何によって憶えられたいか
1月の教室(2014年)でお渡しした資料です。ドラッカー 時代を超える言葉 上田惇生著「私が13歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった」ドラッカーは続けてこういう。「運の良い人は、私の宗教の先生・フリーグラー牧師が問いかけてくれたように、この問いを人生の早い時期に問いかけてもらい、一生を通じて自らに問い続けていくことができる」したがって、本書を読まれた方は、ドラッカーのいう、運の良い人に相当することになる。1年に2度、たとえば自分の誕生日と、大晦日に、この問いを自らに問いかける。この問いかけは、「それだけで、3年後5年後には仕事が変わる、人生が変わる」魔法の問いかけである。誰もが、今の自分よりも、ちょっとだけ良い自分、誇れる自分、すばらしい自分、しかし、なりうる自分を思い描く。すると、毎日の一挙手一投足がそちらに向かう。 「今日でも私は、この問い、何によって憶えられたいかを自らに問いかけている。これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間として見るよう、仕向けてくれる問いである」(『非営利組織の経営』) ドラッカー学会会員 土田 晶子ピーター・ドラッカー(1909.11~2005.11)私の履歴書(2005.2~)より・私は大学教授とかコンサルタントとか呼ばれ、時に「マネジメント(経営)の発明者」とも言われるが、少なくとも経済学者ではない。基本は文筆家だと思っている。・1930年代半ばのロンドン、突然の雨に見舞われ近くで雨宿りをすると、そこでは英国初の日本絵画展が開かれていた。たちまち魅せられ、以来、日本画中毒だ。(1986 ドラッカーコレクション水墨画名作展)・1959年、初の日本訪問で日本という国にも中毒になってしまった。ビジョンや勇気といった資質を備えた経営者に出会い、日本に大きな潜在力があると確信した。間もなく「日本は経済大国になる」という内容の論文も書いたが、どこからも出版してもらえずじまい。高度成長時代に入る前で、だれも信じてくれなかった。私はいち早く日本の可能性を見抜いた欧米人だと自負している。・昔からずっと、コンサルタントとしての時間の半分は無報酬の公益サービスで、大学や病院、教会など非営利組織へ向けてきた。マネジメントは企業の専売特許ではない。・有名になるだけが人生を測る物差しではない。これからもこのことを忘れないでいたい。私には「引退」という言葉はない。 (えつぼ) HP ココロに笑顔、カラダに笑顔。 笑壷ソサエティ (えつぼ) 笑壷ソサエティ フェイスブック(えつぼ) 笑壷ソサエティ <教室案内> (えつぼ) 笑壷ソサエティ 【空】 (空と五行歌の詩日記)