2005/11/13(日)05:59
福永武彦と「死の島」 -1
当時つきあっていた人が福永武彦の熱烈なファンで、学生時代は私も福永武彦の作品は随分と読んだ。
ただ、好きな作品は全く違っていて、彼は「草の花」と「死の島」だったのに対して、私が好きなのは「忘却の河」と「廃市」だった。
代表作と言えばやはり「草の花」なのだろうか。
私にはクリスチャン特有の(と私には思えた)マゾヒスティックなまでのストイシズムと、それへの自己耽溺のためには人を傷つけることにも無神経になれる自己中心性を美しい文体で描いているようで好きになれなかった。
“相馬鼎は夢を見た。”で始まる「死の島」も上下巻の壮大な実験小説のようで、嫌いというわけではないけれども、どことなくあざとさを感じてしまって、それぞれの人物が作者によって作られた傀儡のようでリアリティをもった存在に思えなかった。
それに終盤クライマックスに近いところで、列車のアナウンスの「ひろしま」を「しのしま」と聞き違えるというのは、ちょっと考えにくい。イントネーションが全く違うからだ。
福永武彦は小説を書くときには綿密な創作ノートを創っていたので、その神経質なまでの完璧主義から考えるとどうしても違和感を感じてしまう。
原爆もメインテーマになっていたので、どうしても両者を結び付けたかったのだろうか。
それでもその中で語られる絵画や音楽の話は興味深いものが多く、シベリウスや北欧神話「カレワラ」について相馬鼎が語る内容は、福永武彦自身の思いや見解だったのではないかと思われた。
重要なモチーフとしてアーノルド・ベックリンというスイスの画家の「死の島」という絵が出てくるのだが、それがベルリオーズの幻想交響曲のレコード・ジャケットに使われていた、というような記憶があるのだけれど、定かではない。
思い出すことができないし、手元に本もなく、検索してもラフマニノフの交響詩「死の島」のことしか出てこない。
ベルリオーズではなくてラフマニノフだったのか?
いや、そうではない。
「断頭台への行進」のイメージが何度もでてきたはず、と思うのだけれど・・・
ベックリンは「死の島」を何枚も描いている。
殆ど同じ構図で背景の山が少し違っていたり、遠近感が違っていたりしたような気がするが、これもまたかなりあやふやな記憶だ。
「死の島」とは死者が住む島で、死者はカロンという、云わば三途の川の渡し守の漕ぐ艀でそこへ運ばれていく、というギリシャ神話を題材にしている。