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昨夜のBS-TBS『諸説あり!』では、會津藩の白虎隊を取り上げていた。
戊辰戦争において、飯盛山で自刃した白虎隊士は20名、そのうちの一人は息を吹き返して助かったため、19名が若い命を散らしたと言われている。
しかし、実際は飯盛山に辿り着くまでに13名が戦死し、残ったのは7名だった。
彼らは、城下の火災を鶴ヶ城が炎に包まれていると思い込み、自刃して果てたと言われているが、既に7名とも手傷を負っており、足手まといにならないために死を選んだという。
19名が揃って自刃したという話は、明治になってから新聞などの報道によって作り上げられたものだそうだ。
7名のうち、首を突き意識不明になっていた飯沼貞吉は、命こそ取り留めたが生きる気力をなくしていた。
その今にも再び自害しそうな飯沼貞吉を、長州藩士 楢崎頼三が長州に連れ帰り、諭して勉学の道を歩ませたという。
私は、長州に来てからの飯沼貞吉については、以前に地元の放送局が制作したドキュメンタリーで知っていた。
楢崎頼三は、飯沼貞吉を庄屋の高見家に預けて養育し、貞吉は後に逓信省の通信技師となった。
最近まで、この事実が公にならなかったのは、飯沼貞吉本人が白虎隊については何も語らず、いまわの際に楢崎頼三の名を初めて口にした。
この時、孫の飯沼一元氏は、初めてその事実を知り、貞吉の遺品を調べてみると、「白虎隊顛末畧記」なる手記が出てきたそうだ。
一方、長州側の楢崎、高見両家とも、家族のみに代々この事実を伝えてきたという。
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こんばんは
箝口令を敷いて、家族以外には門外秘にしていたのですね。 (2018.07.15 18:46:12) |