ノルマンディ上陸作戦6/6
今日はノルマンディ上陸作戦が行われてから78年目の記念日で、米国を主とした連合軍がナチスドイツの支配する欧州大陸に上陸した日、Ddayとも言います。映画でもこのテーマを書いた作品は実に多く、古くは「史上最大の作戦」(なんと仰々しいタイトルを付けたことか)、最近では「プライベートライアン」などです。あまたある戦争映画はすべてこの日から始まっており、「遠すぎた橋」もテレビ映画のコンバットもそうなのだが、同じ時期、太平洋戦線では米国がフィリピンへの大攻勢をかけており、日本軍は欧州での進攻作戦が始まったことを受けて、当分のあいだはアメリカの上陸作戦はないだろうとみていた。米国が世界同時に欧州とフィリピンと8500km離れた所で上陸作戦などできるはずがないと踏んでいたのが間違いだったのを思い知らされることになった。日本は初めてアメリカの底力を知ったというお粗末さでしたさて檜山良昭氏がだいぶ前に書いたSF小説がこの「ソ連本土決戦」で、昭和16年6月にドイツがソビエトに宣戦布告した時、同時に満州に進駐していた関東軍が黒竜河を超えてソビエトに進撃する話ですが、決して荒唐無稽な話ではありません。実際にこの年、ドイツからはソビエトのサハリン沿海州を攻撃してもらいたいという要請があったのは事実、なぜか日独伊三国同盟があったにもかかわらず、日本は関東軍特別演習という擬態を見せただけで動かなかった。およそ70万人の兵力を集めた関東軍だが、同時期に行われていた仏印進駐の作戦がおぼつかなくなるとの理由で、中止を政府も了承した。実情は、海軍の出番がソビエト戦では全くなくなるという低俗な意識から出たもので、仏印を根城にしてインドシナの油を狙うものだった。海軍は陸軍に比べて膨大な油を消費するから、ぜひともこの地は押さえたい所だったのだ。この時にアメリカと戦争になるということを明言したものはいなかった。フランスもオランダもドイツに敗れて、同盟国の日本に対してあっさりと軍の進駐を認めるという皮算用もあったようです。政府首脳、陸海軍の首脳もまたドイツの勝利の分け前を得ようという他力本願で両国に進駐することになった。とりあえず陸路で進撃できる仏印へ進駐し、さらに南部仏印へ兵を進めた。これでアメリカはハルノートを出して日本に最後通牒をつきつけた形になりました。この後は米英蘭支の俗にいうABCD包囲陣にぶちあたるわけです。フランスビシー政府は抗議らしい抗議はなく、あっさり進駐を許したが、オランダは英国に亡命した自由オランダが日本の海外進出を非難して筋を通していました。さて、時間をドイツが対ソ戦に踏み切った時まで戻します。もし日本政府(近衛文麿首相)が北進政策を決定してドイツとともに対ソ戦を決心していたらどうなっていたでしょうか?結果はどうだったかは誰にもわかりませんが、想像するのも一興かと思います。