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南カリフォルニアの青い空

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2019.12.07
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ラグナビーチの写真家ジェフのサイトをシェアーしてますが、彼のサイトに”Holy Mackerel!" とコメントしてきました。
 
語源は知らないけど、このHolyという言葉、ホーリィーと発音しますが、
驚きの形容をするときにつかい、良くない言葉の前にもつかいます。
何故、Holy Mackerel 聖なる鯖というのが驚きの形容詞になったのでしょうね。"Holy sit!"というと、直訳は糞!みたいなことばですけどね
これも、言い方によって、「ほんとうかよ!」みたいな意味になり、若い子達が、良い事にも悪い事にもよく使います。

「おれ、一千万円の宝くじにあたっちゃったよ!」とか、
「おれ、昨日車ぶつけちゃったよ!」と、いうときに、
よく、ホーリィー/シットゥといいますよ。でもね、あまり良いことばでは
ないから、気をつけるように。



ラグナ・ビーチの写真家ジェフ・フェルナンデズ氏のグッドタイミングな一枚!
朝食に刺身!






最終更新日  2019.12.07 03:54:03
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2019.12.03
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*フェイスブックは時々何年か前の記録を送り返してくるのだが、これは5年前に私が福岡や佐賀に行ったときの思い出で、今もって不思議な話。


私の人生には沢山の不思議なスピリチュアルの
体験がある。でも、私は霊媒でも、サイキックでも
ない。ただ、見えない世界の「何か」を察知する鋭さ
はあるかもしれない。ともあれ、長い年月、弟の家の
仏壇の引き出しに隠れていた、ひぃひぃじい様の写真を
手に入れてから、スーパーナチュラルの出来事が増え
出したと言う話は前に書いた。




東京では、見知らぬ家の庭にあった珍しい花の名前を
私が聞いたのがきっかけで、そこのご主人と案内して
くれた、いとこの兄と半世紀振りで再会できる結果に
なったが、そんな経験は誰にでもあるだろう。しかし
先祖を祀るお寺で私が経験した一件は、話す価値がある
かもしれない。

本堂に入って、皆でご先祖様にご挨拶しようという事に
なり、一番年長の私が先ず礼拝。普通なら、周りに人が
いたら、フォーカスできないから、通り一遍の礼拝で
おわるのだが、今回は違った。正座して手を合わせた瞬間、
どうやら私は「トランス」状態に陥ってしまったようで、
周りと一切遮断された感覚になった。突然、四角い
光のトンネルが瞑想の中に現れた。いわゆる死に直面
した人が見るとかいう、あの光のトンネルである。その
トンネルは気が遠くなるほど長く、何があるのだろう?
と頭を入れた途端に、ウーッシュという、エネルギーの
音とともに、遠くから機関銃のようにドドドと漢字が
私をめがけて飛んできた。その字に集中すると、先祖の
名前であった。最後の方にはその光が我々四人を温かく
抱擁している感じであった。(ちなみに、私の曾祖父は原田種成
と言って、通し名は種。種臣、種継、種明というふうに。それで
この時はその種〇、〇種、と種のつく名前が沢山出て来たのだった)




時間の観念のない場所にいたので、どのくらい手を合わせて
いたのか聞いた。
「四分くらい、固まってましたよ。まるで呼吸も止まった
ような感じでした。弘子さんが祈ってる間、とっても平和で
温かな感じがしました」と、知典さんが言った。
「もしかしたら、ご先祖様が出てきて歓迎してくださってる
のかもしれない」と、紀子さんも言った。
ともかく、起きていながら夢を見ているような感覚になった
のは初めての体験であった。




四人全員の祈りが終えた時、素晴らしい日の入りを見た。
紀子さんの言う通り、ご先祖様が我々の参拝を喜んで
下さっていたのかもしれない。





 又いとこ達と

後ろに見える山のてっぺんに原田城(高祖城)があったのだが、
豊臣秀吉にのっとられ落城した。
大宰府一体が先祖の管轄下であったそうな。
それで秋月城、有名な「こちふかば、匂い起こせよ梅の花」の
天満宮もその中にはいっているので、お参りにいってきた。
先祖は中国の皇帝の流れで、応神天皇時代に日本に来ている。
後に日本人と帰化し、奈良の於美阿志神社に祀られている
というのも祖母からきいてるが、私は行ったことがない。








