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多岐さんのブログ

全113件 (113件中 11-20件目)

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2020.07.26
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プロローグ

名歌、名曲を綴っていたら、メロディーとともに世界各地の思い出の町が走馬灯のように甦り、しばし、酔っていた。あげく、町にまつわる映画のワンシーンが連想され、やや、安直な感は免れないが、思い出された映画のシーンや舞台になった場所について書きたい思いに駆られこのテーマになった。この事はまた、旅行中のロングドライブの際にバスの中で流した往年の映画音楽に心地よさそうに耳を傾けてくれた方々の何とも言えない満足げな表情が忘れられないことにも起因している。
前回同様、ランキング形式で綴ってゆきます。

10位 シェーン(アメリカ ジャクソンホール・・・グランドティートン国立公園)・・・目的は深雪だったが・・・

 

 ヨーロッパスキーに懲り始めた頃、業界の中で、あちこちのスキー場に行っていることで有名な人と話す機会があり、一番のお薦めスキー場を尋ねたら、「アメリカ・ワイオミングのジャクソンホール」という答えが返ってきた。「特に腰まで浸かりながらの深雪スキーは一度味わったら止められない」という賛辞が加わっていた。それじゃ行かなければと言うことで、早速出かけた。

 まずは場所を確認しておきます。アメリカの間欠泉で有名なイエローストーン国立公園の隣にある山並みが、グランド・ティートン国立公園。


 航空機をシアトルとソルトレイクシティーで乗り換えてワイオミングのジャクソンホールに着いたのが、時差の関係もあるが同日の夜だった。12月だと本来は2mぐらいの積雪があるはずだったが、この時は残念ながら人口降雪機の世話になるほど雪が少なかった。翌朝、いざゲレンデへと勇んだが、降雪機の雪煙で視界が悪く、全体像が掴めないほどだった。何故こんなことになるのかすぐに分らなかったが、気温がマイナス20度ぐらいのため、降雪機から噴出された水が瞬時に雪になるのだが、非常に細かい雪雲ができ、視界を閉ざすようなことになる。その降雪機が山のあちらこちらで稼動しているので、なかなか山容が分らなかったからだ。全体像に拘るのは、あの西部劇の名作「シェーン」でおなじみのワイオミングの山並みを早く見たかったからだ。結局、ジャクソンホールからではあまりに近すぎて、映画で記憶している山並みのイメージには遠かった。しかし、グランドティートンの裏側にあるグランドターギーに行く時に見ることができ大感激だった。

 この時は残念ながら、腰まで浸かるスキーを経験できなかったが、気温が低いため、雪質が素晴しく、自分の腕前を勘違いするほどうまく滑れること。この頃はボーダー用のハーフパイプもでき、若者にも人気のスキー場になっている。

映画「シェーン」は1953年の封切でアラン・ラッドの名演が光った映画。そして、主題歌「遙かなる山の呼び声」のメロディーと「シェーン・カンバック」と叫んだ少年ジョイとともに記憶されている。ジョイ少年も生きていれば、もう60歳を越えるぐらいだと思うが・・・

 ワイオミングといえば、イエローストーンに目を奪われがちだが、深雪スキーもさることながらスノーモービルで原野を駆け巡るのも良い。また、下を流れるスネークリヴァーは釣りのメッカ。夏はこれに乗馬を組み合わせるのも一興。特に5月から6月にかけた頃は野生動物の繁殖期で方々で可愛い動物達にめぐり合える。

 余談ながら・・・2006年の文化功労賞受賞の一人、高倉 健さんの代表作の一つ「遙かなる山の呼び声」はこの映画がモチーフになっている。「幸せの黄色いハンカチ」と並んだ名作。


(グランドティートンの山並み。映画のラストシーンはシェーンがこの山並みに向かって去ってゆく・・・それを、少年ジョーイが「Shane come back」と言って終わる・・・Wikimedeaより)



