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遣欧使節団の足跡を追いながら、北イタリア各地を巡ってきました。
特に、イタリアルネッサンス絵画の「この1枚は是非に」と大きなお世話を書き綴ってきました。 今日は、大きく横道に逸れまして、ヘントの祭壇画についてご案内します。 実は、駆け出しの頃から、イタリアに行く機会がたいへん多く、たくさんの絵や彫刻など 美術品を見るチャンスに恵まれてきました。しかし、仕事柄、ヨーロッパの方々に行かざる を得ない中で、オランダのヘント(英語読みゲント)に行く機会を得ました。 そのヘントで、私の中のイタリア絵画史がヨーロッパの絵画史をリードして他国の画家の 追随を許していないというある種のイタリア至上主義のようなものが吹き飛ばされました。 それは、ヘントにある聖バーフ教会のヤン・ファン・エイクが描いた「神秘の子羊」と言われる 祭壇画を見たからにほかなりません。 (トリップアドヴァイザーホームページより) 初めて、対面した時、描かれたのは16世紀初頭の印象を持ちましたが、資料をあたると、なんと、 1432年。1432年ごろのイタリアは、今ブログのフィレンツェ編でご案内したマサッチョが、 ブランカッチ礼拝堂で「貢の銭」を描いていた頃でした。つまり、まだ、イタリアは、フレスコ画 手法のただ中にあり、遠近法も、絵の濃淡もこれからという時代でした。 ヤン・ファン・エイクは遠近法を巧みに取り入れ、何よりも、衣装や草木を実に細密に描き 人物も身近にいそうなリアリズムに富んでいます。そして、何よりも驚いたのは、この絵は 板の上に描いた油絵だったことです。 昨日のレオナルドが乾いた漆喰の上に描く顔料研究で苦労をしていたことに触れましたが、 彼の70年前には、同じヨーロッパですでに、油彩の顔料が開発されていてイタリアの手法を はるかに上回っていた世界があったということです。 旅することの面白さ、楽しさを教えてくれた一枚としてご紹介しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.25 12:34:51
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