最終更新日  2019.12.03 14:29:13
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2019.11.28
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Happy Thanksgivings! 感謝祭おめでとうございます
感謝祭の発端は何度も書いてますから省きますのでこれをご覧になってください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E8%AC%9D%E7%A5%AD
 *****

 昨日の回覧板に、こういうのが入っていた。
「今年私達家族は感謝祭を一日おくれの金曜日にし、感謝祭当日は困ってる人達のお手伝いをしに行きたいと思ってます。例えばホームレスとか、寂しくしているお年寄りとかを知っていたら手伝ってあげたいのですが、どこに行ったらよいか情報をおしえてください」みたいな事が書いてあり、それに対するいくつかの返事が入っていた。

 感謝祭の歴史はともあれ文化も進化をし続け、年々感謝祭の幅が広がってきている。昔のように家族で七面鳥の丸焼きを食べ、テレビでメーシー・パレードを見るだけでなく、大統領がメスホール(軍隊などの大きな台所)のカウンターの中に入り兵士達のお皿に食事を盛るのを手伝ったり、一緒に食べたり、あちこちのミッションや教会では無料のディナーを提供したりする。そういえばオバマ大統領も家族全員でボランティアをしていたのを見た記憶がある。自分達の幸運に感謝して少しでも世の中にお返ししたい、という考えかららしい。

 CNNでは「私達のヒーロー」というタイトルで年に一度、感謝祭の時、色んな分野で人助け社会の爲になることをしている人を何人か選び、全団体に$25,000を、またトップの団体に$100,000を寄付する番組を何年か前に作った。例えば、ホームレスや低所得者に毎日無料で食事を提供する人や、辺鄙な地方に診療所を建てたり、個人で孤児院を建てたり、戦地で足を無くした子供もふくめる人々に義足を作り続けたり、アフリカで空っぽの教室に机を無料で送り続けたりするグループである。

 私は昭和39年(1964年)からアメリカに住んでいて、米国民のボランティア精神の素晴らしい事に感激し、私自身も色々なボランティアをしてきた。その一つに、感謝祭やクリスマスに家族から離れている人を誰でも招いてよいというのがあり、前夫が同僚を、大学生になった子供達は、他州から来ていてクリスマスまで帰らない同級生をつれてきたりした。勿論、近所の独身者も家族もいないお年寄りも招いた。大勢でガヤガヤ話しながら食事をするのは楽しいものだった。

 グレッグと一緒になってからも、長らくそれを続けていたが段々歳とともに億劫になって来た。特に今年は骨折から立ち直ったばかりなので、レスリー(グレッグの姉)の家に集まる事になってる。彼女が七面鳥を焼いて、私はいくつかサイド・ディッシュを持っていくだけで、子供達が遠くから飲み物や、デザートを持ってやって来てくれるわけで感謝感謝である。さて今から、茄子のパルマジャンの下ごしらえをしよう。
*****

 *皆さまも良い感謝祭をおくられますように!










最終更新日  2019.11.28 14:29:47
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2019.11.26
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昨日のNHKドキュメンタリーのブログを読んだ日本の友達の書き込みが介護者、又は未来に介護者になるかもしれない人に良いヒントになりそうなので、彼女に許可をえてシェアーすることにした。

2002年くらいに日本語のチャットルームというのを発見して以来、日本に17年も帰ってなかった私は日本語を忘れないようにチャットを暫く続けていた。その時に巡り合った人々に実際日本であったり、あちらから来たりもしてるので結構沢山の友達がいる。下のコメントはその中の一人からである。