(ティートンの山並みのふもと、毎年6月はバイソンや野生動物の繁殖期。スキーをやらない方にはこの時期がおすすめ。可愛い赤ちゃんを連れた動物たちの天国・・・Wikimedeaより







最終更新日  2020.07.26 11:59:28
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2020.07.25
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第1位 ラデツキー行進曲(オーストリア ウィーン)・・・名歌、名曲を育んだウィーン

 

 名歌、名曲・・・のテーマを決めた時から1位はウィーンにしようと思っていた。そこで、ウィーンをあまたある歌や曲から選ぶとなると・・・途方に暮れるが、新年の晴れやかな気分になれる、ニューイヤー・コンサートの最後の曲「ラデツキー行進曲」を挙げた。

ニューイヤーコンサートまで半年近くあるが、暮れまでには新型コロナウィルスのワクチンが出来て、世界が本当の意味で気分一新して新年を迎えることができればとつくづくに思う。

ウィーンを語る前に、ニューイヤー・コンサートについて・・・現在のように1月1日の元旦にコンサートが開かれるようになったのは1941年。フランスがナチス・ドイツに占領され第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が拡大の一途を辿っていた時代だ。以来、このコンサートの指揮を振ってきた名指揮者たちは・・・クレメンス・クラウス、ヨーゼフ・クリップス、ウィリー・ボスコフスキー、ロリン・マゼール、ヘルベルト・フォン・カラヤン、クラウディオ・アバド、カルロス・クライバー、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティエ、ニコラウス・アーノンクールなど。小澤征爾氏も2002年に振っている。2021年はリッカルド・ムーティエが3度目を振るらしい。演奏はウィーン・フィルハーモニー管弦楽楽団。会場はインペリアホテルの裏手の楽友協会・黄金ホール。

 さて、そのウィーン。音楽、特にクラシックの殿堂・ウィーンにはいくつかの有名なコンサート会場がある。その一つ一つが観光名所になっている。ニューイヤー・コンサート会場でウィーン・フィルハーモニー管弦楽楽団の本拠地(但し、主にコンサートやっているのはウィーン交響楽団)楽友協会(ミュージックフェアライン)。オペラの殿堂、国立オペラ劇場(シュタット・オパー)。そして、フォルクスオパーなどがある。

 是非訪れて欲しい美術館はデューラー、ブリューゲルなど後期ルネッサンスの作品で名高い美術史美術館を筆頭に、クリムト、シーレの作品があるベルベデーレ宮殿上宮のオーストリアギャラリー、ヒエロニムス・ボッシュの造形美術アカデミー。それに、ベートーベンフリーズのある分離派美術館。美術館めぐりだけでも5日ぐらい欲しい。

郊外で是非お薦めなのが、ベートーベンゆかりのハイリゲンシュタット。地底湖ゼーグロッテ近くのヒンターブリューはシューベルトゆかりの地。そして、往年の映画ファンには「うたかたの恋」(シャルル・ボワイエとだダニエル・ダリュー)で知られるマイヤーリンクに足をのばすこともお薦めする。マイヤーリンクはやや重いが、ハイリゲンシュタットもヒンターブリューも作者に寄り添えるところ何とも良い。


(楽友協会・・・Wikimedeaより)



(国立歌劇場・・・Wikimedeaより)


(ベートーベン生誕250周年の今年、さぞや賑わったであろうハイリゲンシュタットのベートーベン像。
彼はここが気に入って静養しています。コロナが治まったらぜひ・・・Wikimedeaより)







最終更新日  2020.07.25 08:05:05
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2020.07.24
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第2位 鳥の歌(スペイン カタルーニア)・・・ カタルーニアの鳥は「ピース」「ピース」と哭く

