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多岐さんのブログ

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2020.05.27
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ミラノの最後は、たぶん、ミラノに行ったら誰でも立ち寄る大聖堂の近くに、
少し変わった教会と絵画館をご紹介しておきます。

まずは、サンタ・マリア・サッソ・サン・サティロ教会。
いささか長い名前ですが、一般的にはサン・サティロ教会と覚えておきましょう。
場所は、大聖堂に向って右奥にあります。外見は何の特色もない普通の教会ですが、
その祭壇が少し変わっていますのが、下の写真です。この遠近に富んだ祭壇ですが
何と奥行きが97㎝しかありません。遠近法ここに極まれりですので、時間がありましたら
立ち寄ることをお薦めします。

(Wikimedeaより)

(光が当たっている横の祭壇・・・Wikimedeaより)

次に、そのすぐ近くに17世紀初頭に世界で初めてできた公共図書館アンブロージアナ
図書館&絵画館があります。レオナルド・ダ・ビンチの夥しいメモ、アトランティコ手縞で
有名ですが、ここに、ラファエロがヴァチカンに残こした「アテネの学堂」の下絵があります。
小さいサイズの写真しかありませんので、本物を現地で見てください。それから、
もう一つ、カラヴァッジョの「果物かご」これは、クレジットが入っていて、ご覧
いただけませんので、画集なりで当たってください。

(アンブロジアーナ図書館&絵画館・・・Wikimedeaより)

(アテネの学堂の下絵・・・トリップアドヴァイザーホームページより)






最終更新日  2020.05.27 11:35:09
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2020.05.26
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日は大きくそれて、北方ルネッサンスのヘントの「神秘の子羊」について綴りましたが、
ミラノからオランダまで飛行機なら1時間ちょっとの間の距離ながら、ヨーロッパアルプスを
越えるとなると、事はそう簡単ではありませんでした。つくづくに、人間の交流がないと、
文化は滞り、新たな発展もないことが一枚の絵から読み取れました。

さて、今日はミラノに戻り、著名な建造物なのに、後手に回りましたが、14世紀半ばに
起こったヴィスコンティ家の居城スフォルツァ城(スフォルツェスコ)を紹介します。

(16世紀には現在の4倍の広さがあり、星型の城壁で囲まれていました・・・Wikimedeaより)

このスフォルツェスコは現在博物館になっています。必見はフィレンツェの項でご紹介した
ミケランジェロが作った4つのピエタの内の最後の「ロンダニーニのピエタ」とレオナルド・
ダ・ビンチの天井画の二つ。


(Wikimedeaより)
ミケランジェロは亡くなる直前までノミを振っていたとか・・・
母マリアに抱かれてというより、やせ衰えたイエスがマリアを背負いともに昇天してゆくような
上昇性が感じられます。

フィレンツェ・ドーモ付属博物館のピエタと、ローマ・サンピエトロ教会のピエタと
比較してみて下さい。



(上下ともにWikmedeaより)

もう一つ、レオナルド・ダ・ビンチの天井画・・・現在まだ修復中ですが、やはり、レオナルドの
テーマ、顔料研究の途次の作品と言われています。この部屋に入ると森に迷い込んだ錯覚に
陥ります。画像はHUFFPOSTのニュースから






最終更新日  2020.05.26 10:35:24
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2020.05.25
カテゴリ:カテゴリ未分類
遣欧使節団の足跡を追いながら、北イタリア各地を巡ってきました。
特に、イタリアルネッサンス絵画の「この1枚は是非に」と大きなお世話を書き綴ってきました。
今日は、大きく横道に逸れまして、ヘントの祭壇画についてご案内します。

実は、駆け出しの頃から、イタリアに行く機会がたいへん多く、たくさんの絵や彫刻など
美術品を見るチャンスに恵まれてきました。しかし、仕事柄、ヨーロッパの方々に行かざる
を得ない中で、オランダのヘント(英語読みゲント)に行く機会を得ました。
そのヘントで、私の中のイタリア絵画史がヨーロッパの絵画史をリードして他国の画家の
追随を許していないというある種のイタリア至上主義のようなものが吹き飛ばされました。
それは、ヘントにある聖バーフ教会のヤン・ファン・エイクが描いた「神秘の子羊」と言われる
祭壇画を見たからにほかなりません。

(トリップアドヴァイザーホームページより)