【その節は良きアドバイスをありがとう💓介護中は必死ですから、実態が見えてない場合がありますね。私は家からでられなかったから、パソコンを始めてその頃知り合った今でも友人の皆さんに良きアドバイスを頂けたのが、プラスになりました。当時は自分が何とかしなければの意識が高過ぎて、姉に預ける事は考えられずにおりました。
今はsns で事件の起こる事も有りますが、使い方次第です。私にはありがたい存在でした。】

はなさん(仮名)はご主人と仲睦まじく暮らしていた。長女でなくても子供がいないというだけで年老いた母親を引取る事になり、良く話のわかるご主人と実母の面倒を最後までみた。経済的に安定してると言っても、我ままな母親の世話は結構フラストがたまることがあって、良くチャットにも出て来た。どこに行くにも一緒に連れ出さないと機嫌が悪いし、食べもの好き嫌いも激しかったりで、はなさんはなかなか友達に会いにもいけない。というので、

「お姉さんがいるのでしょう?時々数時間でもお守りしてもらったら」と何度いったことか。その度にはなさんはきまって、
「お姉さんは、あなたは子供がいないで沢山時間があるのだから。私は忙しくてそんな時間ないっていうのよ」と答えた。
でも、ご主人が時々面倒みてくれるのでたまには出られたようである。
「夫婦で旅だってしたいのに、それも出来ない。クルーズでヨーロッパ行きたいのよね」いつまでも似たような会話になるので、私はついに言った。

「行きたかったら行けばいい。経済的にこまってないのならシニア・ケアーに預けてでも行けばいい。お姉さんを無理やりに説き伏せても行ったらいい」と。私は、それは決して我がままだとも、ひどい事だとも思わない。かえて、リフレッシュ後は介護にもプラスになる筈である。
 結果:お姉さんに預けて夫婦でヨーロッパに行ったのがはなさん達にも命のリニューアルになったのだった。

 私自身、義両親二人の介護で大変な7年間をすごしたが、昼間はケアーギバーがいたので大学にも通っていたし、自分の人生も大事であると思ったからヨーロッパにいったり、日本にいったりした。家族の介護をしてる人が一番心配なのは、旅行中に亡くなってしまうかもしれないという懸念であろう。でも、人間の死はいつ来るかわからない。ちょっと出かけてる間かもしれないし、自分達が寝ている間かもしれないのだ。それよりなにより、私は人間の意思の強さを信じているので、「帰ってくるまで生きててね」というだけでも、生きているものだと思う。

 私の場合、義母は亡くなり義父も死が近づいていたころ、日本の実母も生死をさまよっていたのですっ飛んで行ったことがある。義父に「日本に行ってくるけど死んじゃ駄目よ。まっててよ」と念を押し、義父はもう動けなくなって寝たきりだったが「大丈夫だよ、まってるから」と言ってくれ、私が戻って4日後に亡くなった。本当に待っててくれたのだ。帰宅した日から義父は食べなくなった。私は義父が亡くなるまで三日間そばで手を握って、日本の話とか笑い話、思い出話をし続けた。

 ここに書いた例は、経済的に恵まれたケースだが、そうでなくても、介護人は可能な限り毎日1時間でも30分でも外の人とあうなり、チャットでもいいから社会との絆を切らないことが大事だとおもう。愚痴を聞いてくれる人がいるのは、可なり気が楽になるはずである。あいに来てくれる人がいればなおいい。それには若い頃から人の輪を広げておく事が大事である。もし友達ができなくても、お寺にいってお坊さんに相談するなり、教会で神父さんと話すなり、近所の人、ソーシャルワーカーの電話番号くらいは持っていてこまったときに相談するといい。

 はなさんが書いてるように、介護中は必死だから自分の置かれた状態が分からないかもしれない。だからこそ、日に30分でもチャットしたらいいと思う。あった事のない人でも、一生会うこともないであろう人でも、「うん、うん」と話をきいてくれるだけでも気が晴れると思う。介護人チャットルームなどがあるかもしれない。なかったら作ればいい。そして、患者が亡くなった後の事もきちんと計画しておくと社会復帰も早いと私は思う。