 19734人のパブロが死んだ・・・五木寛之氏の「戒厳令の夜」の冒頭の一行で初めてパブロ・カザルスを知った。カザルスは1876年、スペインのカタルーニア地方のヴェンドレルで生まれた20世紀最大のチェロ奏者だ。今年で丁度生誕144年になる。バッハの「無伴奏チェロ組曲」の価値を再発見して不朽の名曲にしたことで世界的な名声を得る。これまた世界的な名指揮者フルトヴェングラーは「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことがない人は弦楽器をどうやって弾くか知らない人である」と言って絶賛した。

パブロ・カザルスは平和主義を貫いた人でも有名だ。戦争の世紀・20世紀の数々の戦乱をくぐりぬけ、スペイン内戦の時はフランスに亡命した経験を持つ。そして、何よりも、96歳でなくなる2年前の19711024日、ニューヨークの国連本部に招かれて平和を訴えた時のことだ・・・「私が生まれたカタルーニアの鳥はピース、ピースと哭くのです」と言って、カタルーニアの古い民謡「鳥の歌」を演奏した。

1992年、カタルーニアの州都・バルセロナでオリンピックがあった。ボスニア・ヘルツェゴビナの内乱の最も激しい時だった。NHKはそんなボスニア・ヘルツェゴビナからやってきた一人の女性ランナーをルポし、「鳥の歌」をフューチャーして総集編を作っていたのが印象的だった。

カタルーニアといえばバルセロナが有名だが、フランス・ピレネーあたりのまでの田舎の村にあるロマネスク様式の素朴な教会がカタルーニアのもう一つの顔だ。また、カザルスの他、ガウディー、ミロ、ダリと言った芸術家を育んだのもカタルーニアだ。バルセロナにはスペインロマネスクの傑作を展示しているカタルーニア美術館。ガウディーの作品、サクラダファミリア教会、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル邸、郊外のグエル地下聖堂。少し離れたフィゲラスのダリ美術館などは必見だ。それに、カタルーニア出身ではないが、ピカソ美術館。ピカソの偉大さがよくわかる美術館だ。因みにピカソもカザルスと同じ没年だ。冒頭の4人のパブロのうちの一人だ。

 秋の夜長は、静かにカザルスのチェロの響きに身を委ねたい。



(カタルーニア名物・・・人間の塔。Wikimedeaより)



(古いロマネスク教会があるのもカタルーニアの顔。ピレネーのボイ渓谷、タウールのサンタ・マリア教会・・・Wikimedeaより)


(カタルーニアの中心はバルセロナ。バルセロナのシンボル、サグラダ・ファミリア教会・・・
Wikimedeaより)






最終更新日  2020.07.24 09:17:41
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2020.07.23
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3位 谷間に三つの鐘がなる(フランス パリ)・・・秋深まるごと、アコーディオンの調べがモンマルトルへと誘う

 
はじめに・・・
 コロナ禍でどこにも行けなくなり、誰にも会えなくなり、この先どうなってしまうんだろうという
漠然とした不安のなか、旅への憧れを持ち続けていただきたい、みんなとつながっていたいという
思いで、4月からブログの形で、海外のよしなしごとを綴ってきて今日で100日目。
 皆さんにお読みいただいていることを励みに続けてきましたことを厚く感謝申し上げます。
ありがとうございます。これからも、いろいろな世界を綴ってゆきたいと思います。何卒宜しく
お願い申し上げます。

 さて、今日の、第3位、谷間に三つの鐘が鳴る・・・
 18
の春、東京へ出てきた時に上野から直行した場所が今はなき「銀巴里」だった。当時出演していた人達ももう少なくなり隔世の感は免れない。しかし、そこで覚えたシャンソンの数々はわが青春の詩として鮮明に残っている。越路吹雪さんの「愛の賛歌」や金子由香利さんの「想い出のサントロペ」など数えたらきりが無いが・・・何と言ってもエディット・ピアフが歌った「谷間に三つの鐘が鳴る」「パダン・パダン」「ばら色の人生」などが原点になった。

