ピュアメール 碧√
テーマはネットという場所にある現実的な虚構と実存について。ネットには事実と虚構がある、例を挙げずとも、これは常識だと思う。では、現実的な虚構とは何か。ピュアメールから挙げるなら、それはチャットやブログの執筆者である。この作品の中で主人公はチャットのなかでA.Wという人格を作り上げている。これは少なくとも現実的な存在である。作品の中でA.Wが碧に対してカウンセリング的な役割を果たしていることから、これは現実的といえると思う。(カウンセリング的役割=受け答えするだけの存在と考え、その受け答えそのもおのが現実味のあるものであれば、さして問題ではない)確かに存在し妄想的役割を果たさない場合、それは現実的なのである。ヒロインに対して(現実的に)対応するA.Wは匿名の名前A.Wとそれを脳内イメージとして増幅させ、より実体化しはじめる。それは作られた”人間”A.Wである。碧にとって、一人の人間という実存を持ち始める。一方の実存とは実体として存在する主人公である。主人公はA.Wを現実の自分よりも魅力的に作ってしまったことにより、ネットに好意を寄せる碧から受け付けられなくなる。この作品の魅力は、現実味を帯びたA.Wが現実と対比することによって描かれている点にある。現実味を持ったA.Wという文字を受け答えするだけの人格は碧の頭脳のなかで素晴らしい色に染め上げられる。それはネットに関わらず、媒体情報の魅力そのものの危険性ともいえる。ネットから生まれたともいえるA.Wは、現実の我々からみたら虚構である。しかし、虚構という一言でそれは表現することにはむりがあるのではないか。構造上からその問題点が浮き彫りになっていると思う。余談1いまここにブログの記事を書いている私は現実性をもっている。では、ここで私が犯罪の複線的記事を書き、それを人が受け取った場合、新聞にはどうかかれるか。そこで”ネットという虚構”という単語が登場するのではないか。虚構というのは第三者からの観測の結果なのかもしれない。余談2よく哲学科に行くから”エリート”とか”偏差値が良くて頭がいい”とか勘違いをされる方がいるようです。偏差値は限りなく下を行ってますし、哲学科には入れたのは自分の書いた文章がたまたま添削者の目に留まったまでのこと。ちなみにるっくす似すぎて笑いこけました。追伸 寝不足で記事を書くことは大変です。意味がわからないものが出来上がります。