最終更新日  2019.11.26 14:27:43
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2019.11.25
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昨日は朝からヘリコプターがこの辺一体を何度も旋回していた。留置場付きの裁判所が近くにあったころは、容疑者が逃げた時によくヘリコプターが飛んだが、今はその場所に立派な市役所ができたのでそれはなくなった。山火事などの時にもヘリコプターが飛ぶが、昨日は無風だったからそうでもなさそう。ということは数日前のマウンテンライオンかな、と考えていた時に近所の人も同じ思いだったらしく回覧板をみると、

「火事だろうか?」
「マウンテンライオンじゃない?」
「いや、コヨーテの群れかもしれない」という会話に交じって、
「どこそこの交差点から78歳の女性が行方不明になりました。髪の毛は黒、背は低く認知症を患ってます、見かけたらXXに連絡をお願いします、」というものだった。それで、恐らくその人を探すヘリコプターだろうと思った。

 数年前も、ヘリコプターが低く旋回していて、「XXXの男性をさがしています」とメガフォンでその人の説明をしていたのを思い出した。今では難聴になって何を言ってるのか聞こえにくいが、78歳と言えば私とほぼ同年なので他人事とは思えない。そういえば、地元の雑誌に私の連載中の【ハッピーなマルチ介護】もアルツハイマー病だった義母の話が主だが彼女もよく失踪した。経験談を元に書いた20年前の調査ではアメリカ全体で4ミリオンの患者がいると言っていたのが今では5ミリオンになっていて驚いているが、医学の発展で長生きする人が増えたせいもあるかもしれない。

 昼間そんな事件があった昨夜、NHKワールドのチャンネルを入れると、奇遇にも現代の少子化の日本でどんどん多くなってる問題のドキュメンタリーとして、中年世代が親の介護で自分の人生もなくしてる、それはそれは厳しい悲惨な話だった。

 一人は大学卒業後、就職して独立していたのに母親に死なれた後の父親の介護の爲にやむなく退職。身を粉にして父親の介護をしている内に自分まで社会との関係を無くしてしまい父親が亡くなり、そのペットの鳥までがある日死んでしまって、自分自身も生きる屍化し、精神的にも元にもどりそうにない悲しいケース。

 一人は都会で就職していたけど全部臨時職のみで、あれこれ働き、それでも一応部屋も借りて自炊生活をしていたところ父親の具合が悪くなり帰郷、掃除、洗濯、料理などして都会にもどりたいが父親は絶対に施設には入らないというので、このまま遠距離の往復を続けるしかないという。つまりそのために貯金なども出来ない環境。

 3人目の男性も大学卒後、動けなくなった母の介護のため帰郷。寝起き、トイレ、洋服の着せ替え、料理すべて出来ない母のために介護したが母が亡くなったあとゴミ屋敷と化した家に、魂の抜けた人間のように住んでたところをソーシャルワーカーの人々がきて、家を片づけてくれ、周りのボランティアーのおばさん達が色んな行事に招いてくれたりしてる間に社会復帰をするところまでになったが、就職が決まった途端に心臓に欠陥がみつかり入院という運の悪さ。でも「まだ人生あきらめない」と希望があるのが救い。

 4人目が、一番ラッキーなケースで、認知症の始まりの父親の介護のために仕事をやめて家に戻り面倒をみていたが、「これでは、自分の人生までが駄目になる」と気づいて色んな施設を調べ、とても良い感じの施設を見つけて「俺は絶対に入らん!」と言い続ける父親を無理に車に入れて連れて行く。見るからに清潔で綺麗な個室だが、父親は「こんな所にいれやがって!もう二度とくるな!」と怒鳴るが、本人は「ちょくちょく訪ねます」と言ってた。

 これを見ていて気付いたことは、全員一人っ子であること、3ケース共友達や親戚もいなくて社会的なつながりを無くしてしまってることなどが見られた。介護を始める最初の時点でソーシャルワーカーと連絡をとって、社会とのつながりを維持する事。いくら何から何までやるといっても、自分の時間はあるはず、チャットルームでもいいから他人との会話を保つことが大事である。

