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NPT要請団参加記録...?^^)

2005年NPT再検討会議要請団に加わって、サンフランシスコとNEWYORKへ行って来ました。
何度か日記にも書いていますが、NPTとは=Nuclear Non-Proliferation Treaty =核非拡散再検討会議のこと。
読んで字のごとくなんですが(・・。)ゞ 唯一の被爆国として、
被爆60年目の今年日本から1000人もの人々が
この会議の成功を願い
NYの国連へ要請の旅に出ました。
参加者の中には被爆者の老人も、政治家に労働者、被爆2世も、私のように余り賢くないけれど平和を願うただの人も。
核兵器の恐怖のない未来を孫たちに残したいというのが
私の参加動機。
しかし思った以上にHARDな行程で、次から次とアメリカのNGOとの交流会やシンポジウム、街頭署名活動があり、
その度に各自で移動。
日本から1000人、東京から125人っつったって、
殆んどが初対面なんですが。
1000人が各チームに別れ、NYで5月1日にデモ行進するまでは
各地を廻ってそれらの活動をしてきた訳です。で、私はSF班。
東京からは8名/125名中の参加。

得がたい経験でしたので、このサイトのレシピな趣旨と少し離れますが残しておこうと思います。
なんたって 平和じゃないと美味しい料理も
美味しいお酒も楽しめないですからねぇ!

まずはSFの珍道中からご紹介します(^-^)/
下の画像と共にご覧下さいませ。

4月27日朝自宅を出て、成田から飛行機に乗ったのはお昼、SFに着いたら又27日の朝!
体は深夜2時くらいです( ▽ )o〇O
長い一日はホテルにチェックインできる時刻までバスで市内を廻りながら始まりました。
市内観光…といえばそうなんですが、はとバスツアーよりバスから離れる時間は短く(/ー ̄;)
途中のpier39で昼食各自!です。
有名なFisherman's Wharfのお隣ですからお店はいっぱいあるものの・・・
取り敢えず東京8人班で
( ^-^)/U ( ^-^)/U☆U\(^-^ ) U\(^-^ )乾杯できる
シーフードレストランへ!
ココで皆さん英語を喋る気がなさそうなことが判明しました。
( ̄▽ ̄;)!!8名のオーダーを何とか通訳したのはこの私
…ヤバイですよ皆さん私なんか頼っちゃ…
この思いは8日間続いたのでした。

さて、食事を終えると外は雨!!カリフォルニアの青い空は何処?
と、思いつつHOTELに着いた所でやっと今夜の予定が明らかに。
小一時間後にゃ現地NGOの皆さんが
『歓迎PARTY』を開いてくださるというので会場へ!
銘々にドレスアップしたり、平和活動のアピールグッズを持参したり、アメリカフレンズ奉仕委員会SF事務局の
皆さんとの交流を楽しみました。
日本人でもあまり見る機会の無い(というより見たがらない?)
被爆写真パネルを長年使って活動しているようで、
彼らはとても熱心に反戦・反核運動をしているんだなぁ。と実感。


翌日28日はAFSC(アメリカンフレンズ奉仕委員会)のレベッカさんにご協力頂き
FerryBuildingの近くで街頭署名。
朝食後、署名活動に使う横断幕に文字を入れなければ…
という作業があったのですが、 東京班1ダンディーなS氏と東京原水協代表団長でもあるA氏が二人で一手に引受けて下さったので
ありがたく(^人^)♪その隙に有志でケーブルカーに乗り、小1時間市内観光♪
さて、街頭署名。ここでもちゃんとした通訳さんが居なかったので、頑張ったよ私(^^;
しかし、署名を取る段になると皆さんちゃんと英語でアピールしてらっしゃる。ま、いいんだけどね。
署名を取り始めたら、
ビルの警備員さんに「ここでやっちゃ(;`O´)oダメーーー!!」と、
怒られて移動。
というハプニングもありつつ1時間ちょっとで400筆以上の署名を
集めたのでありました。
足を止める人は必ず署名の全文を読み賛同すれば署名する。
「やだよ!」という人も当然いるけれど何れにしろ意思キッパリ(^^)
アメリカらしいですね。