初めて、対面した時、描かれたのは16世紀初頭の印象を持ちましたが、資料をあたると、なんと、
1432年。1432年ごろのイタリアは、今ブログのフィレンツェ編でご案内したマサッチョが、
ブランカッチ礼拝堂で「貢の銭」を描いていた頃でした。つまり、まだ、イタリアは、フレスコ画
手法のただ中にあり、遠近法も、絵の濃淡もこれからという時代でした。
ヤン・ファン・エイクは遠近法を巧みに取り入れ、何よりも、衣装や草木を実に細密に描き
人物も身近にいそうなリアリズムに富んでいます。そして、何よりも驚いたのは、この絵は
板の上に描いた油絵だったことです。
昨日のレオナルドが乾いた漆喰の上に描く顔料研究で苦労をしていたことに触れましたが、
彼の70年前には、同じヨーロッパですでに、油彩の顔料が開発されていてイタリアの手法を
はるかに上回っていた世界があったということです。

旅することの面白さ、楽しさを教えてくれた一枚としてご紹介しました。






最終更新日  2020.05.25 12:34:51
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2020.05.24
カテゴリ:カテゴリ未分類
ミラノで訪れてほしい美術館の筆頭は、遣欧使節団の滞在先でもあったブレラ絵画館。
ご紹介したい絵は、今まで歩いてきたフェラーラ、ベネチア、マントヴァなどで活躍した
画家たちの珠玉の一枚が、枚挙にいとまなく飾られています。しかしながら、ほとんど
クレジット付のものばかりですので、インターネット、画集で当たっていただきたいと思います。
お薦めは、ラファエロの「聖母の結婚」、ベネチア派のジョバンニ・ベリーニの「ピエタ」
カラヴァッジョの「エマオのイエス」、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖なる会話」
ブラマンテの「柱のキリスト」などなど・・・
ここではマンテーニャの「死せるキリスト」の画像を・・・

(アンドレア・マンテーニャ「死せるキリスト」・・・朝日新聞 週間世界の美術より)
マントヴァの編でご紹介しました15世紀後半の宮廷画家の1人。マンテーニャを含め
二次元の世界でいかに三次元の世界を描けるか、それは遠近法であったり、この短縮法で
あったり、また、色の濃淡、光と影など様々な試みを当時の画家たちが挑みました。
絵画館には彼らの試みの歴史が集積されています。
ブレラ絵画館は、ミラノの大聖堂から北へ500mほどの場所にありますので、歩いてゆけます。

次に、この一枚のために行く価値がある小さな美術館、ポルディ・ペッツォーリ美術館。
この美術館も大聖堂から250mほど。ミラノ中央駅方面の通りを行くとありますが、ちょっと、
入り口がわかりづらいので、あらかじめしっかり地図で確認してゆくことをお薦めします。
この絵は15世紀後半、盛期ルネッサンスを迎える少し前の時代。ピロ・デル・ポッライオーロ
の「ある女性の肖像」というタイトルのついた絵です。
実際の絵の前に立った時の感動を忘れられません。女性の髪の毛一本一本を実に丁寧に・・・
そして、耳を覆う薄いベール、髪飾り、真珠のような宝石、衣装の質感、更には衣装の柄も
実にリアルに描いていることに感動しました。
画集などでは、なかなかわかりづらいので、是非、実際の絵を目の当たりにしてほしい一枚です。

実はこの絵も、金沢大学名誉教授の宮下孝晴先生のご紹介いただいた一枚です。
(朝日新聞社 週間世界の美術から転載しました)






最終更新日  2020.05.24 11:10:46
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2020.05.23
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昨日はミラノの主な見どころをご紹介しましたが、今日から各論的に、ミラノを
ご紹介してゆきたいと思います。

まずは、レオナルド・ダ・ビンチが描いた最期の晩餐から・・・
モナリザと並んだ最期の晩餐はレオナルドの最高傑作と言われています。
この絵はサンタ・マリア・デッレ・グラーツェ教会の食堂の壁に描かれた壁画です。
当時はまだ湿っている漆喰に描くフレスコ画が主流でしたが、レオナルドは乾いた
漆喰に描く、テンペラ画技法で描きました。彼は、筆がとても遅く、漆喰が乾く前に
絵を描くことが苦手なようでした。そこでまた彼の研究熱心が始まり、乾いた漆喰でも
長く絵が保存できる顔料の研究に没頭します。しかし、この絵の顔料はうまくゆかず、
描いてしばらくすると顔料の腐食が始まったとされます。

