。 いわゆるオペラの会場である。最近が物騒だとか、他国と仲が悪いとかいう割に、これも務めだと、男爵夫人の旦那が病欠だからと、皇帝主催のオペラに、腕をからまれて着ていた。 「お酒は飲みますの」 「イヤ、19歳ですし」 周囲を見るが、正直勘弁してほしい。上等の席に座り、燕尾服を着て。 「帰りたい・・・」 「人付き合いも人生のうちですわ」 逃げるなと男爵夫人がロックした。 「ゴットヴァルト様はどんな曲が好きですの、リア王?椿姫?」 「場末の趣味の悪い歌です、ねえ、帰っていい?」 そもそも人が多いところは嫌いだ。派手な場所も、そもそも外は嫌いだ。男爵夫人は情熱的な女性ではなく、本当に歌を聞きに来たらしい。 「まあまあ、好きなものは何でも頼んでいいですわよ」 メニュー表を渡された。ごめんね、人みしりで。 「他の若い男でいいじゃないですか、何で僕が」 「あら、貴方はほかの男性と違い、小さいころから各地を回ってきた思いでがあるじゃないですか、ただの見目麗しい男性ならたくさんいますけど」 「僕もそこそこですが」 周囲がざわめく。 「アルベルト様とアリス様よ」 周囲がざわめく。同時に嘲笑めいた笑いが浮かぶ。 「あの二人、来年そうらしいですわよ」 耳元でささやかれ、ああ、と頷く。 「じゃあ、彼女は政治家の奥さんか」 「でしょうね、まあ、趣味の歌姫ごっこも今年で終わりでしょうね」 ・・・ヴォルフリートとともにここにきて、今は皇族のお気に入りの貴族か。彼女との距離はいつも遠い。悲しい過去は彼女にはどんなふうに映っていたのか。孤児で、地方で何となく生きていた僕とは、もう何もかも違う。 「まだ、緊張でも?」 周囲に大勢の人間が集まる。思えば子どもの時もあの兄弟は人気者だった。アリスが皇太子に気にいられ、ヴォルフリートは今では。 飲み物と食べ物を買い、席に部屋に戻る。カイザーやアルバートはもう自分の道に行き、僕は兵士を続けるのか、それとも。 たった数十目トール。異国のように思えた。その時、聞きなれた軍靴が聞こえた。 「失礼」 肩章で、宮廷に出入りできる身分の軍人と気付き、道を譲り、ついなれで敬礼をとってしまった。口元が微笑みだったようだが、気のせいだろう。 「君、襟元がまがっているぞ」 通りがけの宮廷司祭を連れた、紳士が近づいてきて、親切に整えてきた。 「ああ、これはどうも、あ・・・」 「――以前とはずいぶん雰囲気が変わったんだね」 顔を上げるが、ブロンドの髪に青い瞳。中年男性だが気品があり、いわゆる名門の生まれか、いずれにせよ、知らない人だ。 「・・・まあ、成長期ですから」 「そうか、軍務はつらいのだろうな、無理は控えなさい」 「アルバートお兄様と間違えてません?僕にそっくりの兄なら、たぶん貴方と知り合うことも」 なぜかチョコをその使用人からもらった。 「誰も君を間違えないさ」 じゃあ、と優雅に去られた。 昨日といい、これはあれか、催しでもしてるのか。まあ、あの二人にそっくりな奴がいたら面白いか。 「劇が始まるか」 ・・・・犯罪者のお前が。 そこで足をとめた。あれは僕に向けた言葉だよな。でも、皇族が、というか高貴な方が何でそんなふざけた、少し強すぎることに絡んでいるのか。 ええと、確か僕15歳のときに蒸気機関車で、テロ事件に巻き込まれて、それで今の子爵家に引き取られたんだよな、まあ家は政治だの、策略だのがうざくてでたが。 ローゼンバルツァーのヴォルフリートが偶然似ていたので、もめて、まあ、赤の他人だと証明されたわけで。でも、雲の上の人に犯罪者呼ばわりされるほど、悪いことしたか?それもあれは知り合いみたいな雰囲気だ。 でも、ないだろう。ということはあれかな。また侯爵家か、あれの公爵か、革命家に通じる誰かさんの嫌がらせかな。 はっは、・・・そんな大人物なわけあるか。 まあ犯人はパパだね。全く、性根がねじ曲がっているんだから。そんなことするくらいなら、さっさと戦争止めろよ。これだから貴族は困る。はやく縁が切れたい。跡継ぎと関係が冷えてるからって、僕に八つ当たりするなっての。まあ、遊びというか駒だと思っているから、好きにできると思っているんだろう、手間がかかる父だ。 その時、背後に気配がしたら、金髪の青年がいた。皇太子ルドルフだ。 「殿下、なぜこんなところで」 僕にとっさの反応だの、そういう部類のまねは期待しないでいただきたい。そもそもそんな丁寧で空気が読めるならこじれていない。 「これは無礼を、なぜこんなところへ」 だが、侍従とか取り巻きがいないのは妙だ。