徒然ひぐらし亭

2007/11/11(日)23:45

森川さん吹替えの映画ひとり堪能祭り

たまにこんな日がある。愚痴ってひたすら泣いて 明日になれば数日経てば元気になるとわかっている事だけれど きちんと解決なんてする事はないと思う。 全て私が悪いのかと、 どうして私がこんな想いをしなければならないかと どうしようもない気持ちになる。 誰がいい悪いの問題ではなく努力した上で分かり合えない事もあるのだと 血の繋がりだけで人間は分かり合えたらこの世の中こんなに家族同士の哀しい事件は起こらないのだと思う。 間違いなく一番苦しんでいるのは母だ。 方法を誤った私にも原因はある。 でも何故何故私がこんな風に 私は私が変えたくはない変えられない自分と価値観を持っていただけなのにこんなに苦しまなければならないのか。 どうしようもない仕方ないのだとわかっていても気持ちが納得出来ない。 はらはらと涙がこぼれてただ哀しい。 それでも実の兄と分かり合えなくとも私のこの気持ちを理解ってくれる人がいる事が聞いてくれる人がいる事は心の支えで八方ふさがりではないのだと独りではないのだと思う。 従姉がいてくれてよかった。 このまま兄とわかりあえなくても それも仕方ないと、人生だと思う。 兄が母や私の事をどうでもいい存在だと思っている訳ではないのは わかっているし 愛情や優しさや家族のかたちがひとつでないのも充分 わかっている。 それでも私の譲れない価値観というものは きちんと言葉や態度に表して伝えてくれないと 嫌だ、という事なのだ。 今だって充分に周囲に可愛がられて愛されているのも 恵まれすぎる位恵まれているのもわかっていて それでもどうしてこの男性は私にとっては 一番近い男性なのに可愛がってくれないのか。 兄にそれを求めるのは間違っているのだと思う。 いないからこそ美化している部分があっても 兄からすれば私にとって父親に甘やかされ可愛がられ、 私が頑張れば喜んでいてくれた父親と比べられるのは たまったものではないと思う。 兄は兄で父親に対する想いがあるのだと 苦しんだ部分があるのだろうと思う。 美化している部分もあるとはいえ それでも人は失ってからその存在の大きさに気付くのだと思う。 私にとっては父親に愛されているという事が 何よりも自分自身であったし 今だってそれは自分自身の自信のひとつであるのは 間違いない。 もう1度、幾度が話し合う事が必要なのだとは思うけれど それでもこの溝が埋まるのかどうかはわからないし 埋まらなければそれでも仕方ない。 遠くの親戚より近くの他人とはよくいった言葉だと思う。 たった1人の兄だからわかりあいたいと思った。 仲違いはしたくないと思った。 母には申し訳ないと思う。それでももう限界だった・・・。 努力はした。 立てる必要の無い波風を立て言ってはいけない事も言った。 それでも私は自分が間違っているとは思っていない。 どちらが悪いのでもなくただ私は私の価値観は 譲れないだけの話。 と、ぐるぐるぐるぐるぐるぐると 堂堂巡りでまたきてしまった。 他人なら諦めがつくのにね・・・。 諦めているけど、気持ちがどこかで期待してしまう。 ケリがつかない。 泣いたら少し気が晴れた。 もっと気を晴らす為に森川さん吹替えの映画堪能祭りに 突入しようと思う。 録画するだけしてあちらこちらに飛んでいるので リストを作成しながら森川さんの声で癒されよう。 本当に遠くの兄より近くの(全然近くないけど)森川さんだよな・・・。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る