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藤枝の空と緑と子どもたち

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2007.11.03
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カテゴリ:憲法 九条
志太・憲法を大切にしよう会主催  憲法に学ぶつどい
「憲法を生かす人びと~県内の取材現場から~」
2007_1103憲法に学ぶつどい
 新聞記者O氏の講演
「憲法取材の現場から」 講演要旨(取り急ぎの報告のため誤解等ご容赦ください)

1、新聞記事で伝えきれないこと
 8月15日に向けて、戦争をテーマに連載記事を作成しているが、今年は「戦争と教師たち」と題して、大井川町の岩ヶ谷治禄さんに関して取材した。師範学校から教師になり、陸軍静岡第三連帯に徴兵され、フィリピン沖で輸送船が沈められ21歳で戦死。「きけ、わだつみの声」に収録されている「日本人の死は日本人だけが悲しむ。外国人の死は外国人のみが悲しむ。どうしてこうでなければならぬのであろうか。なぜ人間は人間で、ともに悲しみ喜ぶようにならないのか」という言葉は彼のもの。
 取材してみると、親友の秋山卓氏が彼の日記をきれいに製本して持っていることがわかった。戦地に行く前にお互いに日記を交換したという。お姉さんからは、哲学書をよく読んでいた彼が「西田幾多郎の善の研究を全部読まずに戦地に行くことはつらい」「この戦争は間違っている。こんな戦争で命を失うことになるのは遺憾だ」というような発言も聞く。
 当時の師範学校の人たちがどんな思いでいたのかも取材した。大半は「あきらめの気持ち」「楽に死にたい」と思っていたようだが、「死んでも自分の考えは教え子たちに残ると自分で納得させるしかなかった」という言葉も聞く。教育が大事だ、焼け野原になった清水の町を前に、次の時代を作るのは教師の仕事だと痛感した人もいた。
 そんな人たちの思いから、抑圧していた戦中の教育を反省し、子どもたちに個性や主体性を育てることで日本を再生されるのだという誓いが生まれてくる。
 しかし、戦中の教育を反省した教師は一握りだったようだ。たいていの教師は、反省することもなく、手のひらを返したように、軍国主義教育からうってかわって占領軍の言いなりに民主主義を唱えるようになる。そんな教師を信用できないと思う生徒が出てくるのも当然のこと。
 戦前もさかんに「教育改革」が叫ばれ、天皇の臣民として、戦争を戦い抜くために、皇国民の育成として国民学校がつくられる。私よりも公が優先。すべてがお国のため。多くの教師はそれも仕方がなかった、と従った。
 その反省にもとに「教育基本法」が成立した。学徒出陣した教師たちの、「教壇に立ちたかった」という無念の死が教育基本法にこめられているのだ。
 安倍政権での「教育再生会議」。最近トーンダウンしているようだが、国民のバランス感覚が働いているのだろう。あのまますすんだら、と思うとぞっとする。
 それにしても、取材していると志太地域全体が戦争にからめとられていたことがわかる。当時17.18歳で代用教員をしていた人の話。グラウンドを何周も走らされている人たちの記憶。疲れ果てて倒れてもそのまま放置されていた、と。藤枝基地(静浜基地)の建設に徴用された数百人の朝鮮人たちが懲罰か何かで走らされていたのだろう。学校で奨励し、満州開拓に多くの若者を送り出したのもこの志太地域。まっさきに逃げ出した軍と官僚。満州に残された開拓民の犠牲と悲劇。
 治禄さんが6年生を担任していたとき、4年生の生徒だった人を取材した。村の助役や村長までやった大きな家だったので、軍人が宿泊。戦闘機乗りの夫婦のつらい別れに同席した記憶。帝国大学での学徒兵が「この戦争は日本が負ける」と語っていた記憶。学校では神風が吹いて日本は勝つと教えられていたのでくってかかった記憶。
 藤枝基地建設中に空襲が激しくなり、親子爆弾で若者5人が命を失った話し。これはクラスター爆弾の原型。「チャイルドキラー」とも呼ばれる。
 最近自衛隊幹部がクラスター爆弾導入について「国が占領される被害に比べれば、クラスター爆弾による国民の被害は小さい」といっていたことに驚いた。司馬遼太郎の経験。「避難民が正面から逃げてきても、戦車隊はひき殺して行け」という上官の言葉。これに対する嫌悪感が司馬遼太郎の原動力になっているのではないか。自衛隊は明言している。「国民を保護するのは自衛隊の役割ではない。それは警察と自治体の役割。自衛隊の役割は国家を守ること。国民に犠牲が出てもそれはやむをえない」。軍隊は国民を守らない。

