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多岐さんのブログ

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2020.07.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類
前日、船は夜の8時にニジニノブゴロドを出航して翌日の午後3時頃にカザンに到着して、
また、夜の8時には次のシンビルスクに向けて出発するので、カザンの観光は夕刻になります。
実はこれには一つの演出があり、日没近くになると、カザン・クレムリンの建物がライトアップ
され、美しい演出が施される仕掛けになっています。
カザンを語る前に、一枚の貴重なモンゴルのルーシーへの侵攻図をご覧ください。

13世紀にモンゴルはヴォルガ河を越えて・・・というより、図のように、カスピ海の南を
通ることで、ヴォルガの渡河を避けて侵攻してきて、時のルーシー諸国のウラジミール公国、
ノブゴロド公国、スズダリ公国と激しい戦争を何度繰り返すことが約200年続き、イヴァン
雷帝が登壇するころまで続きました。

カザンは、そのモンゴル帝国、つまり、イスラム勢力がルーシー諸国を隙あらば狙う
拠点の町になりました。その名残が、カザン・クレムリンに残っています。

要塞を意味するクレムリン。モスクの尖塔の隣に正教の聖堂が見えるという不思議な光景です。
下は、前述のライトアップの様子です。

(上下の写真とも、Wikimedeaより)

カザンは現在でも、タタール人が52%、ロシア人がやや少なく43%の住民比率です。
宗教はイスラム教スンニ派とロシア正教が二分する形の信者構成になっています。他、少数派
になりますが、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教の教会も存在しています。

カザンに行きますと、ガイドはしきりに「タタールのくびき」について説明をしますので、
この言葉はあらかじめ、抑えておくことをおすすめします。
簡単に言うと、モンゴル人のルーシー侵攻と支配を表す言葉です。そこで、もう一度、上の
地図を見てください。カザンでヴォルガ河は南に進路を変えて、カスピ海にそそがれますが、
この河を挟んで、東西のキリスト勢力とイスラム勢力が何度も激突して東西の民族の攻防が
繰り広げられ最前線だったわけです。

ヨーロッパにはこういった場所がいくつかあります。このブログでもご紹介しました
スペイン。そして、15世のトルコ、イスタンブール、かつてのコンスタンチノープルも
同様の歴史を持っています。






最終更新日  2020.07.07 11:49:02
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2020.07.06
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日のコストロマからさらに東に進んだところにニジニ・ノブゴロドの町があります。
年配の方々は文豪のマクシム・ゴーリキーからスターリンが無理やり町の名前を
ゴーリキーにした経緯があり、ゴーリキーが1932年にイタリアから帰還してから
1990年までゴーリキーが使われていました。

昨日ご紹介しましたが、クルーズはモスクワを起点にして、再び、ウグリッチ、
ルビンスカヤ貯水池、そして、ヤロスラブリのところがダブルので、後半部分だけの
クルーズの場合は、日本からモスクワに来て1泊。翌日、モスクワ・クレムリンを見学して
午後、列車でニジニ・ノブゴロドへ出て1泊。翌日、午前中に、ニジニ・ノブゴロドを観光
して、午後、乗船して、夕刻、もしくは、夜、出航するスケジュールに合わせます。
そうすることで、モスクワを初めての方はモスクワの肝心なところを見学できますし、
ニジニ・ノブゴロドもしっかり観光もできますので、無駄のないスケジュールになります。

さて、そのニジニノブゴロド・・・
16世紀、東隣の大きな町カザンはイスラムの町になり、ちょうど、このニジニノブゴロドが
正教側の、つまり、モスクワの前線基地の役割を持っていました。それは、ヴォルガ河と
オカ河がこのニジニノブゴロドで交錯して天然の要塞になっていたので、早くから、要塞、
つまり、クレムリンを構築して、イスラムの攻撃をかわしてきた歴史を持っています。
また、要塞の役割のほか、河川交通の要衝のちでもありましたので、町は経済交流の中心的
役割も備え大いに発展しました。
観光の主なみどころは、クレムリンと呼ばれる要塞です。



(2枚ともWikimedeaより)
ヴォルガ河もこのあたりに来ますと、堂々たる大河です。

(ニジニノブゴロドのふ頭・・・Wikimedeaより)