この続きは(*'-')ノ*:・・:*マタネー*:・・:*

下の画像にマウスを乗せるとTitleが出ます。
by nyantomo




ツインピークス Pier39 乾杯SF クラムチャウダー

横断幕 ケーブルカー 横断幕2


SFで街頭署名を集めた後、暫しの自由時間。昼食を摂り、次の集合時刻までのわずかな時間の中で何処まで行って帰ってこられるだろうか?と、地図を広げてバスとケーブルカーの経路を検討・・・否、ゆっくり検討する時間もないので『コレに乗れば大体あの辺に行くよねっ?』
という程度の知識で 東京班メンバー、若い順に3人
バスに飛び乗ったのでした。
目指すはFISHERMAN'S WHARF界隈。
界隈、という所に込められている曖昧さ(^^;ホントはGhirardelli Square にも行きたかったんだけどね。たどり着かなくて正解かも。とても廻りきれなかったであろう・・・。
ギラデリーは昔のチョコレート工場。今はレストランや色々な店が入っているショッピングモールなのです。
バスを何処で降りたらいいやら、とか、その前に乗ったはいいけど何ドルだっけ?とか、まぁ色々ありつつ・・・。
昨日見覚えのある通りで降りて、昨日は居なかった太陽のもと てくてく観光気分。と言っても、途中の露天で土産物を見た程度。
食後の珈琲すら飲めずHOTELへ帰るルートを探す羽目になったけど観光客相手にポーズをとるかもめや
10ドルで港を観光してくれる、馬車なぞ眺めて楽しい道のりでした。

焦りながらケーブルカーに乗り、終点からHOTELまでの道を
ずんずん歩いてぎりぎり_(゜ー^*)_セーフ!
これから市立図書館で始まる市民集会に参加です。
既にロビーには皆集まっていたけれど、
どうにか間に合った(´▽`) ホッ

さて、市民集会です。
『Opening the Door to a War&Nuclear Weapons』
戦争も核兵器もない世界へ扉を開こう!と題されたこの集会、
AFSCのメンバーが中心となり、2時間半に及ぶ密度の濃いものでした。
会場が市庁舎横の図書館と言うこともあり、地域住民の参加も多く見られました。
長崎の被爆者 谷口稜嘩(たにぐちすみてる)氏の証言には
多くの質問も寄せられ、活発な意見交換。
日本人である私でも初めて聞くその内容に圧倒されたのですが
アメリカンピープルは率直に言いたいこと、聞きたい事を聞くなぁ と思った質問がありました。

谷口氏が被爆後、何度も辛くて自殺を考えたと言うのに思い留まったのは何故か?というのです。
その質問に対して「私は1度も2度も死んだものとして、生きている喜び、また苦しかった時の憎しみ、この体験を1人でも多くの人たちに伝え、最後まで生きなければいけないと思う。」と語る谷口氏
突っ込んだ言葉があったからこそ発せられた、
谷口氏の魂からの真実の声だなぁ…と思った次第です。

地元TV局も取材に来ていた この集会が閉会したのは午後8時近く、流石のカリフォルニアも夜の帳が下りる頃。

『夕食各自』だったので、私はちょっと集団から抜け出して
ベイエリアに住む旧友と8年振りの再会Dinner♪
東京班の面々はちゃんと夕食食べてるかしら?
・・・と、チラッと思ったりしたけれど、私の次に若く、
フットワークの軽い東京班のホープ、T氏が付いているから大丈夫だろう♪っと自由な夜を堪能させて頂きました。
カリフォルニアワイン、4本は呑んだかな(・・。)ゞ

イタリアンレストランで テーブル係りのアダム君にまで署名をお願いしてしまいました|-^)v

朝方まで旧交を暖めあい、HOTELに戻って30分で荷造り!
朝5時半にはSFとお別れです。
いざ、NewYorkへ!!

・・・ここまで読んで下さってありがとうございます。
・・・お判りでしょうか?ココまでで成田を発って2日間。
超HARDな珍道中はこれからが本番です。
が、続きはマタネッ(^ー^)ノ~~Coming soon!



fishermans wharf 撮影慣れしたかもめ。生きてます Pire39

坂の街でケーブルカーにステップ乗車する東京班のHOPE TV取材 署名してくれたアダムくん


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