パリに行ったら是非行きたかった、エディット・ピアフが出演していたモンマルトルにあるシャンソニエの「オ・ラパン・アジル」。始まるのが9時ごろ、終わるのが午前2時なので、夕食をとっていったら丁度よかった。店内はそれほど広くはなく、観光客というより常連の客が多いように思われた。歌手と客との冗談の投げ合いがまた新たな笑いを誘い和やかな雰囲気に包まれる。フランス語が分らないので笑うタイミングが全く分らず戸惑ったが、ここでエディット・ピアフやイブ・モンタンが歌っていたかと思うとたまらなかった。知らない曲と曲の合間に知っている曲も出てくるがどの人も歌がうまい(当たり前だが)のに感心しきり。アコーディオン、巻き舌と喉の奥から発せられるフランス語の心地良さが忘れられない。また、最初に行った時がよかった。ユトリロの雪のモンマルトルとは違ったがかなり寒い晩秋だった。語りかけるようなシャンソンには秋が似合う。

 1970年代、越路吹雪さんがそのリサイタルの中でエディット・ピアフの生涯を綴った「愛の賛歌」の公演があった。そのオープニングが「谷間に三つの鐘が鳴る」だった。颯爽と現われる越路吹雪さんが忘れられない。この曲はエディット・ピアフがアメリカ公演で歌い、それをジミー・ブラウンがカバーして世界的なヒットになった。実は私も最初に聞いたのはジミー・ブラウンの方だった。

 このテーマの「バイカル湖のほとり」のくだりでうたごえ喫茶「ともしび」が創立50年を迎えたと記事にした。当時の団塊世代の郷愁を集めていると言う。その意味でもう一度「銀巴里」のようなシャンソンが聞ける場所の復活も願うがもう時代感が全く違うので無理というものだろう。 

 エディット・ピアフは1963年、47歳の若さでこの世を去った。公式の命日が私の誕生日であるので忘れられないが、墓地で行われた葬儀は4万の人で溢れ、パリの交通が麻痺したとシャルル・アズナブールは述懐している。もっと長生きをして欲しかった一人だ。


(パリの高台・・・モンマルトルの丘 Wikimedeaより)



(ありし日のエディット・ピアフ・・・Wikimedeaより)




(懐かしのシャンソニエ、オ・ラパン・アジル・・・Wikimedeaより)







最終更新日  2020.07.23 09:49:03
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2020.07.22
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第4位 誰も寝てはならぬ トゥーランドットから(中国、北京)・・・舞台は北京・紫禁城だが・・・

一度は是非泊まって欲しいホテルに「北京貴賓楼飯店(グランドホテル・ベイジン)」がある。このホテルの8階以上に泊まると紫禁城(故宮)が自分の部屋のベッドの上から居ながらにして中国王朝時代にタイムスリップできる・・・その北京・紫禁城が「誰も寝てはならぬ」の舞台。

話は1710年ごろまで遡る。ベティー・ド・ラ・クロワが「千一日物語」の中で「カラフ王子と中国の王女の物語」にトゥーランドット姫を登場させた。後年、様々な作曲家の手によって曲が付けられたようだが、中でも有名なのが、ジャコモ・プッチーニのオペラだ。プッチーニが未完成に終わったものを弟子のフランコ・アルファーノが補作して1926年にミラノ・スカラ座で初演された。このオペラはヴェローナのアレーナで毎夏行われる音楽祭の演目「アイーダ」とともに100回を越える公演演目として有名だ。

ペルシャの王子と中国の王女・トゥーランドット姫の愛の物語で、なおかつ、幻想的なスペクタルが世界中のオペラファンを虜にしている。特にカラフが歌うアリア「誰も寝てはならぬ」はテノールの高音の名曲として特に有名だ。