このヴォルガの支流オカ河もリッパな河です。

(オカ河・・・Wikimedeaより)






最終更新日  2020.07.06 14:43:38
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2020.07.05
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さて、今日からは、ヴォルガクルーズの後半へ。
まずは後半部分の地図をご覧ください。


地図はモスクワから再び、モスクワ運河→ウグリッチ→ヴォルガ本流→ルビンスク貯水池
→ヤロスラブリに戻りますので、そこはすでにご紹介しましたので、ヤロスラブリの
次に停泊する町、コストロマから始めましょう。
記録のよれば、12世紀のキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーの時代に町の礎が
築かれたとあります。その後、モスクワ大公時代になり、モスクワで政変があるたびに
大公の避難所としての役割を持ちました。このことが、ロマノフ王朝にまで引き継がれ、
各代の皇帝はコストロマ詣でを欠かさなかったと言われています。
下船して観光する場は1300年代に建設されたイパティエフ修道院と1700年代に造られた
コストロマの神現聖堂の二つ。

(イパティエフ修道院・・・Wikimedeaより)



(コストロマ神現聖堂・・・Wikimedeaより)

コストロマはヴォルガの中流ながら、ここまでくると、いよいよ大河の様相を見せています。
ヨーロッパのライン、ドナウと並ぶ交通の大動脈です。

(コストロマ近辺のヴォルガの流れ・・・Wikimedeaより)






最終更新日  2020.07.05 11:09:21
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2020.07.04
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クレムリン内にもう一つご紹介しなければならない場所に「武器庫」という博物館があります。
ロマノフ王朝やロシア正教会が所持していたコレクションが展示されています。
百聞は一見に如かず・・・
写真でご紹介します。

(武器庫がある宮殿・・・Wikimedeaより)
以下、展示の模様・・・







(ともに、Wikimedeaより)
金銀財宝の数々・・・
次に、ロシア正教の総本山的な存在の救世主ハリスト大聖堂。
1883年に創建されましたが、1931年、宗教弾圧で破壊され、現在の姿に再建されたのは、
2000年になってからです。したがって、ソビエト時代には見ることがなかったわけです。

(高さ103メートルの堂々とした大聖堂・・・Wikimedeaより)

(大聖堂内部のクーポラのフレスコ画・・・Wikimedeaより)

もう一つは2004年に世界遺産に登録されたノドデヴィッチ女子修道院。
ヨーロッパの盛期ルネッサンス後期の1524年に創建され、王室始め、貴族の女子のための
修道院の歴史を持ちます。

(大変美しいノヴォデヴィッチ女子修道院・・・Wikimedeaより)
この美しい修道院の墓地はまた、近代ロシアの文豪、作曲家、政治家たちに満ち溢れてもいます。
チェーホフ、ゴーゴリー、ツルゲーネフら文豪。音楽家では、スクリャービン、ショスタコーヴィチ
プロコフィエフ。また、政治家では、フルシチョフ、エリツィンなどが眠っています。






最終更新日  2020.07.04 11:02:49
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2020.07.03
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芸術の都・モスクワ
代表の最たるものは、ボリショイ劇場のオペラ・バレエでしょう。
とりわけ、バレエの世界ではサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場と
並び称される世界最高峰の劇場です。マリインスキーは宮廷を起源とし、皇族、貴族階級を
対象にした劇場でしたが、ボリショイは地元の公爵が開設して、裕福な商人階級に支持された
劇場でしたがロシア革命後、首都がモスクワに移されてから、マリインスキーのダンサーなどが
モスクワに移り、ヨーロッパの劇場に比肩する劇場になりました。
特に、チャイコフスキーの三大バレエ、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」
ハチャトリアンの「スパルタクス」を主なレパートリーとし、パリやウィーンの劇場にも
大きな影響を与えました。

(オペラ、バレエの殿堂・ボリショイ劇場・・・Wikimedeaより)
ロシアはオペラ、バレエのほかに、演劇も大変盛んで、モスクワには、名だたる劇場が
たくさんあります。
代表格は、マールイ劇場、ほかに、ワフタンゴ劇場、ユーゴザーパド劇場、フォメンコ工房など
があります。
毎年、ユーラスツアーズでは、ロシア演劇鑑賞の旅を同行講師付で夏休み明けの9月中ごろに
実施しております。今年は、コロナ問題で実施できるかどうか微妙です。仮に、今年、実施
できない場合でも、来年の9月には実施予定ですので、お待ちいただきたいと思います。


