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斧に気をつけろ

4.美濃部正という男~奇跡の芙蓉部隊~

 大東亜戦争末期、一部では志願の名に借りた半強制的な特攻出撃が繰り返されていたとき、特攻を拒否した部隊があるのを知ったのは割に最近のことであり、ある作品を通してであった。その作品とは小学館のビッグコミックかビッグコミックオリジナルに集中連載された航空戦記物の短編マンガの一つで、滝沢聖峰作の「明けの彗星」である。大東亜戦争の戦記を通じて、日本軍の硬直化した思考、行動パターンを何度も見てきた私は、にわかに信じられなかった。と同時に一体どんな男がこの部隊を指揮したのであろうかと言うことに非常に興味を覚えた。
 後年、渡辺洋二の諸著作*1で特攻拒否部隊の名前が芙蓉部隊であり、指揮官が美濃部正海軍少佐であることを知った。軍全体の空気が「特攻やむなし、通常攻撃は意味がない」という考え、空気に支配されている時に、きちんと根拠をただしながら上層部を説得しつつ、部下達にも合理的な猛訓練を施し、最終的には夜間通常攻撃*2を認めさせる粘り強さには頭が下がる。もし自分が同じような立場であればどのようなことができるのか? と考えると余計にそう思ってしまう。空気に支配されない強固な意志。自分の行っていることを虚心坦懐に見直す素直さ。この二つをできるだけ持ちたいものだ。
 特に印象に残った場面は、せっかく夜襲攻撃部隊として訓練を続けていた芙蓉部隊を、軍の上層部が何も考えずに全機特攻機化せよという命令を下した会議でのやり取りだ。

<以下一部引用>
「出陣に至る」p.104より
航空参謀「次期沖縄作戦には、教育部隊を閉鎖して練習機を含め全員特攻編成とします。訓練に使用しうる燃料は一人あて月15時間しかないのです。」
美濃部「フィリピンでは敵は300機の直衛戦闘機を配備しました*3。こんども同じでしょう。劣速の練習機まで駆り出しても、十重二十重のグラマンの防御陣を突破することは不可能です。特攻のかけ声ばかりでは勝てるとは思えません」
航空参謀「必死尽忠の士が空をおおって進撃するとき、何者がこれをさえぎるか! 第一線の少壮士官がなにを言うか!」
美濃部「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。精神力一点ばりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい。」
航空参謀「それなら、君に具体的な策があるというのか!?」
美濃部「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、みずから突入する人がいません。必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、敵の弾幕をどれだけくぐったというのです? 失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。今の戦局にあなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか?」
「飛行機の不足を特攻戦法の理由の一つにあげておられるが、先の機動部隊来襲のおり、分散擬装を怠って列線に並べたまま、いたずらに焼かれた部隊が多いではないですか。また、燃料不足で訓練が思うにまかせず、搭乗員の練度低下を理由の一つにしておいでだが、指導上の創意工夫が足りないのではないですか。私のところでは、飛行時間200時間*4の零戦操縦員も、みな夜間洋上進撃が可能です。全員が死を覚悟で教育し、教育されれば、敵戦闘機群のなかにあえなくおとされるようなことなく、敵に肉薄し死出の旅路を飾れます」

 驚異的なこの説明にも動じないふりか、列席者は悠然とタバコをくゆらせるだけだ。
美濃部「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタのごとく落とされます。2000機の練習機を特攻に駆り出す前に、赤トンボまで出して成算があるというのなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、撃ち落としてみせます!」
<引用終わり>