 199077日、サッカー、ワールドカップ・ローマ大会の決勝戦前夜。ローマ・カラカラの野外ステージにカレーラスの白血病完治を祝い、復帰を記念した三大テノールの第一回目のコンサートが開かれた。その時にルチアーノ・パヴァロティが歌ったこの「誰も寝てはならぬ」はアンコールでも歌われた。後に何度も彼の歌うこの曲を耳にしたが、この時の出来映えを越えるものはないほど素晴しかった。まさに世界的なテノールが集まった最初ということもあり、それぞれに、良い意味で、競い合う意識があって高めあった結果の出来映えだったと思う。

この「トゥーランドット」で一つ残念なことがあった。このオペラは西洋の中国蔑視があるため、中国ではタブーの出し物だった。しかし、1998年舞台を紫禁城に作りそこで公演をする話になりチケットも取れた・・・にもかかわらずツアーとして実現できなかった。演出は北京オリンピックの開閉会式の総合演出した中国きっての名映画監督チャン・イーモウ(張芸謀)、指揮者はフィレンツェ五月音楽祭交響楽団を率いていたズービン・メータ。そして、舞台は紫禁城とくれば何としても見たい公演だったが実現できなかった・・・

 しかし、うれしいこともあった。この曲をバックに荒川静香さんがトリノオリンピック・フィギアで金メダルを取り、2006年の11月に白血病で倒れた本田美奈子さんが「クラシックを歌う」アルバムでこの曲を歌い、若い人達に圧倒的な支持を受けたことだった。


(北京・紫禁城(故宮博物館)・・・Wikimedeaより



(オペラ・トゥーランドットの一幕・・・Wikimedeaより)



(左からドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティー・・・Yahoo画像より)







最終更新日  2020.07.22 06:31:01
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2020.07.21
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第5位 交響詩・わが祖国よりモルダウ(チェコ プラハ)・・・キラキラした水が流れるようなメロディーが忘れられない

 モルダウ川がチェコの首都プラハを貫流している。スメタナの名曲「モルダウ」の曲想そのままに、その流れがあの一度聞いたら忘れられない主旋律を想起させる。

モルダウのメロディーは小さな小川のせせらぎから始まり、やがて、ボヘミアの平原を貫流する大きな川に至る情景をスメタナはものの見事に表現した。

プラハは14世紀にカレル1世が神聖ローマ皇帝となってその絶頂を迎える。今日、目に触れる町並みはその頃に出来上がった。かつてはローマやコンスタンチノープルと肩を並べるほどに発展して「黄金のプラハ」と呼ばれる時代を築いた。そんな趣は彫刻の意匠を凝らした銅像が並ぶカレル橋やプラハ城に残っている。また、ヤン・フス広場がある旧市街もたいへん美しい町並みが残っていて素晴しい。私はホテルインターコンチネンタルの最上階にあるレストランから塔が林立するこの旧市街を眺めるのが好きだ。ところで、ヤン・フスは1415年にローマ・カトリックに逆らってこの広場で、火刑に処されている。1517年ウィッテンベルグでマルチン・ルターにより宗教改革の炎が上がるが、それよりも100年も前に時のカトリックに対して異を唱えたヤン・フスは記憶に留めたい一人だ。ヤン・フス広場には彼の銅像が立っている。

パリにセーヌ。ロンドンにテムズ。ローマにテヴェレ川があるように、プラハにはモルダウがある。川のある風景はなんとも美しい。

(美しいプラハの町を還流するモルダウの流れとカレル橋・・・Wikimedeaより)



(宗教改革者ヤン・フスの像・・・Wikimedeaより)




(モルダウの流れと幾重にもかかる橋・・・Wikimedeaより)







最終更新日  2020.07.21 06:30:50
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2020.07.20
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第6位 アランフェス協奏曲第2楽章(スペイン アランフェス)・・・哀調深いメロディーに涙して

 実はアランフェスの町に拘ったのではなくというと、アランフェスの市民やアランフェスをこよなく愛している人に文句を言われそうだが・・・ホアキン・ロドリーゴが作曲した「アランフェス協奏曲」はアランフェスだけではなくスペインそのものを表現している名曲だと思うから、このタイトルは少し違和感がある。