(トリップアドヴァイザーのホームページから転載・・・部分)
レオナルドは12使徒を三人づつ、4組に分け、イエスの左右に2組づつ配し、
イエスの背に開け放たれた外の景色を描いて、絵に遠近感を持たせ、立体的な構図にしています。
描かれたのは1495年から3年の歳月を経て描かれました。使節団の一行もこの絵を見ているのでは
ないかと言われています。
この絵の中のイスカリオテのユダは左から3番目、テーブルに右ひじをついて、手にはイエスを
売った謝礼の金子を握りしめています。そのユダの顔の右隣の怒りの顔がペテロ。ユダの後ろに
ナイフを握った手が見え、「汝に中に我を裏切りしものあり」と言った瞬間の緊張感が伝わって
きます。
絵は腐食とが激しく、500年以上の歳月の汚れがあるために何度も、慎重の上にも慎重を重ね、
修復が試みられています。

かつては順番に並んで比較的簡単に見ることができましたが、観光人口が増えるにつれ、
好きな時に行ってみてくることが難しくなり、現在は完全に予約制で、しかも、人数の制限が
あるため、しっかりと計画を立てる必要があります。抜かりなく・・・






最終更新日  2020.05.23 11:13:33
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2020.05.22
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使節団一行の最後の訪問地ミラノには10日ほど滞在しました。
松田毅一さんの著書によれば、イタリアの滞在は約五カ月に及んだとあります。
このブログは五カ月の足跡を約一か月余りで回ってきたことになります。
今日からミラノとジェノヴァを紹介して、スペイン、ポルトガルへ続けたいと思います。

さて、ミラノですが・・・ミラノの観光の目玉は何と言っても、レオナルド・ダ・ビンチの
「最期の晩餐」。そして、テレビでもよく紹介されたり、ゴシック様式建築の代表として
世界史の授業で使われる大聖堂。これに、オペラの殿堂スカラ座と、近くのエマニュエル・
アーケード街のショッピングエリアが中心になります。

以下、主なスポットを写真で紹介します。

1386年に礎石が置かれ、出来上がったは、約500年後の1813年・・・途方もない歳月をかけて
造られました。遣欧使節団が訪れた時も、まだ、建設中だったが、正面は何とか出来ていたようだと
記録が残っています。
ミラノは第二次世界大戦中に壊滅的な連合軍の爆撃によって破壊されましたが、この大聖堂は
連合軍の判断で爆撃されませんでした。町は、戦前の町並みの写真を基に復元されました。
(上と下、ともに、Wikimedeaより)

大聖堂に向って左に入り口があるエマニュエル・アーケード・・・ミラノの観光客目当ての
ショッピングモール。東西南北に通路が伸び、女性のお買い物天国、男の地獄?となっています。


オペラの殿堂・スカラ座・・・現在目にしているスカラ座は1778年に創建された2度目の建物。
特に、スカラ座に縁の深い指揮者はカラヤン。他にはフルトヴェングラー、トスカニーニが
います。
(上と下、ともにWikimedeaより)

また歴代音楽監督はクラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティー、ダニエル・バレンボイム
そして、2017年からはリッカルド・シャイーが務めています。
入場見学できるツアーもありますが、時間があったら、鑑賞を是非。

レオナルド・ダ・ビンチの「最期の晩餐」はこのサンタ・マリア・デッレ・グラーツェ教会にあります。


そして、一つ、ミラノの絵画の殿堂はブレラ絵画館・・・ここはかつてのイエズス会の学院だった
ので、ここに10日ほど滞在して、今日、私たちが訪れることができる場所をくまなく見学した
ようです。詳細は明日以降にご紹介します。(写真はともにWikimedeaより)






最終更新日  2020.05.22 12:27:30
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2020.05.21
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大歓待を受けた使節団一行は残る訪問地ミラノを目指すことになりますが、
途中、クレモナを通過しているので、クレモナについても簡単に紹介しておきます。

ロンバルディアのポー川流域の肥沃な土地で農業に適していた土地柄のクレモナが
有名になったのは、素晴らしいロマネスクのファサードを持つ大聖堂を中心に、16世紀に
音楽アンサンブルが組織され、町の名が北イタリアに鳴り響くようになりました。

(美しいロマネスク様式のファサードを持つ大聖堂と洗礼堂。12世紀の創建・・・Wikimedeaより)

(正面からの大聖堂。リズミックなアーチと鐘楼。そして、ゴシックの影響も
見え始めたバラ窓・・・Wikimedeaより)

そして、16世紀ごろから、ヴァイオリンをはじめ、弦楽器製造の工房ができ一大産業の町に
なりました。とりわけ、アマーティー家、グアルネリ家が有名で、これに、アントニオ・
ストラディバリの店が加わりました。

