2005/05/30(月)11:01
無条件反射
近所にある、コモンと名のつく管理されていない湿った草原には、人間や馬の散歩道が周りを囲むように存在し、中央にしみったれた浅い池がある。初秋から冬の終わりにかけて、冴えない芝生に覆われた野原は正視できない寂しさに溢れるが、緑濃い春にはまだ見られるものになる。
その野原の端の、ちょっとした商店街に続く通り沿いに、石造りの白い小さな塔がある。
去年の暮れ前後に手術のリハビリを兼ねた散歩をしていた時に、そこに立ち寄り、白い石に刻みこまれた言葉を読んでみた。土地バブルのカネ余り酔狂で立てたかと思い込んでいた5m程の高さのそれは、予想に反し第二次大戦の犠牲者鎮魂の為のものだった。クリスマスなどの行事の際には、教会の入口近くの祭壇で見るような小さなロウソクの炎が、視線を気にするかのように献花の中で身を縮めていた。
初夏のこの時期になると、TVのニュース解説者達の胸に赤い花を模した色紙を見かけるようになる。幼稚園の授業で子供が作った工作物のように、技巧を施した跡は感じられない淡白なつくりの花だ。よく言えば印象派による貼り絵のようなものか。会社のデリのレジ脇にもその赤い花々が並ぶ。
そしてこの時期には、自宅の郵便受けにはV型にユニオンジャック柄の安っぽいデザインのロゴが付いた封筒が入る。同封された紙には、軍服にバッチをつけた老人たちの写真と 赤い花、そして感謝の言葉があり、彼らの戦時中の実体験に基づく幾つかの見出しが並ぶ:
“海に墜落した大戦のヒーロー、彼がまた沈むのを阻止しよう。”
第二次大戦の退役軍人向け恩給が不足しているため、ポピーを模した紙の花を購入してもらい寄付に充てるという仕組みのようだ。WW2終結後60周年にあたる今年だが、この封筒は日没帝国に来た時から毎年見かけている。
書店にはD-DayやVE-Dayの関連書籍が積まれる。後者は Victory of Europe、すなわち ナチスドイツが連合国軍に無条件降伏した5月8日を指す。
本の表紙やポスターに、大戦に従軍中の英国軍兵士や、市井の暮らしの中で戦争を経験し、勇敢に生き延びた人々の姿と笑顔が溢れる。厳しい暮らしの中で間接的に女は戦い、子供も加勢した。好むと好まざるとに関らず、そこで生活をしているもの全てを戦争の舌が舐め、勝利したとはいえ、運の良かった人々にさえ体のあちこちに赤く擦り傷が残った。
終戦を”祝う“行事が日本に無いように、それは当然ながらドイツにも無い。ドイツにあるのは自らの罪をひたすら思い出し、忘れぬよう祈念する行事だけだ。
しかし、支持した あるいは 支持せざるを得なかった理念の差が その結末に決定的な違いを与えたにせよ、戦争の舌が舐めたのは戦勝国だけではない。
ドイツで目にする歴史的建造物には、その割に外観が歴史の手垢にまみれていない、こざっぱりしたものが多々ある。例えばMuenchenの旧市街を囲む城門の一つIsar門の外壁を飾る絵は、つい数年前に描いたかと思わせる風情がある。爆薬の雷雨をまともに受けて、西も東も無くなった瓦礫の山から作り直せば、そうなることは止むを得ない。
敗残した国々でも男は戦地に赴き、廃墟の中で女は戦い、子供も加勢した。そして状況によっては 戦争の舌が炎と共に踊る喉の奥へ 生きたまま放り込まれた。Dresden空爆がその一つだ。
自分の部屋から外出する際に、エレベータや玄関口でいささか高齢の紳士淑女の方々とお会いすることが少なくない。現在の棲み家は、リタイヤした老夫婦がひっそりと余生を過ごす事を目的とした間取りの、日本でいうマンションの一室にあるためだ。愛想のいい管理人氏達も然り、若く見積もっても恐らく70歳前後のはずだ。
東洋からの異邦人の会釈に笑顔で返す彼らは、乱暴な括りだが、自分の両親の世代とは区分上 言わば仇同士だったわけだ。実際に極東の戦地で銃を取ったり、皇軍の捕虜になったりしたのは更に10歳は上の、さすがにもうカクシャクとしてはいられない人達であるにしても。
60年という人間の平均寿命よりも短い時の経過は、特に欧州では水に流せる過去ではない。しかし、体に刻み込まれた、ざらつく舌の擦り取った傷は 世代と共に浅くなる。
99年頃、南ドイツOfficeの食堂で同僚たちが当時のロシアの政治不安についてヨタ話をしていた。アル中のエリツィンが核のボタンを押せるなんてありえない、何とかならないものかと炭酸飲料を手に呆れ顔でぼやいていたドイツ人同僚達の話に、30歳そこそこのUK人同僚Mが涼しい顔で意見を挟んだ:
「ロシアを占領しよう。今のこの混迷の時期に多国籍軍で派兵すれば何とかできる。そして合同統治すれば長年の懸案が無くなる。」
正論かもしれないが、この国の昔話に似ている。ドイツ人同僚2人は無言で互いの顔を覗き込んだ。
考えてみれば至極当然のことだが、この地でいうVE-Dayとは戦争の勝利を祝うものであり、それを忌避するものではない。条件反射のきつい日本人が陥りがちな誤解だろう。
そうとは判っているのだが、自分もひとり、自分の顔を覗き込みたくなる。