154331 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

多岐さんのブログ

多岐さんのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020.07.10
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
サラトフの歴史は16世紀ごろまで遡ります。もちろん、12世紀のころティムールによって
攻められた歴史をもつものの、町の成り立ちは16世紀中ごろに、ヴォルガ河中流域が、
モスクワ領になってからといわれています。それは、ヴォルガ河運行船の警備のために
要塞が作られたことから始まりました。

サラトフの名前の由来はタタール語の黄色い山からきているという説が有力です。
現在、80万の人口をかかえる中級ですが、ロシア革命後、航空機製造、宇宙開発事業の
産業が盛んだったことで、ソビエト崩壊までは閉鎖都市でした。
また、独ソ戦のスーリングラード攻防戦の際には、物資供給を中心とした後方支援の役割を
担いました。

また、サラトフはヴォルガ・ドイツ人が多く住む街でした。1941年以前、サラトフの対岸
ボクロフスクはヴォルガ・ドイツ人自治ソヴィエト社会主義共和国の首都で、人口80万人
を数えました。
第2次世界大戦がはじまってから、シベリアやウズベキスタンに強制移住させられました。
そして、1980年ごろに、残ったヴォルガ・ドイツ人は当時の西ドイツへの移住が
はじまりました。
閉鎖都市だったこともあり、なかなか、知られていない多様なロシアの側面です。

街にはあまりモニュメンタルなものはありませんが、Wikimedeaにある写真をご紹介
しておきます。

(サラトフのカラフルな聖堂がある町の中心部・・・Wikimedeaより)

(1965年までヨーロッパ最長の橋だったサラトフ橋・・・Wkimedeaより)

(航空機産業の町だけあって、かつて製造されていた戦闘機や機銃などの
野外博物館・・・Wikimedeaより)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020.07.10 11:15:01
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.