かつては、市庁舎の特別室のようなところに年代物の一台数億円するようなヴァイオリンが
4挺ほど展示されて、毎日、数分ながら試し弾きの時間があり、その時間をめがけて、
立ち寄ったものでした。しかし、2012年にヴァイオリンが無形文化遺産に登録され、
年代物のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロをヴァイオリン博物館に集められ、展示されています。
3年に一度、ヴァイオリンコンテストが行われ、優勝者の作品も展示されています。
日本人の製作のヴァイオリンも大変評価が高いと言われています。

(ヴァイオリン博物館・・・Wikimedeaより)

日本人で最初に自己所有したのは、ヴァイオリニストの辻久子さんだとか・・・
1973年に家を売却して3000万のヴストラディバリを手に入れたことで、一躍、
ストラディバリの名前が有名になりましたが、以降、自己所有や音楽財団、あるいは、
音楽大学所有のストラディバリが著名なヴァイオリニストに貸与されて20挺近くに上っています。
ちなみに、現在、ストラディバリの制作したバイオリンは600挺との事。






最終更新日  2020.05.21 11:52:29
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2020.05.20
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使節団一行はヴェローナをスキップするように、痕跡を残さずマントヴァへ急ぎました。
そして、一行はマントヴァに5日間滞在しました。
今日はそのマントヴァをご紹介します。
マントヴァは15、16世紀に大きな勢力も持って君臨したゴンズアーガ家の居城があった
町です。そして、マントヴァのイエズス会も他が使節団を歓待した以上の歓待を示したようでした。

そのマントヴァは北部のガルダ湖のシルミオーネから流れ出たミンチョ川の湾曲部にできた町です。
いわば、川が3方を守っている形で存在しています。

マントヴァを訪れたい最大の見どころはドゥッカーレ宮殿内のスポージの間にあるマンテーニャの
フレスコ画と、テ宮殿内の巨人の間に描かれたジュリオ・ロマーノのフレスコ画を見るためと
言っても過言ではありません。

ゴンズァーガ家の居城でもありましたドゥッカーレ宮殿。この中に、ゴンズアーガ家の模様が
描かれたスポージの間があります。


テ宮殿

例のごとく、朝日新聞、週間世界の美術から転載します。

マンテーニャ作・・・ゴンズァーガ家の人々 朝日新聞 週間 世界の美術より


同じく、世界の美術より・・・ともに、1473年頃のフレスコ画。
こちらは、天井画ですが、遠近のすばらしさ、発想のすばらしさを感じさせます。
イタリアレストランにこの絵があるお店があります。蘊蓄を語ってください。
マンテーニャはゴンズァーガ家の宮廷画家として15世紀後半に活躍した画家です。
ベネチアの項でご紹介したジョヴァンニ・ベリーニとは義兄弟としても有名。
ミラノの項で彼の短縮法もご紹介します。請う、ご期待。

次なる絵は、マンテーニャと入れ替わるように登壇してきた、ジュリオ・ロマーノ
16世紀になると、完全にキリスト教のモチーフから脱して、歴史絵巻やギリシャ・
ローマの神話などがテーマに絵が描かれるようになってゆきます。
この絵のタイトルは「巨人族の没落」

上記同様に、週間 世界の美術から転載しました。






最終更新日  2020.05.20 11:25:29
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2020.05.19
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遣欧使節団一行はベネチアから毎日ほぼ30㎞の道のりを進んだと思われます。
昨日のヴィチェンツァから西に30㎞行くと、ヴェローナになります。
松田毅一さんの著書ではヴェローナの記述がありませんが、1泊して、次の
マントヴァに急いだと思われます。
しかし、ここでヴェローナをスキップするわけにはいきませんので、ヴェローナの
見所をご紹介します。

ヴェローナの町は、北部山岳地帯のドロミテ山塊を源にするアディジェ川のほとりに
開けた町で、古代ローマの時代の一大拠点の町でした。その名残は町の中心にあります
古代円形劇場(アレーナ)が物語っています。

(2000年前の建造物とは思えないアレーナ・・・Wikimedaeより)

古代ローマは版図を拡大してゆく際の拠点になった町には、ローマ帝国の標として、
円形劇場や水道橋、そして、城塁など土木の遺構を方々に建てていきました。
ヴェローナの円形劇場は大変均整の取れた、そして、後世の破壊や地震にも耐えた遺構として
名高い。創建は初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代、紀元前27年から30年の歳月をかけて
造られたというのが定説になっています。