暗殺者に殺されたいのかな、この皇子様。わーっ、亡命の危機。 だが、ルドルフ殿下は僕を睨んでいる、というか見ていた。 「・・・・何ですか」 なぜかひどく不機嫌だ、あれかな、悪いものでも食べたのかな、と思いつつ上半身を上にあげる。頭を上げると変なことを言う。 「―本当に覚えていないのか」 「は?ええと、僕は何か不快にさせることしたでしょうか、遺憾ながら自分は」 「・・・」 ゴットヴァルトは皇太子の言う意味が本当に意味不明だ。勿論、この国の人間なら皇太子の存在は知っている。だがゴットヴァルトは、そういうのに興味もなく、目の前の現実と戦うのに必死だ。 「すいません、自分でできる範囲なら殿下の望みどおりするので、勘弁してください」 多分僕何かしたな、このプレッシャーはあれだ、うちのおとんとか軍のいやな上司と同じだ。 「それともふざけているだけか」 イヤそれ僕が聞きたいのだが、まあ、相手はこの国の王子だ。お行儀よく、そして早く立ち去ってほしい。 「・・・・意味がわかりかねますが、ええと、確認ですが、これは何のお遊戯なんでしょうか」 「久しぶりに戻って、挨拶もないうえ、・・・・酷い奴だ」 壁に背中を押しつけられた。胸ぐらを掴まれた。ああ、殴られるのか。 「薄情だとよく言われるだろう、昨日はなんだ、いつもああして、誰でも尻尾を振っているのか」 皮肉めいた、いやな笑みだ。むかつくよりも、え、あの初対面だよな?昨日会っただけだよな。 「ですから、ウィーンに来たのは最近ですが、それが何か」 すると、感情の高ぶりか、目もとがうるんでいるように見えるが、何だろう、何一つうれしくない。何で野郎に泣かれないといけないの、悪くないよな、今いいがかりつけられて、いちゃもんつけてんのこいつだよな。被害者僕だよな。これが王様の下僕いじめ? 「僕のことも姉上も、みんな・・・何があった」 4 「・・・・あの、笑いすぎだろ」 アルバートが笑っている。屋敷に呼ばれたので、兄のアルバートにそのことを言えば笑われた。 「ご、ごめっ、さすが強運だね」 相変わらず、妙な客ばかり着ているのか。 「ジークフリートは笑わないよね」 「うーん、でも、お前本当に知り合いじゃないの、15歳より前は記憶がないんだろ」 確かに、普通生きてたら、まあ合わない人とよく合う気はする。なんか妙な雰囲気なのでにげて、劇を見て、帰ろうとした時、女性にぶつかった。 「あっ、すまない」 アリスである。20歳だっけ? 「・・・・ゴットヴァルト・・・」 ピンク色のドレスだ。胸元が見えるがささやかだな。 「身体を起こしますよ」 「ありがとう」 うわっ、ほっそ、白い。目が大きい。 「まあ、僕も悪いので」 「怪我は?痛みはない」 近い、近い。手が延ばされて、うわぁぁ。心配してるだけ。心臓がうるさい。 「え、ええ」 数歩下がった。すると、天使がイヤ違う、アリスが見ている。 「ごめんなさい、痛んだかしら」 「まあ十分、人生は痛いですが」 キョトンとされ、覗き込んでくる。 「アーディアディト」 すると手にアリスが何か入れてきた。ヴォルフリートが来たので退散。 「・・・あっ」 何か言ったが無視だ。 「僕、いつの間に有名人になったんだろうな」 「まあ奇行は知られているな」 さらりと毒を吐かれた。まあ、いいけど。 「アルバートはしっているんじゃないか」 「宮中に知り合いはいないよ」 ああ・・うん。もう聞かないけどさ、いやいいけどさ。 商会に顔を出せば、セレスティアが抱きついてきた。 「お兄様――」 「ははっ、甘えん坊だな」 すると、荷物を手にラファエルやネフィリアがでてきた。 「・・・・お茶を」 「ああ、いいよ、すぐ帰るし」 「貴方の世話が私の使命ですので」 「・・・殿下、何のつもりです?」 「・・・・いや、すまない」 「疲れているようだ、だが呼んでくれないんだな、ルドルフと」 「今と昔は違いますから」 紅茶の匂いが香る。2人分のカップ。随分と痩せている。離れている間、彼は何を思い生きていたんだろう。 彼はもう成人している。自分より二つも上で。妹が爵位をつぎ、手伝いでもしてるのか。 「そうだね、救えると思いあがっていたんでしょうね」 扉を閉める瞬間、過ぎ去った過去を惜しむように確かにルドルフの知るヴォルフリートの表情で、ゴットヴァルトはそういった。 「どうしたのだ、ルドルフ」 「…少し、お時間にいですか」 アリスのめがみ開く。 「思い出した、アーディアディト」 シャノンが確認するように見降ろしながら言う。 |