過去が帰ってくるということ
小学生の頃の自分が帰ってきた。いまでも不思議でならないけれど、子供の頃の自分の感覚が、ひとつのセッションののちに戻ってきた。アートのセッションがたまたま続いたある日、夢をみた。ちょっと気持ち悪く、怖くもあり、アートが向いていないのでは、、などと真剣に悩んだ。でもそこに込められたエネルギーがなんだったのか、その後のひとつのセッションで、明らかになったのだ。まさしく、「ぴたり」とパズルのピースがはまったようで、驚いた。子供の時代に置いてけぼりにしてきた、自由で安心したなかでの遊び、一生懸命の自己表現、勉強、美味しかったご飯、周りの評価なんかどうでもいい、曲がったことは嫌いで、弱いものいじめが嫌いで、正しいと思ったことは正しいと自信を持てていたこと。急に、空気の匂いが、よく味わえるようになって。誰がなんといおうと関係ない、自分自身の感覚が戻ってきたのだ。まだ、うまく、統合できてはいない。過去の自分に起きた出来事、なんでもないと思っていたこと、当たり前のように受け入れていたことが、こんなにも自然な自分に蓋をすることだったとは、本当に気づかなかった。意外な部分が、実はショックだったようなのだ。幼い自分には蓋をするしか術がなかったのだと思う。人生そのものが、ただ、灰色になるだけで、そういうものだとあきらめた。それは、「大人になった」と履き違えてはいけないものだった。単に、割り切ろうとしてそう思っただけだったのだ。厚く、蓋をするということが、「硬い防衛」というやつなのだろう。でも、そこにはそれ相応のわけがある。それがしみじみわかる。そうやって守るしかない場合が確かにある。「抑圧」とひとことでいうけれど、その言葉の重みや、失われた人生の時間を思う。必要な時が流れて、準備が整ったところでちゃんとその蓋はとれるようにできているのだろうな。