(マールイ劇場・・・Wikimedeaより)
次に、ロシア人画家の絵画作品のコレクションはトレチャコフ美術館に収蔵されています。
サンクトペテルブルグのロシア美術館と双璧です。
また、ヨーロッパのとりわけ、印象派とポスト印象派の絵画コレクションで有名な
プーシキン美術館の別館にもぜひ寄りたいところです。
残念ですが、画像はすべてクレジットが入っていますので、ここに掲載できません。
美術書などでご覧いただきたくお願いいたします。
因みにですが、上記の三つの美術館にエルミタージュ美術館を入れて、ロシア4大美術館の旅も
お薦めですので、サンクトペテルブルグ、モスクワにゆく機会がありましたら、是非、
お立ち寄りください。ロシア人画家の作品はなかなか目に触れる機会がありませんが、
一部ご紹介しますと・・・ヴァシリー・ベロフの「ドストエフスキーの肖像」、イワン・
クラムスコイの「見知らぬ女」、ワシリー・カンディンスキーの「コンポジションⅦ」
マレーヴィッチの「バケツと女」など、たぶん、どこかでご覧にになった絵もあります。

(プーシキン美術館別館・・・Wikimedeaより)

(トレチャコフ美術館・・・Wikimedeaより)






最終更新日  2020.07.03 11:43:47
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2020.07.02
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ウグリッチを出て一つの水門をくぐり、しばらくすると、ヴォルガの本流との分岐があります。
船はモスクワ運河へと進み、モスクワ運河にある6つの水門をくぐることになります。
ヴォルガ本流と運河の高低を調整しながらロシアの首都に入ってゆくわけです。

モスクワの見どころもサンクトペテルブルグ同様、たくさんありますが、まずは、何と言っても
クレムリンから始めないわけににはいきません。
クレムリンは要塞という意味の通り、かつて原型は12世紀にさかのぼります。
1366年にモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイが現在の礎を完成させました。
そして、15世紀になって、イヴァン3世がルネッサンス様式で宮殿を、さらに、ウスペンスキー
大聖堂、ブラゴヴェシチャンスキー大聖堂、そして、アルハンゲリスキー大聖堂の三つの
聖堂ができ、尖塔ができ、現在、私たちが目にしているクレムリンが出来上がりました。
しかし、1712年、ピョートル1世がサンクトペテルブルグに遷都してからは停滞し、ナポレオンに
破壊されましたが、20世紀初頭のロシア革命の中心都市になり、革命後に再び首都となり、
文字通り、政治、経済の中心となって今日に至りました。

(モスクワ川のほとりに立つクレムリン外壁、宮殿、そして、大聖堂・・・Wikimedeaより)


(Wikimedeaより)
クレムリン内の代表的なウスペンスキー大聖堂です。三つある大聖堂のうち、一つは中に入りましょう。

(Wikimedeaより)
ウスペンスキー大聖堂の内部です。ロシアの聖堂内部はフレスコ画、テンペラ画、油絵など
たくさんのイコン画で飾られるのが特色です。)

クレムリンの見学を終えますと、一つの城門を抜けると、赤の広場に出てきます。

(Wikimedeaより)
俯瞰した写真をご覧ください。上半分がクレムリン。左下のかまぼこのような屋根が、グム
百貨店。グムとクレムリンの間の広場が赤の広場で真ん中あたりにレーニン廟がありあります。
右の尖塔のある建物が国立歴史博物館。その対面に聖ワシリー教会があります。
角度を変えて、赤の広場をもう一枚。

(Wikimedeaより)
右がクレムリンで、塔はスパスカヤの尖塔。ネギ坊主の尖塔の聖ワシリー教会。中のイコンが
素晴らしいので、見逃さないように・・・
また、かつては、長い行列が名物でしたレーニン廟見学の列も、この頃はほとんどその光景を
見ることなく、簡単に弔問できますが・・・昨今、この廟を撤去したらとか、コピーに変えたら
どうかとかさまざまな議論が沸き起こっています。今は昔、時代とともに、評価も人の気持ちも
変わってゆきます。