 当然、この後列席者からの反論は一切無かったようだ。後日、美濃部は会議列席者に芙蓉部隊の訓練を見学させ、部隊の特攻機化を防いだという。
 議事録を読む限り、大東亜戦争における無理な作戦指導、命令は、厳しい戦況だから異常な命令が出た、あるいは死中に活という精神で心を鬼にして命令を出したというよりも、戦時において判断能力を停止した無責任な上級者が根拠の無い命令を惰性で出していたというのが実情に近いような気がする*5。
 また、一番知りたかった美濃部少佐の特攻に対する思いについては下記のとおりである。戦後に私的に刊行された回想録の中で述べたものらしい。
「戦後よく特攻戦法を批判する人があります。それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎません。当時の軍籍に身を置いた者には、負けてよい戦法は論外と言わねばなりません。私は不可能を可能とすべき代案なきかぎり、特攻またやむをえず、と今でも考えています。戦いのきびしさは、ヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではありません」
 この感想と会議でのやり取りを読んで私が思うことは、このような覚悟と責任を持った上級指揮者が帝国陸海軍に10人程度いたら戦史はずいぶん変わったものになっていたのではなかろうかということだ。もちろん、戦略の失敗は戦術で取り返すことは絶対にできないので、敗戦という結果は同じであったろう。しかし、少なくとも若者の愛国心だけを頼りに惰性で続ける作戦がこれほど大規模で行われたかは疑問に感じる*6。
 現在も脈々と続いているであろう、わが国の指導層、高級官僚に見られる無責任さ、覚悟の欠如は一朝一夕に変えられるものではない。もし変えられるとするならば、真のエリート教育、すなわち「将来の指導者層に対してnoblesse oblige(高い身分には道徳上の義務が伴うこと)を自覚させること」が実施されたときではないだろうか? しかしながら、現在の社会状況を考えるとなかなか難しそうである。
 
*1 文春文庫「重い飛行機雲」渡辺洋二
  光人社NF文庫「彗星夜襲隊~特攻拒否の異色集団~」渡辺洋二
*2 戦闘機の零戦52型と爆撃機の彗星を用いた夜間・薄暮における沖縄本島の敵飛行場、港湾に停泊する小型船舶などに対する銃爆撃。沖縄戦役においてかなりの戦果を挙げている模様。
*3 直衛戦闘機とは航空母艦を中心とする艦隊の上空を旋回して、近づく敵の攻撃機を撃墜する役の戦闘機を指す。フィリピンにおける航空攻撃の主目標は敵機動部隊であった。
*4 通常は600~700時間の飛行キャリアが必要。この数字は驚異的だったらしい。
*5 似たような事例を以前紹介した本の中に思い出した。
山本七平「日本はなぜやぶれるのか」角川新書
 “それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。従って相手(米軍)には、日本の出方は手にとるようにわかるから、ただ「バシー海峡」で待っていればよい、ということになってしまう” また、日本においては「やれるだけのことはやった」というのが様々な方法を試みたけれどもダメだったと言うよりも、ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するために投じつづけた量と、それを投ずるため払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化している意味に使われるとも喝破している。
*6 仮に行われれたとしても海軍伝統の指揮官先頭に従い、台湾沖航空戦の有馬海軍少将に見られるような将官あるいは佐官クラスの突入があったのでは無かろうか?

追記
 また、自衛隊OBの方が書いたHPに必死と決死の差が書いてあった。近いようでまるっきり違う言葉であることを実感させられた。
~「神風特別攻撃隊員の精神基盤について」より引用~
 旧海軍に通称「芙蓉部隊」と呼ばれる部隊があった。飛行隊長は美濃部正少佐である。数(十)年前まで航空自衛隊に在職されていたので面識のある方も多いと思う。「全機特攻」が至上命令のあの時期に、自らの信念をまげずに特攻を拒否した指揮官である。この部隊は「必死」の特攻を行わない代わり、「決死」の夜間襲撃に徹した部隊であった。
 指揮官が特攻を否定したことで、隊員の士気はいやがうえにも高揚した。その根底にあるのは部下に対する深い愛情である。また部下もこの愛情に報いるため、特攻にも劣らぬ多大な犠牲を払いながらも最後まで勇戦力闘したのである。

~引用~

参照HP)
 自衛隊こぼれ話 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/index.html
 著者:永末千里 http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/12rireki/ryakureki.html

夏が来れば思い出す~特攻~
1.知覧にて泣いて、少し考えて怒って
2.特攻作戦における員数主義~どんな飛行機でも飛行機は飛行機~
3.身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
追記 特攻の本質とは


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