酔っ払い天国JAPAN
朝ドラ,たまたま数日前見るとはなしに見ていたら、主人公の一人が酒瓶からラッパ飲みしているシーン、こんなシーンが野放しで放映されている。まさに日本という国は酔っ払い天国と言われるんだろう。わたしは下戸ではないが、だらしなく酔っぱらう連中は苦手である。勝手に酒を飲んでクダ巻くなんて男らしくないし、みっともない。飲むなら勝手に人に迷惑をかけないで飲めと言いたくなる。NHKもなんだかなあ。酔っ払いを作り出しているようなもんだ。わたしが酔っ払いを毛嫌いするのは、自分でも少し異常かな?と思うところはあるのだが、おそらく幼少のころ、周囲がまさに酔っ払いで充満していたせいもあるのだろう。何が嫌かと言えば、日頃は温厚で優しいおじさんが夜になると狼男ののように変身、暴君と化すのを何度も見てきたからだろう。小学生のころ、わが街は新興の工業都市で、国鉄や大手電機工場や化学工場などが駅中心に林立していた。したがって同級生の親たちは工場勤め、いわゆるブルーカラーが多く、退出時の夕方になると駅へ通じる道は彼らで満ち溢れ、彼ら目当てに酒屋が裏で商売していた(酒屋が表向き飲み屋をやるのは禁止だった)。衝立や屏風で店を仕切り、裏に机といすを出して即席のカウンターを作り、ストーブでするめをあぶり、つまみにしていた。コップになみなみと注ぐのだが、わざと受け皿にこぼすのが人気で、そのような店は大繁盛、駅に近づくにつれて酔っ払いはその数を増し、駅前広場はまさに酔っ払いの集団が右往左往、ケンカや行き倒れが続出していた。また懐の豊かな酔っ払いはそのままバスに乗らず、キャバレーやダンスホールにしけこんだ。そんな光景を見ながら育ったわたしだから、当然酔っ払いを嫌悪した理由である。同級生の中には、親父に夕べ殴られて片耳が聞こえないと訴える生徒もいた。酔っぱらって帰った親父は酒乱気味で片っ端から物を壊し、子供をけり、なぐり、母親を罵倒したそうだ。最もひどい家庭は、父親が帰ってくると裏口から隣の家へ逃げる逃走経路が示し合わせてできていた。「ほら父ちゃん帰ってきたからにげろ!」てなもんである。いかに当時酒乱と家庭内暴力が多かったかわかるだろう。こんなだらしない文化が今でも追従され、酔っ払いはある意味で特赦を受けていたのだ。酔っ払いに最も寛容な先進国と言ったら日本が真っ先だと思われる。当時の親父は共稼ぎ少なく一家の大黒柱が多かったから、家庭を背負っているその責任感も多少はあったのだろう。そのストレスがDV,暴言につながったのだろう。日本人は元来アルコールに弱い民族と言うのが定説で、白人のようによく映画などで見るビジネスシーンでウィスキーをデキャンターから注いで一杯やるというのは余りない。弱いから酔っ払いが多いというのは当たり前だろう。いまでこそあまり酔っ払いは雑踏の中にはいないが、我々が子供のころは日常風景の一部だった。酔っ払いが家に侵入し、次の日真っ青になって奥さん付き添いで謝りに来たり、縁の下(昔は床を土間から上げていたので空間があった)からごそごそ音がするので懐中電灯で見ると人が大いびきをかいて寝ていたり、ホステスさんと客が絡み合って通学路を行くという風景は脳裏に焼き付いている。同級生の親が近所でキャバレーを経営していて、ホステスさんは住みこみで、よくペレスプラードの音楽に合わせて道路でダンスの練習をしていた。父親が勿論教師役だった。彼はそのころ珍しいアルファロメオの2シーターに乗っていたほど儲かっていたのである。わたしの担任教師は酔っぱらって汽車のデッキから落下し、2か月入院、分散授業をした。それほど世間は酒天国だったのだ。閑話休題とにかく酔っ払いは願い下げ、それを助長するテレビも責任は大である。大手飲料メーカーはそれなりに政治献金などせっせとしているのだろうが、ある程度の放送コードというか、酒を麻薬と同等に扱う国が欧州にあるそうだが、そのぐらい厳しく規制してもらいものだ。