 スペインはレコンキスタ以後、新大陸へいち早く乗り出して巨万の富を築いた。しかし、衰退の勢いも早かった。そこにスペインの光と影が重なり独特の哀調が生まれてくるわけだが・・・

 ロドリーゴのこの曲に早くから出会っていた。そのメロディーに触発されるようにスペインへの想いは募った。しかし、アランフェスへは強い想いの割にはなかなか訪れることができずに月日が流れた。普通はマドリッドに滞在していて、トレドへの往復の際にでも立ち寄ったらよかったのだがその機会がなかった。しかし、アンダルシアから北上してトレドに宿泊して翌日マドリッドに行く際に時間ができたので積年のアランフェスとチンチョンに訪れた。

アランフェスはトレドから30分ぐらいの町でスペイン王家の春と秋の離宮がある。そのせいか町はたいへん落ち着いていて哀愁を漂わせている。丁度、秋が深まっていく趣が哀調あるメロディーに興を添えていたのがこころに残っている。アランフェスに行くなら秋がいい。そして、是非宮殿の中を見学して欲しい。近世の宮殿と言うのはフランス・ブルボン王朝のパターンがヨーロッパ中に広がって、どこの宮殿を見ても同じように感じるが部屋の意匠にそれぞれの特色が出るのでどうしても中に入る必要がある。ここの宮殿のアラブの間と磁器の間は一見の価値がある。

 ロドリーゴは1999年98歳で亡くなった。たいへん長生きをした人だ。しかも小さい時に光を失っている。激動の20世紀、激動のスペインを生きたロドリーゴを思いながら深まる秋にスペインへ想いを馳せる。


(スペイン王室のアランフェスの宮殿・・・Wkimedeaより)

(アランフェスの俯瞰・・・Wikimedeaより)






最終更新日  2020.07.20 09:54:13
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2020.07.19
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7位 帰れソレントへ(イタリア ソレント)・・・カンツォーネの定番。定番は落ち着く

 ベネチアのゴンドラに乗ってナポリ民謡を聞いているほど野暮なことはないと、塩野七生さんが若い頃何かに書いていたと思うが・・・まぁまぁそんなに目くじら立てずにもう少し寛容に日本人観光客を見守ってもいいのではと思ったものだ。イタリアの歌と言えば、オペラもさることながら一般的にはカンツォーネ、カンツォーネと言えば、「サンタ・ルチア」「オーソレミーヨ」「帰れソレント」と言ったところが定番の御三家でたいていの人はその何とも甘美なメロディーと張りのあるヴェルカントが脳裏に残っているのではないかと思う。また、みんながみんなとは言わないが、陽気なイタリアのドライバーはオーストリアの国境のブレンナー峠やフランス国境おモンブラントンネルを抜けてイタリアの明るい太陽が雲間から顔を出すと、とたんに「オーソレミーヨ」を口ずさんだりする。イタリアの歌にはあの明るい太陽が不可欠だ。その意味でベネチア以北には本来のカンツォーネが生まれる風土はない。だから、塩野さんの言っていることも分からないわけではないが・・・なんとなく大人気ない気もする。

イタリア旅行の黎明期。ソレントの名前は知っているがなかなか行く機会がなかったのではないだろうか。たいていは、ローマから一日かけてナポリとポンペイを見るのが精一杯でその先のソレント半島まで足を延ばせない。ローマ以南はどうしても二度目の南イタリアとシチリアをコンビネーションしたツアーで行って、漸くソレント半島に足を踏み入れるような状態だ。

ソレントは断崖絶壁の上に立つ小さな町だ。ナポリから船でカプリへ行って青の洞窟を見て、アナカプリの景色のいいテラスレストランで昼食をとり、帰りはソレントに船を着ける。町は絶壁の上にあるのでエレベーターで上がる。海に浮かぶカプリ島、背後にベスビオ山が見える松林の道をそぞろ歩きながら、定番中の定番「帰れソレント」を口ずさむ。いささか出来すぎ、つきすぎだが、ナポリからの小旅行にはお薦めだ。また、この頃はソレント半島巡りにはポジターノやアマルフィを一日周遊するコースが定番になっている。