 私達もこういう羽目にならないように子供達に迷惑をかけないように、60歳前から自宅での長期介護の保険をはらっている。

*この保険は、契約してからは殆どあがらず保険会社で割りが合わないといって、もうどこも売らなくなったときいてます。それでも我々は二人分で、毎月$300近く20年払ってますから、$72,000は払ったことになります。








最終更新日  2019.11.25 14:37:52
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2019.11.24
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骨折中私は階下のゲストルームに寝起きし、ノートパソコンをダイニングテーブルに持ってきていた。三か月ぶりにやっと二階の寝室に上って行き、しまったままのカーテンを恐る恐る開けてベランダをのぞくと、あんなに元気にしていたシンビジウムやカランコアがからからに乾いて葉っぱが茶色になっていてそれでも二本ばかりの茎にけな気にも蕾がついていた。

毛布はリクライナーにかけてあって、どうやらトニー(犬)を寝かせていたようである。ベットのシーツも三か月洗ってないのは一目瞭然。グレッグが二泊ティファナにいってたので、シーツ、ピロケース、毛布、ベッドスプレッド(掛布団)全部はぎとり洗った。それだけで思いなしか部屋中の空気が清潔になったような気がした。

私のデスクをみると、空のペットボトルやらガラクタがのり、ゴミ駕篭もいっぱいになったまま、ベットからティッシューや爪楊枝を投げたらしくミスしたものがそのまま床に散らばっていた。冬時間になった電気時計が夏時間のまま、もう一つのねじのは止まったままで、両親や先祖の遺影のおいてあるタンスの上には1ミリくらいの埃がたまっていたので、あわててきれいに拭きとり、お香をたいて合掌した。お清めである。




トイレ付風呂場は三つあるのだが、どういうわけかグレッグは階下の一番小さいのを使ったので、二階のお風呂場は両方ともきれいなままでほっとした。恐らく狭いお風呂場だと温かいからかもしれないが、彼がつかうとどうもアンモニア臭くなっていやだ。もう少し体が動くようになったら、全部どけてきれいに拭くつもりである。長くしゃがむのはまだ無理。

車椅子でも台所には、行ってたから、片付いてはいたがほぼ空だった冷蔵庫にやっと沢山の食材がみられるようになった。フラストがたまったからだろうか、寂しかったからか、グレッグは2000年からやめてたタバコを又喫いだしたから、裏庭の椅子やテーブルは吸い殻や灰だらけ。

私は、決してやめたらと言わず、彼が咳こむたびに、「あ、タバコの時間よ。すってきたら?」と私が皮肉をいうのが楽しいらしく、「うん」といそいそと庭に出ていく。
「死ぬまで喫うの?又やめるつもり?」とだけ聞いたら、「やめるよ」といったが、さてどうだか。
あんなに買い物嫌いの男なのに、タバコが切れるとさっさと買いにでかけるから「ミルクがないよ」と言ったときに、「あっそう、タバコを買うときに買えばいい」と答えたら 「冷たい女だ」と文句いった。

ゲストルームの横にある中庭は、車椅子や杖ついてでも私が水をまいていたから、植物は生き生きしているが、池の水はにごりににごっていたので、先週やっとフィルターをあらったら三か月分の金魚の糞がドロドロとでてきた。これも今はまた清潔になり底までみえるようになった。







【男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く】の諺、男女関係なく反対もあると思うが、グレッグははまさにこの諺通り。私が動けなくなると、家中がとんでもないことになる。だが不思議なことに彼が二日いないと散らかす人がいなくて、家中がきれいなまま何もやる事がなくなってつまらなくなるのも事実であるから、世の中うまくできてるものである。







最終更新日  2019.11.24 09:46:42
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2019.11.23
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 最近、手書きの郵便受け取る人はどのくらいいるのだろうか。殆ど無くなってると思う。誕生祝のカードやクリスマスカードまで電子版になって来てるのは何とも味気ない。「幸い」と言ったらおかしいが、私の周りには、つまり戦前、戦中派のなかにはパソコンができない人が結構いるので、時々手紙やカードを受け取るからこちらからの返事も切手を貼って出す昔風の手紙を書くことになる。