このアレーナ、ジュゼッペ・ヴェルディーの生誕100年を記念して毎夏、オペラの公演が
一か月ほど続く夏の風物詩になっています。
私も一度、「アイーダ」を鑑賞する機会があり流石の大仕掛けに驚いた経験があります。
今年は、コロナ禍でどういうことになるかわかりませんが、今日のチケットサイトは
発売予定になっています。
今年の私のお薦めは、ベートーベン生誕250年に当たりますので、その企画として
8月23日に「第九」の演奏会です。
実は、遣欧使節団の足跡を訪ねながら、「第九」をアレーナで鑑賞する企画を立てて
いたのですが・・・これから先、どういう形で企画実現できるか、あくまで、コロナ次第
ですので、終息度合いを見極めつつ判断してゆきたいと思います。
今年がだめなら来年もありますので、気長に構えましょう。

(舞台はオペラアイーダの舞台設定・・・平土間でなく上の方の席なら35$位の料金で
見ることができます・・・Wikimedeaより)

次なるヴェローナの見所は・・・シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台が
ここヴェローナで、キャピュレット家とモンターギュ家が町に残っています。
特に、ジュリエットのキャピュレット家のバルコニーで写真を撮るのが定番の観光スポット。
真偽のほどはわかりません。第一、シェイクスピアはイギリスにいて、イタリアを旅していません。
彼は他に、「ベニスの商人」も書いていますので、イタリア好きの戯曲家であることは
間違えないようです。

(ジュリエットが待っていた?であろうバルコニー。今頃行くと、修学旅行の学生たちでいっぱい。
いずこの人も、この類の話は好きなようです。若者たちもみんな楽し気です・・・Wikimedeaより)


もう一つ。Wikimedeaのデータでクレジットがかかっていない絵がありましたので
紹介しておきましょう。
サンタ・アナスターシア教会にあるピサネロの「聖ゲオルギウスと王女」(フレスコ)
ピサネロは15世紀初頭の画家で、ゴシックから抜け出てルネッサンスへの移行期の画家。
その時代の貴重な一枚がここヴェローナにあります。


聖ゲオルギウスは「竜を退治した聖人」として、初期キリスト教時代からモザイク画、フレスコ画に
描かれてきた聖人で、竜の絵が出てきたら、ゲオルギウスをまず思い描いても間違えがないほどの
定番中の定番。
ちなみに、かつて、グルジアと呼ばれたコーカサスの国はこの聖人ゲオルギウス伝説が基になっている。
2015年にジョージアに表記が変更されました。
また、欧米人の名前でジョージはこの聖ゲオルグが由来になっています。イギリス王ジョージ〇世とか、政治家のジョージ・ブッシュさんなど・・・






最終更新日  2020.05.19 11:49:31
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2020.05.18
カテゴリ:カテゴリ未分類
現在、ベネチアからパドヴァまで約30㎞、パドヴァからヴィチェンツァまでも
大体30㎞離れている。この間は車で30分あれば十分な距離なので、できる限り
立ち寄ってほしい町です。
遣欧使節団の宿泊先はたいていイエズス会の学院の寄宿舎だったことは記録にも
残っているので、現在でも町のイエズス会を訪ねればよいのだが、このヴィチェンツァには
彼らが立ち寄って大歓迎を受けた模様の壁画が何とベンチアのサンジョルジョ・マドーレ
教会をたてた紹介をしたアンドレア・パラーディオの設計になるテアトロ・オリンピコの
観客席へ行くいくつかの小部屋の上に掲げられています。



テアトロ・オリンピコの舞台上にローマ時代の館が現出されているユニークな劇場。
(上下ともにWikimedeaより)

テアトロ・オリンピコの見学のために立ち寄ることもさることながら、16世紀に4人の日本人の
足跡を確認する意味でも大変貴重です。
また、その壁画の真下には使節団より約100年後にゲーテが訪れていることが記されている。
イタリア紀行が記された旅行の足跡を確認できる意味でも立ち寄る意味は大きいと思います。

縦1m、横2mの壁画。前列のとんがり帽子を被った3人が使節団一行。副士だった原マルチノは
イエス生誕にベツレヘムでお参りした東方からの3博士の言い伝えにより、この歓迎会には
入っていなかったようだ。(Wikimedeaより)

町は、別名パラーディオの町と言われているのは、町並みを含めた建物を設計したのが
パラーディオで、世界遺産に登録もされています。(下の写真はパラーディオが設計した
町並みの一部です・・・Wikimedeaより)






最終更新日  2020.05.18 11:05:16
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