 いつものように、ソレントの位置を確認しておきます。グーグルマップのコピーを見てください。
それから、写真と・・・
帰れソレントへの歌詞はその下につけておきます。



(ナポリ、ソレント、ポジターノ、アマルフィ、そして、ポンペイとカプリの位置も見ていただきたい・・・グーグルマップより)

(小さな海岸線がありますが、ソレントは断崖の上にあります・・・Wikimedeaより)

ソレント半島巡りの定番の町、ポジターノとアマルフィも紹介します。


(ポジターノの町。ジェノヴァの南にあるチンクェ・テッレの町にも似ています。Wikimedeaより)

 

帰れソレントへ

徳永政太郎 訳詩

1、うるわしの海はうつつにも夢む

  君の声のごと わが胸をうつ

  オレンジの園は ほのかにも香り

  恋になげく子の 胸にぞしむよ

  あわれ君は行き われはただ一人

  なつかしの地にぞ 君を待つのみ

  帰れよ われを捨つるな

  帰れソレントへ 帰れよ

2、ソレントの海は たぐいなき海よ

  尊き宝を 底に秘むるや

  まどわしの精は 君の手をとりて

  いと甘き声に 君をさそうよ

  あはれ君はゆき われはただ一人

  なつかしの地にぞ 君を待つのみ

  帰れよ われを捨つるな

  帰れソレントへ 帰れよ

 







最終更新日  2020.07.19 10:57:47
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2020.07.18
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第8位 ペール・ギュント(ノルウェイ ガイガンゲルフィヨルド)・・・世界一美しい朝に似合う名曲

 大見出しの名歌名曲に誘られてとあるが、今回は、そこに行って脳裏をよぎった曲という意味では、曲が後付けになった。

 さて、そのペール・ギュント・・・音楽に造詣の深い方からこの曲はモロッコが舞台の曲じゃないかとツッコミを入れられそうだが・・・確かにそうだが、敢えてこの曲をこのガイランゲルフィヨルドにしたかといえば、これほど美しい朝はどこにあるだろうと感動した時にこのペールギュントの「朝の気分」が脳裏を過ぎったからだ。

夏至を過ぎた頃、ちょうど今頃の北欧はとにかく日が長い。夜の11時を過ぎてもうっすらと明るい。朝も4時には明るくなり始める。自ずと目も早く覚める。朝食までにはまだまだ時間がありすぎるが、それまでの夜が明けてゆく感じが北欧独特の趣があって素晴しい。峠を越えてダルスニッバの展望台から見たフィヨルドも素晴しかったが、船着場から少し上がった高台にあるホテルから見たフィヨルドの景色もいっぺんに気に入った。丁度、フィヨルド観光のための白亜の豪華客船が停まっていてくれたことも景色に花を添える形で幸運だった。

 徒然草では「夏は夜・・・」だが、フィヨルドは夏の朝が一番。そして、絶対にホテルから海が眺められるホテルを選ぶことが肝要になる。また、フィヨルド観光は1泊で引き上げるのではなく、場所を変えても良いから2泊はしたいところ。最高の朝。これが本当のグッド・モーニング・・・

 まずは、ガイランゲル・フィヨルドの位置を確認しておきます。
おすすめのルートはオスロから列車でオンダルスネスまで列車で行き、バスに
乗り換えてゆくルート。峠は夏でも天候が崩れると雪が舞う。つまり、標高差が
あるため、山越えのダイナミックなアプローチが魅力です。

(グーグルマップより)

(峠を越えるとダイナミックなフィヨルドが見えます・・・Wikimedeaより)







最終更新日  2020.07.18 09:28:44
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2020.07.16
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第9位 バイカル湖のほとり(ロシア イルクーツク)・・・わが青春の想いが甦る