 この町は沢山の事が車に乗ったままできる。例えば、フライドチキンや、ハンバーガーのようなファーストフード店はもとより銀行も(近頃これは閉まってる事が多い)洗車も鍵屋も、一時期ドライクリーナーもそういうのがあった。勿論郵便ポストは今も沢山ある。

この郵便ポストがクリスマス近くになると満杯になってよくあふれ出ていて、外から盗れるから私は面倒でも郵便局内のポストにいれるのだが、回覧板(チャットルーム)にこんな会話があった。

「昨日、ドライブスルーのポストに郵便を投げ込んだら、どうやら満杯になってたみたいで封筒の端が出てたから手を入れて下に投げようと思ったのだが、ポストの中側がべとべとしていて空の箱なのに途中でひっかかったようだ。」と誰かが書いていた。そこから会話が始まり、

「それは、誰かが郵便を盗むためにわざとやってることで、特にクリスマス近くになると送金やギフトを投函する人が増えるから、ノリのようなものを塗り付けて、あとからコッソリ盗み出すらしい。支払いの小切手も偽物をつくるために盗むから、私は絶対に道にあるポストにはいれず、必ず建物内にいく」と誰かが答え、

「私も経験あるので、郵便局の主任にレポートした」というような会話だった。

そういえば、もう10年位前になるが、庭師に毎月支払う小切手が盗まれ偽物を沢山プリントされたことがある。当時は現金にかえられた小切手は持ち主のところに戻ってくるシステムだったので、見ると私のサインではない。どうやら男がつかってたらしく、金物屋とか、自動車の部品屋で、同じ日に10かいくらい使っていたので、すぐ銀行に報告したら
「まずシェリフに報告してください」と言われ、我が家まで来てもらって調書をとられたことがある。

全額戻ってきたが、かなり面倒で、中には州外の支払いに使ったものもあって、すったもんだの手紙や、電話のやりとりに三月近くかかった。だから小切手はきらいなのだが、まだ小切手を要求するところがあるからやめられない。それでも99%はコンピューターで入金、支払いをやっているが、世の流れとともに犯罪もどんどん変わっていくから要注意である。

*アメリカにお住まいの方、プレゼントなどは、郵便局や、UPSに持って行くことをお勧めします。







最終更新日  2019.11.23 08:19:26
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2019.11.21
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昨日のブログを書いた後で南カリフォルニアの回覧板というタイトルでこの辺の情報シリーズを書くことにしましたので、これから、このタイトルがでたら、この辺のニュースとか、市民の声とかだと思って下さい。
つまり、市のチャットルームで取り上げてるような内容とか、私の思い出を書いてみます。

先ず:

簡単にこの市ラグナ・ニゲールの歴史を書いてみると、30年前に正式な市として認められる前まで、オレンジ郡の一部でした。私は隣の100年以上の歴史のあるビーチタウンにすんでました。

40年前は、ニゲールというと山ばかりできちんとした車道もなく、「馬を飼いたいから」と友達が引っ越していったときは「あんな田舎にひっこすの?」と周りの人が気の毒がった位です。

友達の名前は、ハイジといってドイツ人で、「馬小屋や馬場がほしいから」と土地の安いとなり町のラグナ・ニゲールに越したのです。もちろん、馬小屋や馬場を入れるサイズとなると、半エーカーの土地。でもビーチの家を売れば半額で買えた時代なのです。ところが、今では大変な高級地になってしまい、乗馬で散歩できる道や、道路の信号機も馬上で押せるような交差点まである地域もできました。

その上、昔は田舎だったから、大きなゴルフ場まであちこちに出来たり、ディズニーランドが半分以上はいりそうな池付き公園も、オリンピックサイズのプールなどもあるような町になりました。そして、新しい都市計画で出来た町なので道路はきれいだし、広いし、とても便利なのです。

