EYASUKOの草取り日記

2006/11/10(金)21:55

高天原の秘密

 聖武天皇は、持統天皇の曾孫である。持統帝は、天武帝の数ある皇子のうちで唯一自分の血を受けた草壁皇子に位を譲るべく、最大のライバルである大津皇子を排除したのだが、草壁皇子が早世したため、孫の軽皇子を立太子とし、長ずるに及んで、軽皇子に譲位した。これが文武天皇で、その息子が首(おびと)皇子後の聖武帝である。 これに似た話が「日本書紀」にある。葦原中国平定を受け、アマテラスは、孫のニニギを葦原中国の統治のため葦原中国に降臨させ、これが日本の元となったという、いわゆる「天孫降臨」神話である。。 なぜ、孫でなければ「ならなかったのか?持統天皇の和名し号(おくり名)が、意味を持つのである。帝王等の貴人の死後に奉られる、生前の事績への評価に基ずく名号である彼女のおくり名は、まさに「高天原広野姫天皇」(たかあまのはらひろののすめらみこと)なのである。 言い換えるならば、天孫への譲位を正当づけるためにこそ「日本書紀」は書かれたのではないだろうか。

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