最終更新日  2020.07.02 12:08:25
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2020.07.01
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かつてはルビンスク貯水池からヤロスラブリを経て、もう一度、ルビンスク貯水池に
戻り、ヴォルガ河を南下してモスクワを目指しましたが、最近はヤロスラブリをパスして
ルビンスク貯水池からモスクワを目指すルートが多くなりました。
今日は、そのモスクワに向かう運河に入る前のウグリッチをご紹介します。
ウグはロシア語で曲がるという意味とか・・・このウグリッチで西からの流れがほぼ直角に
曲がっているところからこの名がついたといわれています。
ウグリッチではたいていの場合、2時間ほどの観光になります。ここは船を下りて、歩いての
観光になり、メインは下の写真の血の上の聖ドミトリー教会です。
(Wikimedeaより)
サンクトペテルブルグにも「血の上」の教会がありました・・・
ここも、ロシアの皇帝につながる子供が殺されて、この名前が付きました。
因みに16世紀のイワン雷帝の7番目の妃の長男がこのウグリッチに幽閉され、
暗殺された話が残っています。
教会にゆく道は土産屋のテントが並び、短い夏だけの商売は熱気を帯びています。
5月の末から9月いっぱいまで、およそ250人からの乗客を乗せた船が、往復で
5~6艘立ち寄るわけですので、店の人はかなり忙しく熱心です。
お客さんも、このあたりに来ますと、心得たもの・・・しっかり、値切りの駆け引きを
会得して、ショッピングはゲームとばかりに、観光そっちのけで頑張る光景を
目にすることしきりです。


(Wikimedeaより)










最終更新日  2020.07.01 11:22:53
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2020.06.30
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ところで・・・クルーズをしているヴォルガ河について多くを語っていません。
今日、通過するヤロスラブリにゆくために、初めて、ヴォルガ河本流に入ります。
モスクワ北西、ちょうど、サンクトペテルブルグの間のヴァルダイ丘陵を水源として
全長3690㎞のヨーロッパ州最長の河です。

そのヴァルダイ丘陵から流れ出た河はルビンスク貯水池に注がれ、その貯水池から
再び流れ出す河がヴォルガ河本流となり、ヤロスラブリを通過して東へ東へと進み、
カザンで大きく南に進路を取り、レーニンが生まれたウリヤノフスク近くから
サマラーラ、サラトフ、そして、かつて、スターリングラードと呼ばれたヴォルゴグラードを
経て、アストラハンから大きな三角州を形成してカスピ海に注がれる大河です。
また、この河は、カザン以降、東がイスラム、西がロシア正教の文化の境目にもなっています。
そのことはまた、カザン以降の章でご紹介します。

(Wikimedeaより)
上記の青い実線がヴォルガの流れです。図の下の右の水色がカスピ海。
左の水色がドン河が注がれるアゾフ海から黒海。

さて、ヤロスラブリ・・・
町には、ネギ坊主頭の教会の尖塔がたくさん見られる町です。モスクワ防御の要に
なっている、いわゆる、「黄金の環」と呼ばれる町の一つです。
サンクトペテルブルグから航行してきて、初めての大きな町です。人口60万人程の
中都市です。
町には前述したように教会の尖塔が目立ちますが、この町はロシア正教だけではなく
古儀式派、プロテスタント系のバプティスト派、ルーテル派、そして、イスラムのモスク、
ユダヤ人のシナゴーグなど、宗教系の建物が多い町です。
11世紀にキエフ大公国のヤロスラフ1世によって建てられた町ですが、その後、モンゴル
帝国の支配下に入っていました。15世紀になり、モスクワ大公国、ロシア帝国の支配に
入りました。

(スパソ・ブレオブラジェンスキー聖堂・・・Wikimedeaより)
黄金の環(ゴールデン・サークル)はこのヤロスラブリ以外の主な町として、
世界遺産の聖セルギイ大聖堂を擁するセルギエフ・ポサード。
モスクワ北東のスズダリ。
そして、スズダリ近く、かつてのウラジミル大公国の首府・ウラジミルなどがあり、
いずれも、宗教的、文化的で、要塞教会を擁しているところが特色になります。