2、安倍政権の崩壊
 安倍政権の崩壊に対して、憲法改正は岸家・安倍家のお家の世襲的な課題でしかなかった。政権内部でも共感・共有できていなかった。公論になりえていなかった、という見方がある。有権者は格差是正、年金問題の根本的解決を求めていたが、同時に、改憲への危険な動きにも危機感を感じ始めていた。9条改正に対する賛成意見も、2004年には51%、2005年45.8%、2006年37.9%と減少している。
 福田政権になってトーンダウンはしているが、国民投票法案は成立している。憲法改悪が遠のいたわけではない。

3、私たちはなぜ憲法取材に取り組んだか
 平成大合併がさかんに議論されている頃、自衛隊がイラクに派遣され、高遠さんたちが人質にされる事件が起こるとマスコミまでが「自己責任」「非国民」論ばかりに。憲法が知らないところで帰られようとしていることに不安を感じ、社内で読者も巻き込んで議論しよう、そのための状況を知らせようという機運が高まった。30歳前後の記者で憲法九条取材班を立ち上げた。若者たちほど危機感が強かったようだ。40代は「しょうがないじゃん、S新聞だもの」という感じ。若者たちは自衛隊を取材したり、若者たちにひろがりつつあるナショナリズム、愛国心、国民保護法案などについて連載を企画した。

4、日本国憲法の60年と静岡
 憲法60年というテーマで取材すると、憲法と静岡県とのつながりが見えてくる。鈴木安蔵氏。彼を静岡大学に呼んだのは大学生だった。当時、自分たちの大学を創ろうという意気に燃えていた学生たちは一流の学者を、と鈴木安蔵氏に依頼に行く。東大や京大からも要請があったらしいが、学生が来てくれて読んでくれたのは静大だけだと受けることに。
 鈴木安蔵の生まれ故郷の福島県小高(相馬市)も取材に行った。父親はクリスチャン。ヒューマニズムの源。かの地は報徳精神、こま手いる人には手を差し伸べよが根底にあることも見えてきた。
 平田良先生から安蔵氏の200通もの書簡集を見せてもらった。同世代の仲のよかったいとこと文通している。海軍兵学校から職業軍人になった彼とのやり取り。「軍人で戦争を好むやつはいない。世界が恒久平和ならどんなによいだろう。戦争の罪悪もおれたちは知っている。しかし、戦争をなくすことをおれたちは知らない。戦争をなくすのはきみたちの仕事ではないか。」
 安蔵の草案に九条がなかった。明治憲法には11条、12条、13条に軍事条項があった。戦後、軍隊は解体された。軍事条項をあえて盛り込まないことで、軍隊をなくすことを考えていたのではないか。

5、九条の思想的先駆者 政池仁
 安蔵の20年前、旧制静岡高校に政池仁という人物がいた。満州事変に際し、軍部の自作自演をきびしく批判していた。戦争は国民を滅ぼす、中国とは戦争よりも貿易が大切だと主張していた。校長から呼び出しを受け、御前崎の灯台を一晩中眺めて悩んだ末、教職をなげうつことになる。「言論において抵抗しておかなければならない。将来の日本のためにだれかがしておかなければならない」
 この言葉は私自身が孤立無援と感じたときに大きな励ましの言葉になった。「地のさざめごと」という学徒出陣した学生の遺稿集に「自由を求めながら戦争になると、目をつぶり、耳をふさぎ、口をつぐむ。その沈黙の結果が、後輩たちを学徒出陣としてのしかかってゆく」と。戦争にのめりこんでしまったらどうしようもない面がある。まだものが自由に言えるときに、もう少しがんばっていたら、とめられたかもしれない。

6、今こそ考えたい一人ひとりの命の重さ
切り離せない「九条」と「基本的人権」
 いま聞いておかなければわからなくなってしまうことがたくさんある。聞いて記録しておかなければわからなくなる。集団自決問題のように歴史は簡単に捏造されてしまう。当時の生の声を掘り起こして記録しておかなければ。
 「誰だって軍国主義者だったんだ。その時はそうならなければ生きていけなかった。自分の心の中で愛国心と軍国主義への憎悪が岩をかむ波のようにもつれ合っている。皇室を尊崇しながら・・・、なんというなさけないことだ」これが普通の感覚だったのだろう。
 改憲論は引いた感があるが収束したわけではない。19条、21条、25条、言論の自由、集会結社の自由、生存権などの基本的人権は九条よりも大切かもしれない。弱肉強食の勝ち負け組み社会、格差社会。企業の収益は史上最高なのに給料はダウン。日本の保健医療制度は世界的にもすすんでいたはずなのにそれもくずされている。
 愛国心を強調しようとする保守主義と新自由主義はほんらい相容れないもの。それが歩調を合わせている。要するに、負け組は戦争に行けということ。石破が「みなさんご安心を。戦争は一部の選りすぐられたものがやる時代」と発言。負け組が戦争に行くのだ、と。そして何が守られるのか。
 9条を守るためには基本的人権を守ることが必要だ。





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Last updated  2007.11.04 00:47:00
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