 ちょっと古い話になるが、うたごえ喫茶「ともしび」が50周年を迎えた時の記念に行われたイベント「みんなで選ぶともしびベスト50曲」の中に13曲のロシア民謡が入ったという。「ともしび」「カチューシャ」「心騒ぐ青春の歌」「トロイカ」「ステンカラージン」などに混じって「バイカル湖のほとり」も選ばれ非常にうれしくなった。

さて、バイカル湖のほとり。実は学生時代に世界の民謡を歌うサークルに所属し、現在は合唱団白樺に席を置く身として、ロシア民謡には格別の思いがあってランキングに入れた。上記の曲も含め、たいていのロシア民謡を覚えているが、まさか、その歌の地に立てるとは思ってなかったので実際にそのバイカル湖のほとりに立った時の感慨はひとしおのものがあった。それは、ロシア民謡の定番、アムール川やヴォルガ川のほとりに立った時も同じだった。

 ウラル山脈を越え極東までの間には帝政ロシアの政治犯の流刑地がたくさんあった。バイカル湖観光の拠点イルクーツクもその一つでこの「バイカル湖のほとり」は政治犯のうめきが聞こえてくるようだ。

バイカル湖は地図を広げてみると縦長の三日月のような形をしている。一番広い幅の場所で35kmしかないが、縦は600kmにも及ぶ。しかし、この湖の最大の特徴は水深で、一番深いところで1743mあり世界で最も深い湖であるとともに最大の体積も誇る。更に透明度も世界一を誇っている。イルクーツクからバスでエニセイ川の支流アンガラ川を約1時間半ほど遡るとバイカル湖のほとりリストビアンカに到着する。帰りはそこから船も出ているのでそれに乗って

帰るのも一興。2016年夏、合唱グループとこの地を訪れる機会があり、船上で歌った「バイカル湖のほとり」も忘れられない曲となった。また、湖畔のすぐ近くにシベリア抑留で亡くなった方の日本人墓地があるので、是非、参拝をしていただきたい。

一般的なバイカル湖のほとりの歌詞は中央合唱団や井上頼豊さんの詩で歌われることが多いですが、以下は、物語性豊かな大胡敏夫さんの詩をご紹介します。

「バイカル湖のほとり」・・・訳詩:大胡敏夫 

1.  黄金を秘めるザバイカルの

荒れ野をあてもなく

さだめを呪いながら さすらい人は

歩む

2.  昼なお暗き森は 小鳥が歌うのみ

肩に袋を背負い 腰には鍋を下げて

3.  まとうは破れたルバーシカ

継ぎあとさまざまな

被るは囚人帽 囚人服も汚れ

4.  正義のゆえに苦しみ

闇夜に牢をのがれ

歩む力は尽きて バイカルを前に見る

5.  バイカルの岸辺に下りて

いさり船漕ぎいで

悲しき歌を歌う なにやら故郷の歌を

6.  残せし若き妻よ 幼きいとし子よ

いつの日また会えるや

明日をも知れぬ身で

7.  バイカルを渡りてゆけば

懐かし母に逢いぬ

俺だよ俺だよ母さん

父さんはお達者ですか

8.  お前の父さんは亡くなり

冷たい土に眠る

お前の兄さんは捕まり

シベリアに流された

9.  ゆきましょう ゆきましょう息子よ

わしらのあばら家へ

お前を待ちわび妻や

子供が泣いている

場所を確認しておきましょう。下記のグーグルの地図をご覧ください。





(バイカル湖・・・Wkimedeaより)



(バイカル湖遊覧の船・・・撮影、筆者)

(2016年夏、ウランバートル・イルクーツク合唱交流でリストビアンカの日本人墓地を訪れた際、
鎮魂の合唱をご参加の皆さんと捧げました。撮影、筆者)







最終更新日  2020.07.17 11:23:18
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