町ができて1000年の歴史を持つ意でつけられた1000公園。
ヴォルガ河とコトロスリ川に囲まれた公園です。






最終更新日  2020.06.30 12:13:56
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2020.06.29
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キジ島の見学を終えて、船に戻り、昼食をとりながらオネガ湖を南下してゆきます。
オネガ湖から運河に入り、ベロエ湖(白湖)まで行きます。ベロエ湖を縦断して
再び、運河に入り、翌日の昼頃にゴリツィーというところまで行きます。
ゴリツィー到着後に、キリロ・ベロゼルスキー修道院の見学をします。
まずはそのルートマップを掲載します。


キジ島を出て約24時間でゴリツィーという村に到着します。
昼食ろを取って、バスで8㎞ほどのところに、1397年ごろに造られた北部ロシア最大の
キリロ・ベロゼルスキー修道院があります。
俯瞰した写真でご覧いただいても、かなり広大な要塞教会だったことがわかります。






(写真はすべて、Wikimedeaより転載しました。)

ゴリツィーまでの間には湖あり、運河あり、また、小さな湖ありと・・・
この間は水位が変わるためにダムが随所に出てきます。しかも、何艘ものクルーズ船のほかに
運送の大動脈でもあるために、大型の運搬船も通り、ダムも大忙しです。
サンクトペテルブルグ・モスクワ間では21のダムを通過しますが、どのダムの様子も
同じようであるが、飽きずに見ていられるのは不思議です。ただし、気が短い人は、
ダムは退屈でという方も確かにいらっしゃいますが、300人が乗船している船が10m以上の
上下する様はなかなか見ごたえがあります。

(一つのダムの様子・・・Wikimedeaより)
閘門が開いて、中に入り、閘門が閉じられて、反対側の水位まで水が流入して門の先にある水位と
一緒になったら先の閘門が開いて進んでゆきます。






最終更新日  2020.06.29 13:09:03
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2020.06.27
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キジ島のことを思う時、いつも、アメリカ映画”ジャイアンツ”のワンシーンと重なります。
西部はテキサスの大牧場主のジョーダン・ベネディクト(ロック・ハドソン)は東部から妻
レズリー(エリザベステイラー)を娶り、テキサスに寝台列車で一緒に帰ってきます。
列車で目覚めたレズリーが窓を開けると、そこに、東部にはない広漠とした砂漠が広がって
いました。レズリーは驚嘆の声を上げて、夫、ジョーダンを起こすのでした・・・
私が初めてキジ島に訪れた時の感じはまさにこのレズリーの驚嘆ぶりと同じでした。
あの木造教会が見ようによっては巨大なロボットを思わせ、今にも動きそうな風貌に驚嘆の
声を上げたことをわせれません。

(Wikimedeaより)
今でも、サンクトペテルブルグやモスクワからここに来るために2泊三日は覚悟しなければ
なりません。いずれの都市からも、航空機でオネガ湖南端の町ペテロザヴォーツクに到着して
1泊。翌朝の高速船で1時間でこのキジ島に到着して、約1時間かけて、また、高速船で
ペテロザヴォーツクに戻り、もう1泊して、サンクトペテルブルグなりモスクワに戻ることに
なります・・・しかし、ヴォルガクルーズに乗れば、寝ている間に、キジ島に連れてってくれる
わけですから・・・それに、上記に触れたように、目が覚めたらこんな景色がある演出には
勝てません。

島は歩いての見学になります。近年、船着き場にお土産屋さんができて、そこでのショッピングの
時間も含め2時間たっぷりの時間があります。ゆっくり写真を撮る時間も十分にあります。

さて、北限の木造教会は1990年に世界遺産登録されました。作られたのは16世紀までさかのぼり
ますが、木工技術に目を見張るものがあります。

(撮影:筆者)
あいにくの雨の中・・・ブレオブラジェンスカヤ教会を目指します。

(撮影:筆者)
ヴォロニーオーストロフ村の風車
(こちらも木造の風車・・・Wikimedeaより)
最後・・・もう一枚、天使ミハイル聖堂
(Wikimedeaより)
この日の午後はオネガ湖を縦断する形になり、ロシアの大地の大きさを満喫しながら、次の
白湖を目指します。






最終更新日  2020.06.27 14:53:21
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