その内に、もう少し北にあるアーバインという昔はオレンジ畑だった町もどんどん日本、韓国、中国や海外の会社が移って来て、1960年代は日本人が殆どいなかったラグナ・ビーチや、ラグナ・ニゲール、アーバインもいまでは東洋人が珍しくなくなりました。とにかく国際色ゆたかな南カリフォルニアになってきましたから、レストランも国際色豊かでひところは和食が食べたくて泣きたくなった私も、好きな時にたべられるような時代になってます。

又、東洋人が増えたおかげで教育も熱心になってきて、この辺の学力はどんどん上がって来てると思います。気候もよいので、ディズニーランドや、ナッツベリーファーム、マジックマウンテン、ユニバーサル、ハリウッドのような娯楽施設も沢山あり、ますます人口が増して来ましたが、住めば都で私にとって、一番住みやすい場所となりました。








最終更新日  2019.11.21 02:07:09
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2019.11.20
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つい最近、この市の住民用のチャットルームが出来て市長からの知らせとか、町の催しものなどが分かるようになった。同時に、市民たちが誰でも参加出来るので
「怪しい、浮浪者がどこそこの家をのぞいていたから要注意」とか
「どこそこの辺がガス臭いが、ガス漏れしてるのだろうか」とかリアルタイムで
「どこそこで大事故があり通行止めになってる」とかいう、いわば掲示板の替わりになってきた。

その内に、個人的な言い争いがあったり、
「この町に最近引っ越して来たものですが、美容院を教えてください」
「美味しいメキシコレストランはどこでしょう」とかいう質問があると、我も我もと宣伝が入るようになり、鬱陶しくなったのではメールがきても削除し始めた。

ところが、チャットでコヨーテが頻繁に人家の周りにでてることを知ったので、グレッグは出かけるとき我が家のトニー(犬)が庭にでないように犬ドアを閉めてしまうようになった。
「昼間から家に閉じ込めておいたら、可愛そうじゃないの、第一おしっこするときどうするの」と私は文句をいった。

我が家の裏庭は高い鉄柵があり、木々でかこまれているしゲートも縦縞の鉄柵だからコヨーテは入れっこないのにである。つまり、足をひっかけるような壁ではないからである。これがSolid(隙間の無い)壁なら、結構四つ足で登ってくるコヨーテがいて、庭の小動物は彼等の餌食になることがある。実際にそれをビデオで撮って載せた人がいた。幼児がアタックされた事件も過去何度かニュースで見ている。火事とか、そういうニュースは便利なので、やはり数秒でもこのチャットメール・ルームを一応開けてみる事にした。

そう決めた瞬間に、Mountain Lion(プーマ)を目撃!という題名が目に入ったので読んでみると、ラナと私が良くスピードウォークするコースの一つSalt Creekであったので驚いた。

何でも自転車で早朝、そこを走っていた男性が目撃してすぐにチャットルームで知らせてくれたのである。我が家から2マイルもない場所で、マウンテン・ライオンなら数分で我が家に走ってこれる距離である。マウンテン・ライオンなら、木にも登れるし我が家の塀も一っ跳び。屋根から屋根と簡単に飛び跳ねる事も出来るから、今度は私が犬ドアを閉めるようになった。ペットがマウンテン・ライオンの餌食になるチャンスは落雷で死ぬような割りだというのは分かっているが、警戒警報が解除になるまで要注意である。というわけで市内チャットルームもありがたいと思うようになった。






最終更新日  2019.11.20 12:52:36
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2019.11.17
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運転許可が出た途端に、自由になって、あちこち買い物にでかけてる。世の中の商人達はもうクリスマスの押し売り。情緒もへむたくりもない。

週末だったせいか家族っれで、あの巨体なパ〜キング場も一杯。わたしはあいてん10分前にいったのにである。




夕方は、コ〜ラスの指揮者である竹下先生と、仲間達が別にグレースノ〜トというグループに入っていてそのコンサート。伴奏の吉田(嶋田フミコ)さんが素晴らしかった。かのじょは ツイ先週、横浜で連弾のコンサートをして帰米したばかりだったので、特に音色が冴えていた。






最終更新日  2019.11.17 22:50:20
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