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サラトフの歴史は16世紀ごろまで遡ります。もちろん、12世紀のころティムールによって
攻められた歴史をもつものの、町の成り立ちは16世紀中ごろに、ヴォルガ河中流域が、 モスクワ領になってからといわれています。それは、ヴォルガ河運行船の警備のために 要塞が作られたことから始まりました。 サラトフの名前の由来はタタール語の黄色い山からきているという説が有力です。 現在、80万の人口をかかえる中級ですが、ロシア革命後、航空機製造、宇宙開発事業の 産業が盛んだったことで、ソビエト崩壊までは閉鎖都市でした。 また、独ソ戦のスーリングラード攻防戦の際には、物資供給を中心とした後方支援の役割を 担いました。 また、サラトフはヴォルガ・ドイツ人が多く住む街でした。1941年以前、サラトフの対岸 ボクロフスクはヴォルガ・ドイツ人自治ソヴィエト社会主義共和国の首都で、人口80万人 を数えました。 第2次世界大戦がはじまってから、シベリアやウズベキスタンに強制移住させられました。 そして、1980年ごろに、残ったヴォルガ・ドイツ人は当時の西ドイツへの移住が はじまりました。 閉鎖都市だったこともあり、なかなか、知られていない多様なロシアの側面です。 街にはあまりモニュメンタルなものはありませんが、Wikimedeaにある写真をご紹介 しておきます。 (サラトフのカラフルな聖堂がある町の中心部・・・Wikimedeaより) (1965年までヨーロッパ最長の橋だったサラトフ橋・・・Wkimedeaより) (航空機産業の町だけあって、かつて製造されていた戦闘機や機銃などの 野外博物館・・・Wikimedeaより) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.10 11:15:01
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