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カテゴリ:家族
コロナの影響で思いがけず1か月ほぼ休みとなってしまった。
時間があるので「大草原の小さな家」を見ながら思ったこと。 昔は地域ごとに自然発生的に共同体があって、隣人同士の逃げられない人間関係というものがあって、そこで付き合っていく以外の選択肢はなかったし、いざという時に困った人は助けるというのが当たり前だった。 いまは社会の利便化が進んで、共同体に参加しなくてもよい、逃げ口が確立されてしまった。面倒な近所づきあいは可能な限り避けて、必要な品なら各家庭ごとに買いに行くか、ネットで注文して宅配でドアツードアで届けてもらえばよい。災害時はある程度の話までなら業者を選んで連絡、それ以上のことは保険制度、国の保証制度というものがある。 便利な社会になったが、よほどのことがなければ、困っている隣人を助ける必要もなくなってしまった。それで何事もなければ、まあ良いと思うが、商業主義で消化しきれない災禍が生じたら、自然発生的な共同体倫理は復活可能なのか。震災の時も、台風の時も、隣人で助け合う姿は見られなかった。 商業主義とネットが進んだ社会では、各家庭が、財とサービスを提供する側に対して顧客として頼り切っている方が都合がよい。資本主義・商業主義が社会を耕し直して、かつては共同体に所属していたそれぞれの家庭は細分化されて、顧客として飼いならされてしまった。商業主義に慣らされて、いざという時の瞬発力も鈍っている状態だといえる。 そうして、快適だが、いざという時に情報を読み解きながら賢く(悪賢く?)立ち回る人が得をする時代になり、倫理もあやふやになってしまった。マスクの買い占めや転売は、要はその結果だと思う。 例えば、それぞれがそれぞれの家族を守るという動機でマスクを多めに買っておきたい、トイレットペーパーを買い置きしておきたい、これは、それぞれにとっては、あやふやな社会規範よりも確かな、目の前の大切なことなのだろうと思う。 それぞれが買い置きして品不足が生じているのなら、買い置きしてある分、隣人にマスクや紙を分けることは無理なのか。国が各家庭にマスク配布、ではなく。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.14 20:08:35
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